0072.カリブ海 × ジュリアス・シーザー × カヌー(少し苦しい)
シーザーのアナグラム暗号
ガリア遠征も終盤に差しかかった頃のことである。
ジュリアス・カエサルには一つの悩みがあった。
自ら考案した暗号法――後に「シーザー暗号」と呼ばれることになる文字置換法は、あまりにも有名になりすぎていたのである。
敵も味方も、その存在を知っている。
もちろん内容を即座に解読できる者は少ない。しかし「暗号文である」という事実そのものは隠せない。
そこでカエサルは考えた。
別の方法はないだろうか。
ある夜、司令官用天幕の中で、彼は羊皮紙に同じ文字を何度も書き連ねていた。
火皿の炎が揺れる。
外では軍団兵たちの話し声が風に流れていた。
並べ替える、また並べ替える、文字そのものは変えず、順番だけを変える。
単純だが、案外面白い。
「なるほど」
カエサルは独りごちた。
「これなら暗号とも気づかれまい」
数日後。
カエサル軍はガリア北方の大河へ到達した。
執政官たちはローマから何度も警告を送ってきていた。
・蛮族の連合を侮るな
・彼らが結束すれば危険だ
・補給線を確保せよ
・退路を確保せよ
・包囲されるな
だが実際に戦場へ来てみると、様子が違った。
部族ごとの勇猛さは確かに恐るべきものだった。
しかしそれだけだった。
互いに反目し、互いに命令を聞かず、昨日の同盟が今日には崩れる。
敵は強かった。
だが、一つではなかった。
その日の夕暮れ。
大河の向こうにいた敵軍は、夜になる前に散り散りに逃げ出した。
戦いにすらならなかった。
翌朝。
霧の漂う河畔を歩きながら、カエサルは岸辺に取り残された一艘の丸木舟を見つけた。
削っただけの粗末な船だった。
泥水に揺れながら、ぽつりと浮かんでいる。
その光景を眺めているうちに、彼は思わず笑った。
我々は敵を買いかぶりすぎていた。
そう。
「買いかぶりだ」
彼は羊皮紙を取り出した。ローマへ送る報告書である、長々と説明する必要はない。
どうせ誰も信じない、彼は羽根ペンを走らせた。
「かいかぶり」
そして少し考えた後、その文字を並べ替えた。
「かりぶかい」
それだけを書き残し、封蝋を押した。
数週間後。
ローマ。
元老院では報告書を前に執政官たちが首をひねっていた。
「かりぶかい?」
「何だそれは」
「新たな暗号か」
「解読できる者はおらんのか」
文字を数え、順番を入れ替え、意味を探す、だが誰にも分からない。
ある執政官は額を押さえた。
戦況は想像以上に深刻なのではないか。
ガリア全土が蜂起したのではないか。
誰もが最悪の展開を思い描く。
その顔は次第に曇っていった。
浮かぬ顔。
もしその場にカエサルがいたなら、きっと笑っただろう。
かりぶかい → カリブ海
浮かぬ顔 → うかぬーかお




