第58話 読んだ者〔野田の野帳〕
翌日、野田は中川に呼ばれた。調査室の中川の席に行った。中川は座っていた。机の上に書類が並んでいた。
「木口主査と解読担当者の所在確認が取れません」と中川は言った。「正式に退職処理を進めることになりました」「退職、ですか」と野田は聞いた。
「はい。委託担当者については契約終了として処理します」
「警察への届け出は」
「ご家族から所在不明届を出すことができます。職場としては退職処理を進めます」
退職処理。
その言葉を、野田は受け取った。受け取って、しばらく見た。「退職」というのは、自分の意志で職を退くことだ。所在不明であることと退職することは、本来別の事象だ。所在不明のままで退職処理をするというのは論理的におかしい。
しかしその論理的におかしいことを、中川は処理しようとしていた。処理することが中川の仕事だった。野田はそれを止めなかった。止める権限が、自分にはなかった。
権限がない、というのも、後から考えればおかしな話だった。野田は調査の主査ではない。野田は調査員だ。主査が所在不明になったとき、現場の状況を判断するのは、調査員の誰かのはずだ。誰なのか——誰なのかが、すぐには確定しなかった。
ともあれ、中川は処理を進めた。処理が進むのを、野田は止めなかった。その後、十月の半ばに報告書編集が始まった。編集校閲には外部から佐伯志保が入った。野田は野帳の最終整理と付録Aの調査経過の執筆を担当することになった。
書きながら、野田は気づいた。木簡第一枚の「土の下より来たる者 地の名を持ちて至る その名は記録に残らず ただ記録の側に転ぜらる」を、自分が体験している、ということに。地の名——「骸ケ谷」「逆山」「SK-07」「SI-0666」「N-001」——を、自分は記録している。「その名は記録に残らず」というのは、土地の本来の名前が消える、という意味とも読める。あるいは、記録者自身の名前が記録に残らない、という意味とも読める。
「ただ記録の側に転ぜらる」。記録の側に転ぜられた者、というのが、誰のことか——書きながら、考えた。考えながら、自分の手帳に書いた文字を見た。最近、野田の手帳に書いた覚えのない一語が混じるようになっていた。「整理員として——」と書きかけている行が、二箇所あった。「主査として——」と書きかけている行が、一箇所あった。
野田は調査員だ。整理員でも主査でもない。しかし手帳には、その語が混じっていた。書いた覚えはない。しかし、書いた手は自分の手だった。誰かが代わりに書いたわけではない。野田の手が書く意識のないままにその一行を残していた。
書いた手は自分の手だった。確認して、消さなかった。消す気が起きなかった。




