第55話 七月二十二日午後〔野田の野帳〕
七月二十二日の朝、現場小屋に解読担当者からの最終報告書が届いた。郵便で前日に発送されたものだった。差出人欄に「木簡解読委託」とだけ印字されていた。担当者名の記入はなかった。野田は午前中、現場の整理作業中にその封筒が現場小屋に持ち込まれるのを、視界の端で見た。受け取ったのは木口だった。木口は封筒を受け取って、自分の机に持っていった。
午前中、木口はその報告書を読んでいた。野田は時々、現場小屋の窓越しに木口の背中を見た。木口は冊子の一頁を、長く見ていた。次に冊子を閉じる動作がわずかに遅かった。
昼の休憩のとき、野田は木口に声をかけた。
「報告書、来たんですか」「はい」と木口は答えた。
「四枚、すべて、読めたんですね」
「読めたというよりは——書かれていた通りに、転記された、と」木口の声が、平らだった。
「と、言いますと」
「お読みいただければ、ご理解いただけると思います」木口は冊子を、野田の方に少し押し出した。野田は冊子を取り上げた。表紙の「骸ケ谷出土木簡四枚 最終解読報告書」を見て、開いた。最初の数ページの、四枚の暫定読み下しはこれまでに見てきたものと同じだった。第四枚の最後の二行——「この手順を記した者も かつては 来る者であった 次に記す者へ伝ふ」——が、判読された状態で確定されていた。
しかし、野田の手が止まったのはその後の別紙だった。「本日の現場における出来事(記録)」と表題の付いた、一枚の別紙。別紙には、本日——令和五年七月二十二日——の現場の出来事がすでに過去形で書かれていた。「午後二時前後、現場の南西区画にて、調査主査・木口照彦の所在不明。野帳に書きかけの記述あり。『主査として、本日の作業を——』」。
まだ、昼の十二時半だった。午後二時前後の出来事が報告書の別紙にすでに書かれていた。野田はその一文をしばらく見た。見たあと木口の方を、見た。
木口は何も言わなかった。冊子を閉じる動作がゆっくりだった。野田は別紙の続きを読もうとした。次の段落の見出しは「午後三時過ぎ、現場の所在確認結果」となっていた。
その下の本文は印字されていなかった。
空白だった。
午後三時過ぎ、現場の所在確認の結果は書かれていない。野田はその空白を見た。午後二時、野田は別の区画で床面測量を始めようとしていた。三脚を立てる作業を始めて、数分が経った。
三宅が現場の南西区画から息を切らせて走ってきた。「木口主査がいません」と三宅は言った。野田は三脚の調整を止めた。
「いない、と」
「数分前まで、ここにいたんですが。野帳を、置いたまま」三宅の手に、木口の野帳があった。野田はその野帳の最後のページを見た。「主査として、本日の作業を——」。
書きかけの一行。午前中に読んだ報告書の別紙の引用と一字も違わない。野田はその一致を確認した。書かれていた通りの記述が現場に現れていた。
午後三時前、現場の南西区画でもう一度所在確認を行った。見つからなかった。午後三時過ぎ、野田は現場小屋に戻った。木口の机の上に、報告書の冊子が、開いたまま、残されていた。別紙のページが表になっていた。
「午後三時過ぎ、現場の所在確認結果」の見出しの下が、まだ空白だった。野田はその空白をしばらく見た。報告書を書いた者は午後三時過ぎの結果を書かなかった。書かなかったのは書く必要がなかったからなのか、書く者がもう、いなかったからなのか——野田には、判別できなかった。
判別できないということを、判断にしなかった。現場日誌に、その日の最終記述を誰が書くべきかを、現場の全員が互いに譲り合った。最終的に、野田が書いた。「七月二十二日。午後二時前後、木口主査の所在確認不能。午後三時過ぎの所在確認結果:(空白)」。
書きながら、その記述が、報告書の別紙の見出しと構造として一致していることを、確認した。ペンの跡が紙に残った。




