骸ケ谷 既往記録抄(二)
(四) 週刊誌記事「千葉県北東部の謎の谷、骸ケ谷とは何か」昭和四十九年八月 記事原文より抜粋
千葉県北東部の某地区に、地元の人々が「骸ケ谷」と呼ぶ谷がある。記者は今回、この谷を取材した。地元の住民への聞き取りでは、「あの谷には行かない方がいい」という言葉が、繰り返し聞かれた。理由を尋ねるとはっきりした答えを得られない。「昔から、行く者は帰ってこない」と言う高齢者が多かった。
記者は谷の入口まで歩いた。地元の案内人に協力を仰いだ。取材担当者は谷の入口で案内人が立ち止まったことを確認した。案内人はそれ以上、奥に進もうとしなかった。
取材担当者は谷の中をひとりで進んだ。谷の中央部に、湿地状の窪地があった。植生は、両側の斜面と異なり、雑草と低木がまばらに分布していた。地表面に、人為的な遺構の痕跡は見られない。しかし、空気の質が谷の外側と中側で明確に異なっていた。記者は、谷の中で約二十分間、観察を行った。
観察中、取材担当者は奇妙な感覚を持った。谷の上方の空が一定の白さで覆われているように見えた。雲ではない。天井のような白さ。記者はそれを記録した。
帰路、案内人と合流した。記者は谷の中で見た「白い天井のような空」について、案内人に話そうとした。取材担当者はその話を切り出す前に案内人がすでに同じ感覚を経験していることに気づいた。案内人は「谷の中から見上げると空が天井に見える」と先に話した。記者は自分が体験したことが地元の人々の間で「よく知られた感覚」であることを知った。
骸ケ谷とは、何か。地名の由来は不明である。地元の文献には、明確な記述がない。取材担当者は、いくつかの郷土史家に確認を取ったが、誰も確かなことを言わなかった。「昔から、そう呼ばれている」というだけだった。
記事の取材を、ここで打ち切る。記者は谷の中で見た「白い天井」の感覚を、今も思い出す。取材担当者は別の取材に移った。
[編注]本記事は、原文において、文中の語り手の名乗りが「記者」と「取材担当者」の間で揺らいでいる。一つの段落の中で、両方の名乗りが交互に現れる箇所が複数ある。校閲上、いずれかに統一するべきと判断されるが、本『既往記録抄』編纂者は、原文の揺らぎを保持した。揺らぎの中に、何かを記録した者の身元が特定し難い形で残されていると判断したためである。読者の判断に委ねる。
(五) 『骸ケ谷予備調査報告書(要旨)』平成十八年三月 県教育委員会
平成十七年度の予備調査として、骸ケ谷地区における埋蔵文化財の有無について、現地踏査および表土サンプリングを実施した。踏査の結果、地表面において人為遺構の痕跡は確認されなかった。ただし、表土サンプリングにより、複数点の人工物片が回収された。回収された人工物片は形態的特徴から長期間の埋蔵を経たものと推定される。
地下構造に関しては、簡易な地中レーダー探査を実施した。結果として、地下三〜七メートルの範囲に何らかの遺構の存在を示唆するデータが得られた。詳細については、本格調査による確認を要する。予備調査の過程で、調査担当者の一名が、当地での作業中に体調不良を訴え、調査から離脱した。離脱した担当者はその後の所在が確認されていない。詳細については、本調査室の関連記録を参照されたい。
本予備調査を踏まえ、骸ケ谷地区については「特定類型調査案件」として、本格調査の対象とすることが妥当と判断される。本格調査の実施時期および体制については、別途協議を要する。
(六) 補遺
以下は本『既往記録抄』の編纂後、追加で確認された事項について、補遺として記すものである。令和五年三月、本調査室は、千葉県北東部の埴生郡における埋蔵文化財の本調査を、骸ケ谷地区において実施することを決定した。決定に先立って、地区の予備調査記録および既往関連記録を、再度精査した。精査の過程で、本『既往記録抄』に未収録の関連記録が、複数確認された。
その内のいくつかを、補遺として以下に抄出する。第一に、本調査室の書庫の奥に保管されていた、未整理の調査記録ファイルがある。当該ファイルには、本『既往記録抄』の「(三)」項に該当する昭和二十四年三月の調査の、より詳細な記録が含まれていた。詳細記録によれば、当該調査では、調査担当者の所在不明事案が、一件ではなく、複数件発生していた。複数件の正確な件数は、ファイル内の記述が不明瞭であり、確定することができない。本記録抄編者の判断により、本補遺においても、件数の具体的な記述は控える。
第二に、本『既往記録抄』の「(二)」項に該当する大正十一年九月の踏査記録について、原本に綴じられていた未公開の付録が確認された。当該付録には踏査担当者・廣澤文彦による、当地の口承伝承の聞き書きが数項目記録されていた。聞き書きの中の一項に、こう書かれていた。「あの谷の名は、本来、別の名であった。然るに、その名を呼ぶこと土地の習いとして禁ぜられたり。今は『骸ケ谷』と呼ばる。然るにこの名も、後世、別の名に替はらん。記録の側は常に名を更新せん」。
以上の聞き書きは当地の地名そのものが、長期にわたって、何らかの仕方で「更新されてきた」ことを示唆する。地名の更新の機構については、踏査担当者の記述からは、確定することができない。第三に、本『既往記録抄』には未収録の、平成二十八年の中間調査記録が最近書庫の奥のキャビネットから発見された。当該記録は、平成期予備調査(既往記録抄「(五)」項)の後、追加で実施された中間調査の記録である。中間調査の担当者の名前は記録の表紙に記されていなかった。記録の本文において、調査担当者は自らを「記録者」とのみ称している。
中間調査の所見を、原文のまま、ここに抄出する。「当地における調査は調査者の連続性によって維持されている。各代の調査者は、前任者の記録を引き継ぐが、引き継ぎの過程で、自らも『当地に関する記録の一部』となる。本記録者もまた、本記録を残すことによって、当地に関する記録の一部となった。後任の記録者は、本記録を読むことによって、本記録者の連続性に組み込まれる」。
以上の所見は、当地の調査の性質について、極めて重要な示唆を含む。本記録抄編者は当該所見の解釈を読者の判断に委ねる。




