0053.宇宙旅行 × ビクトリア朝 × 蜂蜜(実験的)
1899年。
ヴィクトリア朝 のロンドンは、
霧と煤煙に包まれていた。
だが人々は空を見上げる。
雲の上を、
巨大な蒸気宇宙艦が横切っていくからだ。
黒鉄の船体。
真鍮の外殻。
無数の煙突。
轟々と白煙を吐きながら、
帝国宇宙艦は月へ向かう。
テムズ川沿いには、
巨大な蒸気射出塔。
子供たちは目を輝かせ、
新聞売りは叫ぶ。
「号外!
クイーン・ヴィクトリア号、
月面往復に成功!」
大英帝国は、
ついに宇宙旅行の時代へ到達していた。
その中心にいたのが、
王立宇宙航行研究所の老技師、
ハリウェル卿だった。
彼は偏屈で有名だった。
研究員が尋ねる。
「卿。
なぜ貴方の機関だけ、
故障しないのです?」
ハリウェル卿は答えない。
ただ、
巨大機関の回転音を聞きながら、
静かに懐中時計を閉じるだけだった。
新型宇宙機関は驚異的だった。
従来の三倍の安定性。
月面長距離航行でも、
蒸気圧が乱れない。
帝国中の技師たちが、
秘密を探った。
新合金か?
新型弁機構か?
特殊蒸気か?
だが誰にも分からない。
ある夜。
若い助手アーサーは、
研究所の地下機関室へ呼ばれた。
「君だけには見せておこう」
薄暗い部屋。
巨大な配管の中央に、
ガラス製の円筒があった。
その中で、
黄金色の液体が、
ゆっくり揺れている。
甘い香り。
アーサーは眉をひそめる。
「これは……」
ハリウェル卿は静かに言った。
「新型潤滑材だ」
「ですが卿、
これはまるで――」
アーサーは指先につける。
舐める。
そして絶句した。
「……蜂蜜?」
老技師は満足げに頷いた。
「精巧な機械には、この素材が必要なのだよ」
「は?」
ハリウェル卿は、
巨大宇宙機関を見上げながら、
当然のように言った。
「ハチミツ は緻密 だからな」




