第一章 二話
「むき身の剣を持ち歩くの、やっぱ落ち着かないッスね」
聖剣には鞘がなく、むき身のまま持たされていた。どうやら、どこかでなくしたらしい。
掃除に剣はいらないと断ったのだが、王にこう言われたのだ。
「これがないと魔王城に入れん。汚城への入城チケットと思って、持っていきなさい」
そう言われては、マルコも渋々持つしかなかった。
とはいえ、むき身の剣をそのまま背負うのは危ない。仕方なく、刃には掃除用のボロ布をぐるぐると巻きつけている。
「おっ。あれが魔界からの瘴気で困ってる街ッスね」
マルコは小高い丘の上で足を止め、遠くの街を見下ろした。
三百年前、聖剣を抜いた勇者が魔王を討伐した。
勇者は長く人間界を守り、やがて老衰でこの世を去った。その後、聖剣はいつの間にか元の岩へ戻り、再び次の勇者を待つようになったという。
だが魔界では八年前、今の魔王が即位した。
それ以来、魔界の方角から黒い瘴気が流れ込み、近隣の街や村では畑が弱り、家畜が病み、人々も咳き込むようになった。
「今度の魔王は、人間界を侵略するつもりだ」
誰ともなくそう言い出し、いつしかそれは人びとの間で当たり前のように信じられるようになった。
「妙なニオイがするッスね」
マルコが鼻をヒクヒクさせていると、まだ幼さの残る街娘が声をかけてきた。年の頃は十五ほどだろうか。
「その聖剣、勇者さまですか?」
「ボロ布巻いてるのによく分かったッスね」
「忘れもしません。前に勇者選別式を見に行った時に見た聖剣の柄ですから」
「へぇ、けっこう有名な剣だったんスね」
「勇者さま、どうか魔王を倒してください」
少女はマルコに取りすがって言った。
「今の魔王に代替わりしてから、街はどんどん臭くなってきました。瘴気を吸って咳き込む者も、食欲を失って衰弱する者も現れています」
「確かに臭いッスね」
「きっと魔王のしわざです。人間界に侵攻してくるのも時間の問題です」
道行く人びとも少女の言葉にうなずき、口々に魔王討伐を願った。
「魔王を倒してください」
「この街を救ってください」
「勇者さま、どうかお願いします」
マルコはもう一度、街に漂う妙なニオイを嗅いだ。
「とりあえず、魔王城に行ってくるッス」
マルコがそう言うと、街の者たちは大いに喜んだ。
次に立ち寄った村でも、その先にある町でも、人びとは魔界からの瘴気と異臭に困り、近々魔王が人間界を侵略するのではないかと怯えていた。
「どうか勇者さま、我々をお守り下さい」
「分かったッス。俺、魔王城に行ってくるッス」
その言葉に、人びとは喜び、マルコを勇者だとあがめた。
だれも、マルコがこのニオイの元を確かめに行くつもりなのだとは思っていなかった。
街や村を出て、魔界に通じる、うっそうとした森の道を進む。
道は狭くなり、しだいに暗くなっていった。
それは茂る木の影だけでなく、明らかに魔界からの瘴気による暗さだった。
「ニオイ、濃くなってきたッスね」
マルコはニオイの元をたどるように歩みを進める。
その時、道端の茂みががさがさと揺れた。
「ググ……カ、エレ」
「コレ以上、魔王城ニ近ヅクナ」
「人間界ヘ帰レ!!」
突然、こん棒を持ったゴブリンが数匹、道をふさいだ。
必死に牙をむき出して威嚇しているが、どうにも腰が引けているように見える。
「うわ、ひどいニオイッスね」
そう言われて、ゴブリンたちは思わず自分の腕や服のニオイを嗅いだ。
「ギャッ!?」
「ウ、ウワ……!!」
「コレ、汚城ノ、ニオイ……」
自分達のニオイにゴブリンたちはショックを隠しきれない。
その様子を見て、マルコは荷物の中からいい香りがする小さな包みを取り出した。
「これあげるッス。服も肌も綺麗に洗える、お勧め石鹸ッス」
ゴブリンたちは恐る恐る石鹸を受け取った。
一匹が鼻先へ近づけると、ふわりと花の香りが広がる。
「……イイ匂イ」
「ホ、ホントダ」
「魔王城ニハ、ナイ匂イダ」
ゴブリンたちは、しばらくうっとりと石鹸を嗅いでいた。
だが、はっとしたように顔を上げる。
「ニンゲン、魔王城ニハ行クナ!!」
「なんでッスか?」
「ソ……ソレハ」
ゴブリンたちは目をそらした。
「知ラレタラ、困ル」
「なにをッスか?」
「ソレハ……言エナイ」
マルコは少し考えてから言った。
「俺、魔王城に掃除しに行くッス」
「ソウジ……?」
「魔王城は汚城だって聞いたッス。俺、掃除洗濯が命ッス。だからピカピカに磨き上げたいッス」
その言葉に、ゴブリンたちは固まった。
やがて、一匹の目に、じわりと涙が浮かぶ。
「……マジカ。アノ汚城ヲ、キレイニシテクレルノカ……」
「マジマジッス」
次の瞬間、ゴブリンはこん棒を投げ捨てた。
「コノオ方ハ、勇者サマダ!! アノ汚城ヲキレイニシテクダサルゾォォォォ!!」
その叫びに、森の中からつぎつぎと魔物が顔を出した。
「ナント!!」
「ワレラデモ臭クテ近寄レナイ、アノ汚城ニ!?」
「勇者サマヲ、オ通シセヨ!!」
「石鹸ヲ持ツ勇者サマダ!!」
魔物たちは道の両側へ分かれ、深々と頭を下げた。
マルコは少し照れたように荷袋を背負い直す。
「勇者っていうか、俺、掃除夫ッスけどね」
━ 続 ━




