に のんびりとした時間
「上がりましたー!」
「ん、おかえり唯那」
風呂から上がった唯那が元気よく談話室、もといリビングの襖を開ける。そうして部屋に入ってきた唯那はいつも通りの可愛らしい格好をしていた。
「お、お風呂いただきました……」
その後ろからそう声を出して現れる女性。部屋の照明のせいか、はたまた温泉のおかげか、夕日の中見た彼女よりも肌や髪が輝いているように見える。替えの服は持っていないらしいと唯那に言われ、一時的にアタシの服を貸している。どうにもぶかぶかみたいだ。それもアタシの目を釘付けにする要因だろう。
「ちゃんと温まれました?」
「は───」
「はい!」
黙って見続けるのも悪いため、その場で思いついた言葉を投げる。アタシのその問いかけに返事をしようとした女性の言葉を遮るようにして唯那が声を上げた。そして嬉しそうにアタシの方に駆け寄ってきた。
「ふぃー……♪」
駆け寄ってきた唯那は何の遠慮もなくアタシの膝に頭を乗せて一息。その光景に微笑ましくなるが、今はいけないと唯那の頭を退ける。
「え、いけませんか……?」
寂しそうな瞳と声で訴えてくる唯那に思わず大丈夫だと言いそうになるが、その言葉をグッと喉奥にしまい込んで立ち上がった。
「多少乾いてても海水に浸かっちゃったんだからダメよ」
「むぅ……」
不機嫌に頬を膨らます唯那の頭を2、3度撫でたあと、立ち上がって出口まで向かう。
「お風呂に入ってきますので、自分の家だと思って寛いでいてください」
「は、はい」
そう女性に告げ、自分も風呂に入ることにした。
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さっぱりし、服も洗濯機に入れてから談話室に戻ってくる。襖を開け、入室すると。
「……すぅ……すぅ」
唯那が疲れたのか畳の上で大平に寝ている。その隣で四角い机に肘を置く女性は湯気が立ち上る湯呑みを両手で持ち、窓の外の風景を見ていた。
「あ、おかえりなさ───」
アタシに気がついた女性がそう顔を向けて口にしたが、その言葉は途中で途切れる。明らかに驚いたその表情にアタシは特に気にする様子もなく、女性の右隣に座り込む。そして、机に手を置いて一息。
「えぇ」
女性のおかえりという言葉に返事をするようにそう口にし、アタシも窓の外を眺める。
今年はいつもよりも桜が咲いたのが遅く、外にはまだ桜を咲かせた木が何本か見える。
「……あの」
外の風景を見ていると、隣の女性が言葉を漏らす。何やら言いにくそうにしている女性にアタシはいつものかなと思い、続きを言葉にする。
「───あぁ、メイクのこと?」
「え、は、はい……」
言おうとしていたことを当てられて、女性は心底驚いていた。
「私が言おうとしてたこと、どうして……」
そう言葉さえ漏らしている。その言葉にアタシは笑みをこぼす。
「初めて合う人には毎度言われてるからね。さすがに分かるよ」
「そ、そうだったんですね……」
女性が足をもぞもぞ。どことなく気まずそうに太ももを擦り合わせている。アタシは外の風景から顔を逸らし、女性の方に顔を向けた。
「単純な話、かわいいものが好きだから」
「妹さんも、そう言われてました」
「あ、唯那から聞いた?」
「はい、お化粧はかわいくなるものだからって」
そう口にする女性は不思議そうな顔を覗かせる。メイクでかわいくなるのは別におかしなことではないと思うのだが、アタシのことだろうか。
「そう、かわいくなれるもの。だからしてるの」
「そうなんですね……あ、でも今はしてないんですね」
女性の言葉にしっかりと頷く。
「えぇ、お風呂にも入ったし、さすがにね。驚かせちゃってごめんなさいね」
「あ、いえ……すっぴんは、かなり雰囲気が変わりますね」
そう言葉を漏らす女性は不思議そうにアタシの顔をまじまじと見る。女性の顔がどんどんとアタシの顔に近づき、吐息が頬に当たる。それがむず痒くて少し恥ずかしい。スっと、分からない程度に距離を取り、苦笑いを浮かべた。
「生物学的にはアタシ、男だしね」
「そう、ですよね……」
まだまじまじと見続ける女性。だが、そこで顔がかなり近づいていたことに気づいたのか、頬を赤らめ慌てて顔を引く。
「す、すみませんっ!顔、近くて……」
「大丈夫」
「いえでも、あっ……」
そこで女性がなにかに気づいたように目を見開き、それからものすごく申し訳なさそうに顔を歪めた。
「トランス、ジェンダーでしたっけ、の方に男性と肯定するのはよく、なかったですね。すみません……」
トランスジェンダー、いわゆる心と体の性別が違う人たちの総称。言葉を聞いたことはもちろんあるし、初対面の人にもよく言われる。だから聴き馴染みもそれなりだ。
申し訳なさそうにする女性にアタシは首を横に振り、口を開いた。
「大丈夫、アタシはトランスジェンダーじゃないよ」
「……え?そうなんですか?」
またしても驚かれる。オーバーリアクションというか、表情が豊かというか、女性の反応は見ていて飽きない。
「えぇ、アタシは心も体も男性だし、恋愛対象も女性オンリー。この喋り方とメイクでよく勘違いされるのよ」
「そ、そうだったんですね、すみません」
また申し訳なさそうにされる。他人を思いやれる人だと、その言動に思わされる。
「謝らなくても大丈夫、言われ慣れてるし嫌な気持ちとかもないから。むしろ、気にされた方が嫌かな」
「……わかりました」
女性は表情を明るく戻し、しっかりと頷いてくれる。それから女性はゆっくりと湯呑みのお茶を1口。喉をコクンと鳴らして口内のお茶を飲み下して、手に持っていた湯呑みを机にコツンと置く。それから先ほどとは打って変わって緊張した面持ちでアタシに顔を向けてきた。
「───そろそろ」
女性の漏らした言葉にほかの宿泊予約をしている旅館に帰るのかなと思っていると、女性は静かに立ち上がり、机から外れてアタシの前に立つ。その体は明らかにガチガチだ。
(ん?帰るわけじゃ、ない?)
そんなことを考えていると、固唾を飲み下した女性がゆっくりと口を開く。
「あの、私。初めてなので、優しく……お願いします……」
耳まで真っ赤にしてどうしたのだろうと思ったその瞬間、女性が服の裾をたくし上げる。
(……ん?)
その動きに思考が止まる。そんなアタシになどお構い無しに服を持ち上げ、完全に脱ぎ去ろうとした。アタシは止まった思考を無理やり動かし、慌てて立ち上がって女性の手を止めた。
「ままま待って待ってっ!」
グッと力を込めて女性の手を止める。すでに半分ほど服をたくし上げてしまっており、細くくびれた腰が丸見えになってしまう。だが、幸いにも胸はまだ隠れていた。
「え、どうして止めて……?」
アタシの行動が不思議で仕方ないのか、女性が言葉を漏らした。逆になぜ止められないと思ったのか。
「どうしても何もっ、女性が無闇矢鱈に肌を露出させるものじゃないよ」
慌てすぎて声が裏返る。
「いやでも、こういう時のお礼はこうじゃ……?」
「そんなわけないでしょ……」
とりあえず女性には服をしっかりと着てもらい、座ってもらう。そして女性に体を向け、一旦安堵のため息を漏らす。それからアタシは口を開いた。
「お礼はいらないって言ったでしょ。それに濡れちゃったのはアタシのせいなんだからお風呂を貸すのは当たり前」
「は、はい……すみません……」
アタシの圧に押されてしまったのか、縮こまり、居住まいを正している。そんなに厳しく言ったつもりはないのだが、彼女からしたら厳しい態度を取ってしまったのだろうか。
「あ、ごめんなさい、ちょっと威圧的な態度取っちゃったかしら」
だからこうして言葉にする。言葉にした方がしっかり気持ちも伝わるし、威圧的だと思われたのなら尚更黙っているのは良くない。
アタシの言葉を聞いた女性は慌てて首を横に振った。
「いえそんな!あなたが謝ることじゃないですし、それにあなたのせいだと言われても、やっぱりあれは私があんな行動を取ったから……」
お礼はいらないと言っても、やっぱり思うところがあるのか何かをしようと考えが尽きないようだ。どうしたものかと思ったが。
「……そうだ、なら名前を教えて」
「……え、名前?」
「えぇ、そういえば名前聴いてなかったなって思ってね。それでお礼ってことで。それにアタシも名乗ってなかったから」
「名乗ることがお礼になるのはおかしい気もしますが……」
「アタシがお礼として望んでることなんだし、おかしな話じゃないでしょ?」
そう言ってウィンクをしてみせる。それを見た女性は目を一瞬だけ丸くし、すぐにくしゃっと笑みを浮かべた。
「でしたら、おかしくないですね」
「そうでしょ?じゃあアタシからね、アタシの名前は『刻野 空成』、あなたは?」
自己紹介を済ませ、彼女に手を向け次と促す。それを見た女性が笑みを浮かべたまま口を開いた。
「私は『瀧黎 愛』と言います。気軽に『瀧黎』と呼んでいただければと思います」
気軽に呼ぶのであれば名前だろうと疑問を浮かべたが、そこであることに気づいた。
(……ん?りゅうれい?)
りゅうれい、聞き間違いでなければ彼女はりゅうれいという苗字を名乗った。どう漢字で書くのかは聞いていない。だが、概ねどう漢字で書くのかは予想ができた。なぜならば……
「瀧黎……ここの地名と同じじゃない」
そう、アタシのクラスこの街も、通う学園も、同じくりゅうれいという名がついている。
「そうなんですね、すごい偶然です」
でもその言葉とは裏腹に、彼女の声や表情に驚きというものはない。というより、観光客なのであれば地名を知らないはずはない。
───違和感。
そこで感じる妙な違和感。正直ただの勘なのだが、彼女は何かを隠しているように思える。振り返ってみれば海での出来事から今こうして話すまでの間にもその妙な違和感はあった。
(……何かある?)
その結論に至るのは必然だった。だが、初対面でまだ2時間程度しか同じ時間を過ごしていない相手にそのことを聞くのはかなり図々しいし、ただの勘違いの可能性すらある。だからこの感じた違和感はまだ、しまっておくことにする。
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「ん……んん……?」
不意に唯那が声を漏らす。どうやら目を覚ましたようだ。
「おはよう、唯那」
頭を撫でながらそう声をかけると、目をしょぼしょぼとさせてのっそり体を起こす。そして、大きく欠伸をする。
「ん……おはよう、ございます、お姉様……」
体も思い切り伸ばし、しょぼしょぼさせていた目をしっかりと開く。
「あ……」
そこで気がつく。来客が来ているのにしっかり寝てしまっていたことに。
「す、すみません……おもてなしもせず寝てしまって……」
「え?大丈夫ですよ。こちらが勝手にお邪魔しちゃってるだけですし、お茶も出して頂いたので」
唯那の謝罪を受けて彼女、瀧黎ちゃんがそう口にする。
「唯那も起きたことだし、夕食にしましょうか」
そう言って立ち上がり、談話室と併設されている台所へと足を向ける。そこで瀧黎ちゃんがアタシに声をかけてきた。
「夕食の時間にまでお邪魔するのはよくありませんし、私はここで」
その言葉にアタシは振り返り、口を開く。
「夕食くらい大丈夫よ、もう外も暗いし食べていったほうがいいでしょ?」
「え、でもそこまでは───」
「それに、服もまだ乾いてないしね」
アタシにそう言われ、彼女は自分の体に目を向ける。今の服装は全てがぶかっとしていて、明らかに自分の服でないことが見て取れる。
「あ、確かに……服をお借りしてしまっていますね」
申し訳なさそうに瀧黎ちゃんがそう口にする。
「別にアタシは気にしてないよ。もし良かったらあげるよ」
「え!?いえ、そこまでは……」
「いいのいいの、サイズちょっと小さいなと思ってたからちょうどいいわ」
そう言うと、瀧黎ちゃんは少し考えてからアタシに顔を向けた。
「……では、お言葉に甘えて」
捨てるよりはいいと思ったのか、彼女が頷いてくれる。正直無理を押し付けちゃったようにも思えてきていたけど、受け取ると頷いてくれたのならまぁいいだろう。
瀧黎ちゃんの返事を聞いたアタシは改めて台所へと足を運び、エプロンを身にまとう。
「───よし」
そうして包丁を手に取り、料理を始めた。
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料理を作り終え、皿に盛り付けてから机に持っていこうと後ろを振り向くと。
「それで───」
「───あはは、そうなんですね」
唯那と瀧黎ちゃんが楽しげに話をしていた。その光景を微笑ましく思い眺めていると、目線に気づいたのか唯那がこちらに顔を向けてきた。
「夕食ですか?」
「うん、ちょうど持っていこうと思ってたところ」
そう言って皿に盛り付けた肉じゃがを唯那と瀧黎ちゃんの方へと向ける。
「もしかしてそれは……」
ゴクリと固唾を飲む唯那にアタシはふふんとドヤ顔で口を開いた。
「そう、今日の夕食は肉じゃがです」
「やったあ!お姉様の肉じゃが〜!」
唯那が喜びに立ち上がり、飛び跳ねる。そしてタタタッとアタシの方へと寄ってくる。
「これ机に運びます!」
「ふふ、じゃあお願いね」
嬉しそうにそう言われては断る理由はない。配膳を唯那に任せ、アタシはご飯やらを皿に盛り付ける。
「わ、綺麗な肉じゃがですね」
そんな会話が耳に飛び込んでくる。
「お姉様は料理がものすごくじょーずなんです!」
「そうなんですね、私は料理苦手なので羨ましいです」
「瀧ちゃんもお姉様に習えば作れるよーになれますよ」
「どうでしょう……すごく下手ですよ私?」
「もーまんたい、というやつです!」
楽しげに唯那と瀧黎ちゃんが話をしている。話しぶりからしても、呼び方にしても、かなり仲良くなれているようでこちらとしてはとても嬉しい。
「───はい、これで全部ね」
そう言って持ってきた皿を机に並べた。3人分のサバの味噌煮、3人分の漬物、3人分の白米、そして3人分の肉じゃがが机に並んでいる。それとは別に10等分に切り分けただし巻き玉子も。
「美味しそう……」
そう言葉を漏らす瀧黎ちゃんと目をきらきらとさせている。楽しみで仕方がないのだろう。
「これ、お箸ね。来客用でごめんなさいね」
瀧黎ちゃんにそう言って箸を手渡してから座布団に腰掛ける。
「いえ、実際来客ですし」
「それもそうね。食べましょうか」
アタシの言葉を合図に唯那が手を合わせる。それを見て合わせるようにして瀧黎ちゃんも手を合わせた。
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
「い、いただきます」
見事なまでに全員ばらばらで食べ始めすらもばらばらだ。けれど、美味しそうに食べる顔は皆同じだった。




