第35話 次〔松田の整理台帳〕
八月十八日、松田のスマートフォンに新しい録音データが保存されていた。松田は録音アプリを使う習慣がなかった。仕事で使うこともなければ、私的に使うこともない。インストールはしてあるが、起動した記憶がない。
しかし、その夜、ホーム画面に「録音アプリの通知」のアイコンが表示されていた。アイコンを開いた。録音データが、十二件、保存されていた。最初の一件は八月十二日。 二件目は八月十三日。 三件目は八月十四日。
毎日、一件ずつ、保存されていた。録音時刻は各日とも午前三時前後。松田は午前三時に起きていない。眠っていた。眠っている間に、スマートフォンが録音を行っていた、ということになる。
最初のデータを再生した。
無音だった。
四十七秒間、ほぼ無音の録音だった。背景に、わずかな空気の流れの音と自分の呼吸らしき音。それだけだった。最後の三秒で、声がした。
「次」。
女性か男性か、判別できない声だった。低くも高くもなかった。「次」とだけ言って、録音が終わっていた。松田は二件目を再生した。
同じだった。四十数秒の無音のあと「次」。三件目も同じだった。毎日の録音が毎日「次」と言って終わっていた。
松田は十二件すべてを再生した。すべて同じ構造だった。無音、「次」。録音時間は毎回少しずつ違うが、最後の「次」は共通していた。
声を、聞き比べた。全件、同じ声だった。その「次」を、松田は判別できなかった。何の「次」なのか。誰の「次」なのか。
判別しようとして、止めた。録音アプリを閉じた。スマートフォンを机に置いた。ベッドに入った。
眠れなかった。眠れないまま、午前三時を待った。待つ間、暗い天井を見ていた。暗い天井の中央に、淡く円の像があった。
円の中心がこちらを見ていた。目をつぶった。瞼の裏に、同じ円があった。目を開けた。天井の円と瞼の裏の円が同じ位置にあった。眼球を動かしても、円の位置は視野の中央から動かなかった。
円の中心の凹みが、わずかに深くなっているように、見えた。午前三時前、スマートフォンが画面が一瞬光った。光ったあとすぐに消えた。翌朝、録音データが一件、増えていた。十三件目。
松田は再生しなかった。再生する気が起きなかった。その日、台帳に書いた。「録音データ、十三件保存。原因不明。録音中の意識なし」。
書きながら、台帳のページの白い余白に薄く円の像が浮かんでいた。書いた文字の下に、円があった。書いた文字を読む視線が円の中心に引き寄せられた。書いてから、その記述を誰に提出するべきかを考えた。
考えた結果、提出しなかった。提出する文書としては、整理しなかった。台帳の隅に、書いただけにした。




