第一章 四話
廊下の奥にある大扉を開けると、そこは玉座の間だった。
「なんじゃ。今日は騒がしいのう」
おそらく玉座と思われる大きなソファーに、若い女子がだらしなく寝そべっていた。
魔物の年齢はマルコには分からなかったが、人間ならば二十歳くらいに見える。露出の多い黒衣をまとい、男なら目のやり場に困るほど艶やかな姿をしていた。
長い金髪。けぶるようなまつげに彩られた赤い大きな瞳。誰もが魅了されずにはいられない、美しさ。
現魔王だった。
しかし、その周囲には、菓子の袋や、食べ終えた皿、コップ、瓶、おもちゃ、本や脱ぎ散らかした服などがうず高く積み上がっている。
魔物たちはその汚部屋に圧倒されて、入るのをためらっていた。
しかし、マルコはそれをものともせずに進んだ。
マスクを外し、まっすぐに彼女を見た。
「あんたが魔王ッスか?」
「いかにも。わらわは魔王フィニアである。人間、そちは何者じゃ」
「掃除夫のマルコっていうッス」
「掃除夫……? その背にあるものは、聖剣ではないのか?」
「ああ、これがないとここに入れないって言われたんで、仕方なく」
フィニアは高笑いをした。
「で、マルコとやら。その聖剣で、このわらわに決戦を申し込むのか?」
「いや、この汚城を掃除しに来ただけッス」
今度はフィニアが爆笑した。
ソファーの上で腹を抱え、ヒーヒーと笑っている。
「ヒー、この城を掃除じゃと!!なんの冗談じゃ」
「この城が汚れてるせいで、瘴気が発生して、人間が迷惑してるッス。だから、この汚城をピカピカにするッス」
「ふぅ……面白い奴じゃ。そんなのはムダムダ。わらわは片付けられない女子、汚嬢様と言われておる。ひ弱な人間ひとりでなにができると言うのじゃ」
「外と廊下はもうピカピカッスよ」
「えっ!?」
「それに、俺ひとりじゃないッス。魔物さんたちもみんな手伝ってくれたッスよ」
「なんと!?」
フィニアががばっと起き上がると、扉のそばにいたオークがきれいに掃除された廊下へ続く扉を全開にし、ウンディーネが澄んだ水の体に城の外を映し出した。
「そんな……」
そこに映っていたのは、瘴気にくすんだ汚城ではなく、白い大理石の外壁を輝かせた美しい魔王城だった。
「残るはこの汚部屋だけッス」
マルコは大きな袋を広げ、ゴミを片付け始めた。
「やめい!! わらわは周りに物がないと落ち着かぬのじゃ!!」
「あー、それは片付けられない人の常套句ッスね。大丈夫、きれいにも慣れるッスよ」
「わらわを改造しようというのか!! このムッツリスケベめ!!」
フィニアが手近なコップを投げる。
マルコはそれを受け止めると、洗い物をまとめている場所へ置いた。
「これは洗えば使えるッスね」
「そういう問題ではないわ!」
フィニアが頬を膨らませ、ソファーの周りに積み上がった物を片っ端から投げつけた。
「狙い、いいッスね」
マルコは楽しそうにキャッチしては、ごみ袋に分類して片付けていく。
その間にも、魔物たちはマルコの指示で次々と動いた。
ウンディーネは汚れた食器や服を洗い、オークは重いごみ袋を運ぶ。メイジは安全な場所でごみを焼き、小型竜は風魔法で洗濯物を乾かした。
本は巻数をそろえて本棚へ。
服は畳んで棚へ。
菓子の袋はまとめて処分された。
「お主ら……」
呆然とするフィニアに、オークが言った。
「美シイ魔王サマニハ、美シイオ城ガ似合ッテマス」
マルコはその言葉に大きくうなずいた。
「そうッス。可愛い子には、可愛いお城がお似合いッス」
「わらわが……可愛い……?」
フィニアの胸が、きゅんと高鳴った。
魔王として恐れられることはあった。
強い、恐ろしい、逆らってはならない。
配下の魔物たちはそう恐れていた。人間も、魔王は恐ろしいと口々に言っていた。
だから、可愛いなどと言われたことはない。
でも、マルコは違う。
まるで野に咲く花を愛でるように、自然にフィニアのことを可愛いと言った。
こんなに片付けられなくて、城も魔界も好き放題に散らかして、人間界にまで瘴気を流してしまった自分を。
それだけで、フィニアの心はときめかずにはいられなかった。
「ふ……ふん。見る目だけはあるようじゃな」
それでもまだ、魔王としての威厳を保とうと、フィニアは腰に両手をあててふんぞり返った。
マルコはそんなフィニアに気づく様子もなく、きれいになったドレスをたたんでいく。
「この服なんて、絶対似合うッス。絶対可愛いッス」
また、フィニアの胸が跳ねた。
思わず口元を押さえる。
おかしい。
わらわは魔王なのに。
人間などに褒められて嬉しくなるなどと……。
ない、はずなのに。
「おっ、これは……」
ゴミの下敷きになっていた長い物を、マルコが持ち上げた。
クモの巣がべっとり張りつき、そこにほこりやゴミが絡まって、真っ黒な棒のようになっている。
だが、マルコは目を輝かせた。
マルコは聖剣に巻いていたボロ布で、まず大まかな汚れを拭き取った。
さらに水拭きをすると、黒ずんだ汚れの下から、豪奢な飾りのついた美しい鞘が現れる。
「これ、聖剣の鞘ッス!!」
試しに聖剣を差し込むと、かちり、と澄んだ音がした。
「おお……ぴったりッス!!」
マルコの顔がぱっと明るくなる。
「これで、むき身の剣を持ち歩かなくてすむッスね」
その心底うれしそうな笑顔を見て、フィニアの胸がまた、きゅんと鳴った。
「そ、そんなに嬉しそうにしても、わらわはまた城を汚すぞ。なにせ、わらわは片付けられない女子じゃからな!!」
フィニアは赤く染まった頬を膨らませ、ぷいと横を向いた。
「大丈夫ッス。散らかった時には、何回でも俺が掃除しに来てやるッスよ」
マルコが顔を上げる。
長い前髪の奥に隠れていた目元があらわになり、澄んだまっすぐな瞳がフィニアをとらえた。
「何回でも、と申したか……」
フィニアは、もう高鳴る胸を押さえられなかった。
「そ、それならば……わらわの伴侶となれ! そして一生わらわの側で、思う存分この城を掃除するがよい!! そ……そうすれば、いちいち人間界から来なくてすむじゃろ!!」
一瞬、玉座の間が静まり返った。
「魔王サマ、イクラナンデモソレハ……」
「人間ニモ選ブ権利ガ……」
「一生掃除ヲサセルナドト……」
「いいッスよ」
マルコはあっさりとうなずいた。
「掃除のしがいがありそうッス!!」
「よし!! ならば結婚じゃ!!」
魔王城に鐘が鳴り響いた。
フィニアの宣言により、魔界と人間界で初めての結婚式が行われることとなった。
数日後、人間界の王城には、一通の招待状が届いた。
差出人は魔王フィニア。
そして招待状と共に、鞘付きの聖剣が丁寧に返されてきたものだから、人間界は上へ下への大騒ぎとなった。
その後、掃除夫マルコは魔王城に婿入りした。
マルコが掃除した魔王城から瘴気は消え、魔界の魔物たちも、人間界の人々も、もうニオイに怯えることはなくなった。
そして、マルコは人間界と魔界を救った勇者としてたたえられ、人間界には、末永く平和が訪れたという。
━ 第一章・終 ━




