第42話 本票をもって在籍の記録とする〔中川の業務記録〕
七月の末、人事整理の過程で廣澤のファイルを探した。毎年の七月末に、嘱託職員の在籍確認を行う習慣がある。十年間、変わらない業務だ。中川はその業務を「七月末の整理」と呼んでいる。エクセルの台帳を開いて、現在在籍する嘱託職員の氏名と契約期間と業務内容を確認する。確認したら判子を押す。それだけだ。
台帳を開いた。嘱託職員の欄に廣澤の名前があった。中川はその行に判子を押そうとして、いつもの手順で人事ファイルから廣澤の契約書を取り出すことにした。キャビネットを開けた。
金属の引き手が冷たかった。書類用キャビネットの一番上の引き出し。ア行から順に分類されている。古いラベルが貼ってあって、紙の色が部分的に変色している。
ア行を確認した。
カ行。
サ行。
タ行。
ナ行。
ハ行——ヒ。
廣澤の「ヒ」の位置に、廣澤のファイルがない。中川はその位置を、しばらく見た。前後のファイルの間に、ファイルが入る余地はある。空白がある。しかし空白に、廣澤のファイルがない。
二番目の引き出しを確認した。間違って下に入れている可能性がある。
ない。
三番目。
ない。
書庫を確認した。デジタル台帳を検索した。過去十年分の人事記録を確認した。「廣澤」の検索結果がゼロだった。
どこにもなかった。中川は給湯室まで歩いた。歩いている間、廊下の蛍光灯が頭の上で続いていた。リノリウムの床に、自分の足音が薄く響いた。給湯室のドアをスライドで開けた。誰もいなかった。
ウォーターサーバーの紙コップに水を注いだ。冷たかった。一度に飲み干した。飲み干してから、なぜ給湯室に来たのかを確認した。喉が渇いていたわけではない。「廣澤のファイルがない」という事実の前で、身体がその場を離れる行動を選んだ。それだけだ。
窓から外を見た。駐車場。空。雲が高い。夏の空だ。
廣澤は十年間いた。会議のたびに先に来ていた。校閲を入れてきた。確かにいた。十年前の着任日、廣澤は会議室にいた。一週間前、廣澤は調査室の自分の席にいた。三日前、廣澤は廊下で野田と話していた——という確認はしていないが、誰かがそう言っていた気がする。
しかしその事実を示す書類がどこにもない。コップをシンクに置いて自分の席に戻った。机の上には、本日の処理書類がいつもの順序で並んでいた。左上に申告書類、右上に外部問い合わせ対応書類、左下に台帳、右下に手順書類のコピー。中川が毎朝、自分で並べているのか、誰かが並べているのか——確認したことはなかった。確認の必要を、業務上、感じなかった。
並べる順序は、十年間、変わっていなかった。書類の一番上のものを取り上げた。書式を取り出した。「嘱託採用確認票」。空欄が並んでいる。
氏名:廣澤 文彦。 雇用区分:嘱託(無給)。 担当業務:報告書校閲・用語統一・抄録整理。 雇用開始日:(記入なし)。 雇用条件:無給・無期限・勤務日数規定なし。
書きながら、なぜこの項目を埋められるのかを、中川は確認しなかった。確認しなくても、これらの情報は中川の中にあった。「無給」「無期限」「勤務日数規定なし」——これらの語が、書類を埋めるべき言葉としてすでに用意されていた。誰が用意したのか、業務上、追跡する必要のある事項ではなかった。
備考欄に書いた。「採用に関する書類が当調査室の人事ファイルに存在しない。口頭説明によれば『最初からいた』とのことだが、文書による根拠は確認できなかった。本票をもって在籍の記録とする」。
書いた後、「本票をもって在籍の記録とする」という一文を読んだ。この書式が存在することで、廣澤の在籍が証明される。書式を作ったことが証明する。その循環を確認した。
なぜそれで十分だと感じたのかは後から考えても説明できなかった。しかし十分だという感覚は揺るがなかった。判子を押した。台帳の「廣澤 文彦」の行に、判子を押した。判子の朱肉が紙に乗った。乾くのに数秒かかる。
朱肉の匂いが、机の周りにわずかに広がった。十年間、毎日のように嗅いできた匂いだった。鼻の奥に、酢のような、油のような、独特の刺激が残った。判子の縁が紙に押し付けられた時の、ごく短い「ぱす」という音。台帳のページが判子の圧でわずかに沈んだ。
乾く間に、自分の手を見た。左手の薬指の爪が目に入った。白い。整っている。変なところは何もない。それだけが確かなことだった。
台帳を閉じた。その夜、家に帰ってから廣澤の声を思い出そうとした。十年間、廣澤と話してきた。会議で、廊下で書類の受け渡しで。何度話したか、数えていない。百回は超えるはずだ。
どんな声だったか。考えたことがなかった。静かな声だったと思う。低かったかもしれない。
しかしその「思う」が、何に基づいているのか、確認できなかった。手順上、確認不要と判定した。布団に入った。眠った。




