第50話 明るすぎた七月〔野田の野帳〕
あの七月は明るすぎた。影が薄かった。野田彩乃はそのことを後から繰り返し思い出した。発掘現場の上空に薄い雲がかかっていた日も、終日の晴天だった日も、明け方の靄が残っていた日も——光の質がいつもより明るかった。日差しの強さの問題ではない。気温の問題でもない。視界に入る世界が全体として「明るすぎる」状態にあった、という記憶として後から残った。
建物の陰、樹木の陰、自分の足元の影——いずれも、輪郭が淡くなっていた。日没の時刻に至っても、谷の底の発掘現場には、一定の「明度」が残っていた。地表が光を返している、というよりは、地表それ自体が光っている、という感覚に近かった。
光の質に違和感を持ったのは、野田だけではなかった。三宅も、似たような言葉を出したことがあった。「ここ、明るいですね」と七月の半ばに言っていた。木口は「光量を測定しよう」と提案して、照度計を現場に持ち込んだ。
測定結果は、季節相応の照度だった——数値の上では、何も異常ではない。しかし数値と感覚の間にある乖離を、現場の全員が無言で共有していた。共有していた、というのも、誰かと話して確認したわけではない。話さなくても、共有されていることだけが確かなことだった。
その「明るすぎる」感覚を、野田は十年前に一度、別の場所で経験していた。二〇一三年の夏。和歌山県紀北地方。樋口さとみと一緒だった現場。
その記憶を、野田は骸ケ谷の現場では、最初の数週間、思い出さなかった。思い出さなかったのは思い出さないように身体が判断していたからだ。判断したことを、野田は自分で意識していなかった。七月十六日、現場の床面測量を一人で行っていた日の午後、それが来た。
測量器具の三脚を立てて、ターゲットの位置を調整していた。三脚の脚に触れた手のひらが午後の日差しで熱を帯びていた。レンズの周囲には、潤滑油と樹脂の匂いが、わずかに残っていた。十年間、現場で扱ってきた器具の匂いだった。
三脚の影が地面に薄く落ちていた。輪郭がぼやけていた。日差しが強いのに、影が薄い。その影を見た瞬間、紀北の現場の三脚が頭の中に来た。樋口さとみがその三脚の向こうで手を振っている。
手を振った樋口は次の日にいなくなった。野田は十年間、その記憶を整理せずに持ってきていた。整理する必要を感じなかった。樋口の失踪は現場での事故として処理された。山中で迷い、滑落した可能性が高い、という結論だった。遺体は見つかっていない。
骸ケ谷の現場の床面に三脚を立てて、影を見て、紀北の三脚が来た。来たということは十年間、その記憶がどこかで残っていた、ということだった。残っていた、と野田は思った。今、初めて。
確認して、ターゲットの位置を調整し直し、仕事に戻った。仕事に戻った野田が、その日の野帳に何を書いたか——後で見返すと、書いた覚えのない一行が混じっていた。「明るすぎる場所で人は消える」。野田の字だった。
いつ、なぜ、書いたのか——野帳に落とさなかった。書いてしまったので、次のページに進んだ。




