↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/64

第32話 N-124〔松田の整理台帳〕

 八月十二日、外部分析機関から角質片に関する追加調査の結果が届いた。角質片の総数は、現場の最終確認時点でN-001からN-124まで、百二十四点となっていた。整理室で受け入れた時点の番号はN-001からN-110までの百十点だった。途中で十四点増えた経緯について、松田は確認していた。差分の十四点は、現場の床面下からの追加採取で、現場最終日の前後に発見されたものだった。


 追加調査の結果報告書は外部分析機関の名前で送付されてきた。封筒の中に、五十ページほどの分析結果が入っていた。元素分析、年代測定の結果、形態分析、文字痕の判読——複数の項目に分かれていた。文字痕の判読の項目に、特に注目すべき記述があった。


 「N-111からN-123までの十三点について、表面に微細な刻字が確認された。刻字は人名と日付の組み合わせと推測される」。松田はその一行を読んだ。報告書の付録Lに、各点の刻字内容が一覧化されていた。


 付録Lのページを、松田は開こうとした。封緘されていた。報告書の本文と付録のほとんどは、通常の綴じ方になっていたが、付録Lだけがページの縁が糊で封じられていた。封の上に「外部閲覧不可」のスタンプが押されていた。


 松田は封緘部分を指でなぞった。糊は、乾いていた。乾いた糊の表面が少し凹凸を持っていた。剥がそうとすれば、剥がれるはずだった——糊の硬化が、まだ完全ではないように指先に感じられた。


 しかし剥がす権限が、整理員にはない。松田は糊から指を離した。離した指の先に、わずかに糊の粒子が付着していた。爪の縁を、見た。


 左手の薬指の爪の縁に、糊の粒子が薄く残っていた。白い。今日も白い——という確認の前に、糊の粒子が爪の縁にある。松田はその粒子を指で擦った。擦っても、すぐには落ちなかった。


 封緘されたページの本文は読めなくても、本文の冒頭の概要は読めた。概要によれば、N-111からN-123までの十三点の刻字は各点それぞれに「姓名一名」と「日付一日分」が刻まれていた、ということだった。日付の幅が概要に記載されていた。「令和五年八月から、令和六年四月までの範囲」。


 令和六年四月。松田はその日付をしばらく見た。骸ケ谷の調査報告書の刊行予定が令和六年三月二十五日。各図書館への発送が、四月以降——という連絡を、松田は先週、調査室の月例伝達で聞いていた。


 刻字の最後の日付の範囲が報告書の刊行月と一致している。令和六年四月までの日付。その後の日付は、概要には、記載されていなかった。令和六年五月以降の日付は、ない、ということだ。


 あるいは——令和六年五月以降の日付を、書く必要が、なかった、ということでもある。書く必要がなかった理由を、松田は、考えそうになって、考えなかった。考えると自分の名前が十三点のうちの一点に刻まれているかどうかが確認したくなる。確認したくなるという衝動を、松田は抑えた。


 抑えるために、もう一度封緘部分を指でなぞった。糊の粒子を、爪の縁にもう一度、付着させた。封の縁を、ほんの少し、指で押した。一ミリ、二ミリ——封の縁が少し浮いた。


 浮いた縁から、内側の紙がわずかに見えた。縦書きの活字が見えた。最初の一文字——「佐」のように見えた。あるいは「松」のように見えた。あるいは「中」、あるいは「木」、あるいは「野」のように——光の角度で、見える文字が変わった。


 松田は封の縁を指で押し戻した。糊が、再びページを留めた。糊の粒子が爪の縁に増えていた。封緘の上に、もう一度「外部閲覧不可」のスタンプが、押されているのを確認した。


 松田は封緘されたページを開かなかった。開ける権限が、整理員にはない。台帳に、書いた。「N-111〜N-123、十三点の角質片に人名と日付の刻字。日付の範囲は令和五年八月から令和六年四月。封緘により本文確認不可」。


 書いてから、その記述の下に書き加えようとして、書かなかった一行があった。「令和六年五月以降の日付はなかった」。書かなかった理由を、整理上の保留事項として扱った。現場と整理室と編集の関係者は何人いるか——を松田は数えることができた。木口、三宅、野田、塚崎、今泉、解読担当者、外部測量担当者、外部分析担当者、廣澤、佐伯、中川、自分——十二人。


 指を折って、数えた。数え終えた指の感覚は十三を示していた。もう一度、数えた。名前は十二しか挙がらなかった。指は十三を示していた。十三人目の名前を、松田は挙げることができなかった。挙げることのできない一人が関係者の中にいた。十三点の角質片。十三人の関係者。数の対応を、松田は認識した。


 認識したことを、台帳に書かなかった。数えなかった、と自分に言い聞かせた。封緘された付録Lを、本棚の元の場所に戻した。戻すとき、指先をもう一度見た。


 糊の粒子がまだ残っていた。白い、と言える状態では、もう、なかった。台帳を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。