第56話 解読の四段〔野田の野帳〕
その夜、現場小屋に残された解読担当者の最終報告書を、野田はもう一度、机に広げた。四枚の木簡の写真と最終的な読み下し。第一枚。「土の下より来たる者 地の名を持ちて至る その名は記録に残らず ただ記録の側に転ぜらる」。 第二枚。「来たる者は記す 記す者は留まらず 次なる者を呼ぶ」。 第三枚。「呼ばれたる者 既に内にあり 知らずして応ふ」。 第四枚。「この手順を記した者も かつては 来る者であった 次に記す者へ伝ふ」。
第四枚の最後の二行が確定されていた。判読困難であった部分は、解読担当者によって「書かれていた通りに、原稿に転記」されたと報告書本文に注記が付されていた。野田はその四枚を、何度か読んだ。四枚は論理的に連続していた。一枚目から二枚目、三枚目への構文の流れが整っていた。四枚目はその上に乗る最終句として、明確に閉じていた。
来る者→記す者→呼ばれる者→「この手順を記した者も かつては 来る者であった 次に記す者へ伝ふ」。四段構成。最後は最初に戻る再帰構造。野田は、紀北の現場で見た樋口の最後の野帳を、頭の中で並べた。「明るすぎる」と一語だけ書かれていたあの野帳。
樋口は——「来る者」だったのか、「記す者」だったのか、「呼ばれた者」だったのか。判断できなかった。樋口は、四段のどこかに位置していた、というのは確かだった。しかしどの段かは判断できなかった。
判断できないままで、十年が過ぎた。第四枚を、野田はもう一度読んだ。「この手順を記した者も かつては 来る者であった」。手順を最初に作った者が、かつてその手順の中の一段階にいた、という構文。手順が、世代を超えて引き継がれてきた、という構文。
書いた者が、書かれた者の中に入っている、という構造。その構造を、野田は知っていた。別の場所で、何度か見た構造だった。たとえば、と野田は思った。
いま、自分の手元には、暫定読み下しの紙がある。紙を見ているのは調査員・野田彩乃の目だ。後日、自分はこの場面を報告書の本文に書く。「七月二十二日の夜、調査員・野田彩乃は暫定読み下しの紙を見た」と。
書かれる側の自分は、書く側の自分よりも、わずかに過去にいる。書く側の自分は書かれる側の自分のことを「観察した者」として記録する。観察した者が観察された者になる。その入れ替わりの瞬間は書く瞬間に起こる。
骸ケ谷の調査の報告書も、いずれそうなる。報告書の中に、木口、松田、解読担当者、自分、佐伯、中川——いずれの名前も、登場人物として記載される。記載した瞬間に、その人たちは報告書の中の人物になる。報告書の中の人物と報告書を読む人との間に、どれくらいの距離があるのか。
その距離が紙一枚分なのか、ページ一枚分なのか、行間一行分なのか——野田には、判断できなかった。野田は紙を置いた。紙を置く動作は確かだった。手が、机の上に紙を置いた。
そのことだけが確かなことだった。




