第一章 一話
王城に、高らかにラッパが鳴った。
年に一度の勇者選別式。
王城の大広間には、平民から貴族まで、さまざまな者たちが集まっていた。
城の広間には、岩に刺さったままの聖剣が置かれていた。
勇者だけが抜けると言われている聖剣。
これを抜いた者は勇者と認められ、人間界の向こう、魔物の棲む魔界へ行き、魔王討伐に向かう資格を得る。
国を魔王の瘴気から解放し、勇者として名を残す――そんな栄誉を夢見て、列に並ぶ誰もが、広間の中央にある聖剣を熱く見つめている。
「すごい盛況ッスね」
掃除夫のマルコは、選別式に並ぶ長い列を見て言った。
それを聞いた衛兵が、肩をすくめて笑う。
「今年も、聖剣を抜ける者はいないだろうな」
「分かるんスか?」
「毎年見る顔ぶればかりだからな」
「へぇ~。何回でもチャレンジできるんスね」
「まあな。この日のために一年鍛え上げてくる者もいる。もしかすると、今年こそ勇者として認められる者が出るかもしれんが……」
「ふんぬッ!!」
男が顔を真っ赤にして力んだ。
だが、岩に突き刺さった聖剣は微動だにしない。
「……ああいうのを見るとな」
「なるほどッス」
マルコは納得したようにうなずいた。
「そういや、お前、見ない顔だな」
「俺、マルコっていうんス。今月からここの掃除夫になったんスよ」
衛兵は、あらためてマルコを見た。
少しくせのある黒髪は前髪が長く、目元を隠している。思ったより背は高いが、少し汚れた作業用エプロンと、大切そうに握っているモップのせいで、どこか野暮ったく見えた。どこの街にもひとりはいそうな、人のよさそうな青年だった。
「そうか。なら今日は忙しいぞ」
「人が多いと、床も汚れるッスからね。腕がなるッス」
「なんかお前、嬉しそうだな」
王宮の大広間の廊下には、外から来た者たちの靴についた泥で、いくつも足跡がついていた。
広間の中央へ続く赤い絨毯にも、砂ぼこりや小さな泥染みが残っている。
「俺、掃除洗濯が命ッス。汚れたら汚れてるだけ、燃えるッス」
「そ、そうか」
嬉々としてモップを構えるマルコを見て、衛兵は少し引いたように一歩下がった。
そのあいだにも、挑戦者たちはつぎつぎと聖剣に挑んでいた。
腕自慢の騎士が両手で柄を握り、歯を食いしばって引く。
魔術師が身体強化の魔法をかけ、額に汗を浮かべながら引く。
貴族の若者が白い手袋をはめた手で優雅に微笑みながら柄を握り、すぐに顔を真っ赤にして力む。
けれど、聖剣は岩と一体化したように、ぴくりとも動かなかった。
やがて最後の挑戦者も肩を落として退き、大広間には失望のため息が広がった。
「今年も駄目だったか」
「また来年だな」
「今日からまた鍛えるぞ」
勇者選別式の終わりを告げるラッパが鳴り、挑戦者や見物人たちは広間を後にした。
マルコは、誰もいなくなった大広間を見回し、きゅっと腕まくりをする。
「さて、と。仕事するッスか」
マルコは手際よく赤い絨毯の泥を掃き出していった。それから絨毯を端から丸め、広間の壁に立てかける。
柄の長いはたきで天井近くの埃を落とし、壁を水拭きする。
床には、使い終わった茶葉に水を含ませてまいた。それをほうきで集めるようにして、細かな埃を絡め取っていく。最後にモップをかけると、ついさっきまで足跡だらけだった広間は、見違えるように綺麗になっていた。
「手ぎわがいいな」
衛兵が感心すると、マルコは額の汗を拭いながら笑った。
「俺、掃除夫ッスから」
しかし、広間の中央まで来たところで、マルコの足がぴたりと止まった。
「……うわ」
「どうした?」
「ここ、埃がすごくたまってるッス」
マルコは、聖剣と岩のわずかな隙間に指を這わせた。
指先に、白い埃がべったりとつく。
「しかたないだろ。聖剣は抜けないんだから」
「でも気になるッス。ちょっと抜いて、中を掃除してもいいッスか?」
「ははっ、無理無理。あれだけ勇者候補が引っ張っても抜けなかったんだぞ」
「掃除のためならヨユーッスよ」
マルコは聖剣の柄を握り、ひょいと持ち上げた。
「……は?」
衛兵は、顎が外れんばかりに口を開けたまま固まった。
広間に残っていた神官も、持っていた本をばさばさと取り落とす。
マルコは周りを気にすることなく、聖剣を床に置いた。
「ほら、やっぱり。中、めちゃくちゃ埃たまってるッスよ」
「……抜けた?」
「……抜けたな」
「せ……聖剣が抜けたぞおおおお!!」
衛兵の叫びが王城に響いた。
大広間は、叫びを聞きつけた人々でごった返した。
その人垣の中央で、聖剣を引っこ抜いたマルコは、聖剣の刺さっていた穴にハケを突っ込み、中の埃をかき出していた。
「お、お、お、お前、そ、それは……!?」
「は?」
かけつけた大臣が、震える手で床の剣を指さした。
「聖剣ッスね」
「なぜ抜けておる!?」
「掃除の邪魔なんで」
「お前が抜いたのか!?」
「そうッスね」
その場にいた全員が固まった。
大臣は口をぱくぱくさせたあと、ようやく声を絞り出した。
「へ、陛下を……陛下をお呼びしろおおお!!」
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「……で、マルコとやら。お前が聖剣を抜いた、と」
広間に呼び戻された王に問われ、マルコはぽりぽりと頭をかいた。
「マズかったッスか?」
そのくだけた口調に、大臣が眉をつり上げる。
「王に向かってその口調は不敬だぞ」
「すまんッス」
「お前……」
大臣がさらに声を荒げようとしたところで、王が片手を上げた。
「よい。この者は聖剣を抜いた。勇者の証を立てたのだ」
「……は」
「ついては、マルコ。お前には勇者として、魔王城に行ってもらわなければならない」
「マジッスか。せっかくここに掃除夫として就職できたのに……」
マルコは、名残惜しそうに大広間を見回した。
高い天井。磨けばもっと光りそうな柱。広間の奥へ続く長い廊下。人の出入りが多く、放っておけばすぐに汚れそうな赤い絨毯。
掃除のしがいがある城だった。
「俺、勇者より、掃除したいッス」
その場にいた誰もが耳を疑った。
「……掃除?」
「ウッス。俺は掃除洗濯に命かけてるッス。聖剣は抜いといたんで、他の誰かに行ってもらって下さいッス」
「いやいやいや」
大臣も神官も騎士たちも、そろって首を横に振った。
「聖剣は、抜いた勇者にしか扱えぬのだ」
「でも、俺は勇者より掃除がしたいッス」
広間に、なんとも言えない沈黙が落ちた。
王はしばらくマルコを見つめていたが、やがて玉座から下りると、マルコのそばまで歩いてきた。
「マルコ」
「はいッス」
「魔王城は、かなり年季の入った汚城らしいぞ」
マルコの長い前髪の奥で、目がきらりと光った。
「汚城? マジッスか!?」
「マジマジ」
「陛下!?」
大臣がぎょっとした声を上げた。
だが王は構わず、マルコの耳元でさらに囁く。
「ほこり、すす、瘴気、放置された調度品。長年、誰もまともに掃除できておらぬと聞く」
「……誰も?」
「誰もだ」
マルコはごくりと唾を飲んだ。
それから、腰のエプロンの紐をきゅっと締め直す。
「それなら俺、魔王城に行くッス!!」
大臣がぽかんと口を開けた。
「説得、そこでよかったのか……?」
こうして勇者マルコは、掃除道具と洗剤、ついでに聖剣も持たされて、魔王城へ行くこととなった。
─ 続 ─




