第24話 整理員として〔松田の整理台帳〕
松田誠一が骸ケ谷の調査の整理員として配置されたのは六月の最後の週だった。調査室の整理室は三階の北側にあった。窓のない部屋だ。蛍光灯が均一に光っていて、影が薄い。室温は一定に保たれている。温湿度管理装置の低い音が、常時、聞こえていた。その音を、二日目以降、松田は意識しなくなった。
部屋の空気には紙粉と整理品の保護に使う和紙の匂い、防黴剤のわずかな化学臭が混じっていた。最初の数日、松田は鼻の奥に違和感を覚えたが、三日目には感じなくなった。部屋の中央に長机が三台、横並びに置かれていた。長机の上に整理用のトレーが並んでいる。トレーには現場から運ばれてきた出土品の暫定整理品が並んでいる。土器片、木片、金属片、角質の小片、銭貨——種類ごとにトレーが分かれていた。
松田はそのうちの一卓で作業を始めた。最初の数日、松田は自分のことを「自分」と呼んでいた。手帳に書く記録の主語も「自分」だった。「自分は整理を進める」「自分はこの分類が妥当と判断する」「自分は今泉さんに確認を取る」。整理員として、ということではない。職務上の判断は自分自身の判断として記録していた。
七月に入って、その主語が少しずつ変わり始めた。最初に変わったのは台帳の記述だった。台帳の備考欄に「整理員として留置する」と書いた一行が、七月三日の項目にあった。書いたのは松田だ。書いた手が自分の手だった。書いた瞬間を、覚えていた。N-013の分類について判断に迷い、暫定的に「留置」とする処理を行った。書類の様式に従って、判断の主体を記入する必要があった。「自分として留置する」と書こうとして、ペンが止まった。次に動いたとき、「整理員として留置する」と書いていた。
書いた字を、しばらく見て、間違えた、と思った。「自分」と書こうとして、「整理員」と書いた。訂正の二重線を引こうとして、引かなかった。引く理由が思い浮かばなかった。「整理員として」という主語は、台帳の記述として文法的に間違っていない。意味も通る。むしろ業務記録としては、より客観的な主語だ。「自分」よりも「整理員」の方が、書類の主語として相応しい。
訂正しないことに、決めた——決めた、というのも、後から考えれば奇妙な決定だった。書類の主語を一語決定するために、わざわざ「決める」という意識的な行為が必要だったのか。普段、書類の主語は書く前に自然に決まっている。書きながら決めることはない。
しかし、その日、松田は「決める」必要があった。決めたあと「整理員として」を使い続けた。七月七日の台帳の項目に、「整理員として」が四箇所、出てきた。七月十日の項目に、六箇所。
七月十六日には、ほぼ全ての記録の主語が「整理員として」になっていた。松田自身は変化を意識していなかった。意識しないまま、書いていた。書いた後、ページを見返したときにそれが目に入った。目に入ったが、訂正しなかった。
訂正する理由を、思い浮かべる気が起きなかった。




