第26話 兄へのメッセージ(六月)〔未送信〕
兄に、メッセージを送ろうとした。松田には、東京で働く五歳上の兄がいた。兄は商社勤めで、海外との行き来が多い。連絡は不定期だ。月に一度くらい、互いの近況を短く伝え合う。短い文章で済ませる関係だ。
六月の末、松田はスマートフォンを開いて、兄あてのメッセージ画面を立ち上げた。「兄さん、新しい現場に配属になった」と打った。打って、消した。「現場と言っても、整理室の仕事だけど」と打ち直した。
また消した。
書きにくい、と思った。兄に、骸ケ谷の現場のことをどう書けばいいか——を考えると適切な言葉が出てこなかった。「特別埋蔵文化財調査室の整理員として、新しい案件に入った」と書けば事実は伝わる。しかしその事実だけを伝えるための文章が不自然に長くなる。短く伝えようとすると何かを省く必要がある。何を省けばいいかが判断できなかった。
画面に書きかけの文字が残っていた。「現場と言っても」。松田はその六文字を、しばらく見た。「現場と言っても」——のあとに、何が続くのか。
現場と言っても、整理室の仕事だ。 現場と言っても、特別な案件だ。 現場と言っても、これは何かが違う気がする。「気がする」と書きそうになって、止まった。
兄に「気がする」と書く、というのは、松田の習慣にはない。兄との会話は事実の伝達だ。「気がする」は事実ではない。松田の中の何かだ。それを兄に書くと兄は心配する。心配されると松田は応答しなければならない。応答することが、今は、できる気がしない。
メッセージを下書きのまま保存した。送信しなかった。翌日、下書きを開いた。「現場と言っても」の六文字がそこにある。
「自分も忙しい」と続きを書いた。書いて、また保存した。送信しなかった。二日後、下書きを開いた。続きを書こうとした。
「整理員として、忙しい」と書きかけて、消した。「自分も」と書きかけて、消した。主語が書けなくなっていた。兄に向ける主語が「自分」なのか「整理員」なのか——その判断が、できなくなっていた。「兄さん、自分は——」と書こうとすると自分の現在地が定まらない。「兄さん、整理員として——」と書くのは、家族向けのメッセージとして不自然だ。
メッセージを閉じた。送信しなかった。




