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第4話 空席〔中川の業務記録〕

 会議の冒頭、ロの字の机に九つの席があった。九つのうち、八つが実出席者の席だった。残る一つは空席だった。空席は机の北東の角にあった。名札は置かれていなかった。中川が会議の準備の段階で、その席を「予備席」として、用意していた。中川自身、なぜその席を用意したのか、明確な理由を持っていなかった。手順書のどこかに、「予備席を一つ用意する」と書かれていた気がしていた。書かれていたかどうかは、その日の朝、確認しなかった。


 会議が始まってから、その空席は、空席のまま、推移した。会議の中盤、佐伯がまだ着任していない時期だったが、木口は時折、その空席の方向に視線を向けていた。視線を向ける理由は、明確ではなかった。空席に何かがあるわけでもなかった。しかし、視線が、何度か、その方向に流れた。


 会議の終わりに、中川が机の上の名札を片付けた。八つの名札を、一つずつ回収した。空席の前には、名札がなかった。しかし、中川は空席の前で手を止めた。


 止めた、ということを自分で確認した。手を止めて、空席の前の机の上を見た。名札はない。書類もない。何もない。


 しかし、中川はその「何もない」場所に、名札があるはずだ、という感覚を一瞬持った。持った瞬間の感覚を、中川は確認した。名札があるはずだ、と感じたのはその席が「誰かのため」に用意されていた、という前提が中川の中にあったからだ。「予備席」というのは、誰のためでもない席だ。しかし、中川の感覚ではその席は誰かのために用意されていた。


 誰のために——を、中川は確認しなかった。確認する気が起きなかった。名札を、片付け終わって、会議室を出た。会議室のドアを閉める前に、もう一度空席の方向を見た。


 空席の上に、薄い影が落ちていた。その影が、何のものかはわからなかった。蛍光灯の光は均一だ。影が出来る理由がない。しかし、薄い影が確かに机の上にあった。


 中川はドアを閉めた。翌日、会議室の清掃を担当する者から中川に報告があった。


 「昨日の会議室の机の上に、配布資料が一冊、忘れ物としてございました」


「どの席ですか」と中川は聞いた。


 「北東の角の席です」


 「資料の種類は」


 「『骸ケ谷 既往記録抄』が一冊」中川は、その報告をしばらく聞いていた。既往記録抄は会議の中で廣澤が八人の出席者に配布した。九冊配ったのではない。八冊配った。空席の前には、配らなかった——はずだった。


 しかし、空席の前に、既往記録抄が、一冊、残されていた。誰のためのものか——を、中川は確認しようとした。確認する前に、清掃担当者が続けた。


 「資料は、念のため、私の方で保管しています」


 「どこにありますか」


 「会議室のドアの前のキャビネットに」


 中川は、そのキャビネットを確認しに行った。キャビネットを開けたが、既往記録抄はなかった。清掃担当者に確認する。


「先ほどの資料はどこですか」。


 清掃担当者は不思議そうな顔をした。


 「キャビネットに、入れておきましたが」


 「ありません」


 「先ほど、入れたばかりです」


 二人でキャビネットの中を、もう一度確認した。書類が積まれていたが、既往記録抄はない。しばらく探したが、見つからない。中川は、そのことを業務記録に書こうとして、書かなかった。書く理由が思い浮かばなかったのだ。書かなくても、業務に支障はない——というのが課長補佐としての結論だった。

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