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第3話 校閲指示〔会議録〕

 会議の中盤、廣澤から校閲上の指示があった。調査の進行に伴って、現場日誌、整理台帳、各種申告書類が作成される。それらの書類は報告書編集の段階で廣澤の校閲を受けることになる。校閲の方針について、廣澤が冒頭で説明した。


 「校閲の基本方針は客観性の保持です」と廣澤は言った。「感覚的な記述、観察者の主観的な印象、不確定要素を含む記述——これらは校閲の段階でより客観的な記述に置き換えます。置き換えの判断は校閲者の業務範囲とします」「主観的な印象——というのはたとえば」と木口が確認した。


 「『感じた』『気がした』『変だと思った』——こうした表現です」


 「現場の状況によっては、こうした表現が必要なこともあると思いますが」「現場日誌における暫定記述としては、構いません。最終的な報告書では、より客観的な記述に置き換えます」木口は、廣澤の説明をメモに取った。メモを取りながら、何かが気になった。「感じた」「気がした」を、廣澤は迷いなく挙げた。多くの校閲者はこうした表現を「曖昧」として整理する。しかし、廣澤の挙げ方には、もう少し別の重さがあった。「これらの表現は、書類に残してはいけない」——という方針を、長く運用してきた者の挙げ方だった。


 木口はその重さをメモに書かなかった。書く理由がなかった。会議の質疑の段階で、廣澤の発言はそれ以上の説明を加えなかった。質疑の最中、廣澤は、自分の席に座ったまま、答えていた。


 座ったまま——というのが奇妙だった。会議室の椅子は回転式の事務用椅子だった。座る位置を変えれば、軋む音がする。座っている間、姿勢を変えると椅子の脚が床にこすれる音がする。


 しかし、廣澤の椅子からは一度も、その音が聞こえなかった。会議の九十分の間、廣澤の椅子から軋みも、こすれる音も、一度もなかった。廣澤は姿勢を変えなかったのか。あるいは、姿勢を変える時に音が出ないように、何かを工夫していたのか。


 あるいは——音が最初から出ない椅子だったのか。会議の終わりに、木口は廣澤の椅子の足元を確認しようとした。立ち上がる動作の中で、視線を下げて、廣澤の足元の方向を見た。その瞬間、廣澤の椅子の足元に影が落ちていなかった。


 いや、影は落ちていた、はずだ。しかし「あった」とも「なかった」とも、木口は断言できなかった。ただ、視線を上げ直す途中で視野の端に、わずかに何かが見えた。影、のような何か。


 ただし、その形が、人間のものではなかった。頭の位置に対応する円のような領域。胴体に対応する縦長の領域。それらの位置関係が人間の身体の比例として自然ではなかった。頭に対応する領域が、胴体に対応する領域より、長かった。


 木口はもう一度廣澤の方を見ようとして見なかった。見なかった、というのは——見ようとして、視線が途中で止まった。視線の止まった先には、影だけがあった。見なかったことを、メモに書かなかった。書く理由が思い浮かばなかったのだ。断言できない、ということ自体も、メモには書かなかった。

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