0071.フェニックス × ヘミングウェイ × 地下鉄(実験中)
「ハミングウェイ」
地球の背骨、アンデス。
標高四千メートルを超える険峻な山々が、南米大陸を東の広大なアマゾン、そして西の太平洋へと真っ二つに分断している。これまで、その堅牢な岩壁は人類の行き来を阻む巨大な壁であり続けた。
だがいま、その最深部を貫く一本の黒い穴が穿たれようとしていた。
アンデス山脈、東西横断鉄道プロジェクト。
山脈の底に、全長数十キロメートルに及ぶ超長大トンネルを掘り進め、大陸の両岸をわずか数時間で結ぶという、人類史上最も過酷な土木工事である。掘削機が削り出すのは、何億年もの圧密に耐えてきた硬質の片岩。削岩機の轟音が地下に響き、巻き上がる粉塵と鉄の匂いが坑道に立ち込める。地上は吹き荒れる吹雪、しかし地下の最前線は、地熱と岩盤の圧力による異様な熱気に包まれていた。
そのコンクリートに囲まれた闇の中を、一本の鋼鉄の道が東西へと伸びていく。
この地底のハイウェイを駆ける新世代高速地下鉄には、すでにひとつの名が与えられていた。
――ハミングサンダーバード。
ナスカの大地に描かれたハチドリ。そしてアンデス先住民の神話に語られる雷鳥。空飛ぶ宝石と天空の巨獣。相反する二つの翼の名を冠した列車は、漆黒の岩盤の底を時速三百六十四キロメートルで駆け抜ける。
高電圧のサードレールから散る青白い火花。コンクリートの壁を震わせる駆動音。それはまだ、誰も見たことのない地底の楽譜だった。
南米大陸の心臓を貫く大動脈。
しかし、その名に込められた本当の意味を知る者は、まだ少なかった。
*
それは掘削機のカッターフェイスが岩盤を削り取る直前に発見された。
最初、誰もそれが卵だとは思わなかった。
岩盤の中から現れたそれは、人の胴ほどもある巨大な楕円体だった。鉱石のようでありながら、生体組織のような湿り気を帯びている。半透明の殻の奥には、琥珀色の光がゆっくりと揺れていた。何千万年もの地圧と地熱の底に埋もれていたとは、とても思えなかった。
担架に載せられたそれが坑道を去る時、現場に沈黙が落ちた。
誰も言葉を発しなかった。誰も、なぜ黙っているのかを説明しなかった。掘削機のエンジン音だけが、無人の空気を揺らし続けていた。
翌朝には最高機密扱いで国外へ搬出された。
解析には三年を要した。
地質学者は理解できなかった。生命科学者も理解できなかった。内部には細胞が残っていた。乾燥していなかった。死んでいるはずなのに、完全には死んでいなかった。
完成したレポートが、研究者たちを沈黙させた。
最初に誤植が疑われた。次に機器の故障が疑われた。最後にサンプルの取り違えが疑われた。
だが何度解析を繰り返しても、結果は変わらなかった。
その巨大な卵は、現存する生物の中ではハチドリ類に最も近い系統だった。
後の時代に極端な小型化を遂げ、空飛ぶ宝石と呼ばれる小鳥へと至る系統。その遥かな源流。現代のハチドリへと繋がる進化の枝の、始祖だった。
さらに研究者たちを震え上がらせたのは、復元された成体の姿だった。
翼開長は数メートル。強靭な胸筋。高密度の骨格。推定体重は現生ハチドリの数万倍。アンデス上空を支配していた巨大飛翔鳥。
空飛ぶ宝石の祖先は、美しすぎた。
だが、チームの誰も祝杯を上げなかった。
*
最新のバイオテクノロジーによる復活計画は、正式名称を持たないまま始動した。
内部では、ただ一語で呼ばれていた。
――フェニックス。
研究施設の地下、石のテーブルの上に卵は置かれていた。ただ、置かれていた。
ある夜、当直研究者は異常を記録した。
〈02:17――振動、微弱。原因不明〉
その時刻、地下百メートルの軌道を、ハミングサンダーバードの試験車両が通過していた。時速三百六十四キロメートル。轟音が研究施設の基礎を震わせ、石のテーブルがかすかに揺れた。
殻の奥で、何かがわずかに動いた。
研究者は何も記録しなかった。記録できなかった。
地底の楽譜は、まだ誰にも読まれていない。
しかし音は、すでに始まっていた。




