第20話 写真二〇と二二〔木口の現場日誌〕
七月十二日、木口は現場の写真記録を確認していた。現場の記録写真はデジタルカメラとフィルム式のカメラの二系統で撮影していた。デジタルは即時の記録用、フィルムは長期保存用——という運用だった。フィルム式は本調査室の伝統的な手順として現在も継続されていた。
七月十二日の昼、フィルムが現像から戻ってきた。前週分、二十四枚撮りのフィルム三本。合計七十二枚の写真が紙焼きで届いていた。木口は写真を、整理用のテーブルに並べた。
番号順に並べていった。写真一番から、写真十九番まで——これは現場全景、SK-07の進行状況、SI-0666の主柱穴の検出状況、出土遺物の出土時状況——通常の現場記録写真だった。
写真二〇番。
SI-0666の主柱穴の真上から撮影した写真だった。撮影角度はほぼ真下を向いている。主柱穴の内部が上から見えている。その写真に、もう一つ何かが写っていた。
主柱穴の中央付近、深度の見当として地表下約一・五メートルあたりの位置。白い、円形の何か。直径推定二十センチ。輪郭がぼやけている。光の反射のように見えなくもない。しかし、主柱穴の内部は、撮影時には日陰になっていた。光の反射ではない。
円形の中心がわずかに凹んでいた。木口は写真を、しばらく見た。円形の中心の凹みが何かを連想させた。連想させた何かを、木口は意識的に整理しなかった。整理する気が起きなかった。
次の写真。写真二一番。同じ主柱穴を、別の角度から撮影したもの。写真二一番には、円形のものは写っていなかった。
写真二二番。写真二〇番とほぼ同じ角度から撮影されていた。撮影時刻は写真二〇番の三十秒後と記録されている。写真二二番にも、円形のものが写っていた。
写真二〇番より、わずかに大きい。輪郭がわずかに鮮明だ。中心の凹みがわずかに深い。二〇番と二二番の間に、何か変化があった——というよりは、二〇番から二二番にかけて、写ったものが「成長している」ように見えた。
木口は両方の写真を机の上に並べた。しばらく見た。しばらく、というのがどれくらいの時間だったかは覚えていない。記憶の上では、長い時間だった。実際の時間はもっと短かったかもしれない。
写真二〇番と二二番を、撮影したのは木口自身だった。撮影した瞬間を、思い出そうとした。撮影した瞬間、ファインダーの中に円形のものが見えたかどうか——覚えていなかった。普通、撮影時に異常な被写体があれば、覚えているはずだ。しかし、覚えていなかった。
覚えていない、ということは、撮影時には、見えていなかった、ということになる。現像で出てきた写真にだけ、写っていた。外部分析機関に追加分析を依頼することも、考えた。しかし、写真の取り扱いについて、廣澤校閲の指示があった。「現場記録写真は本調査室で保管管理する。外部への送付は特別な事情がある場合に限る」。
木口は中川に相談した。中川は「廣澤校閲のご判断を仰ぐ必要があります」と答えた。翌日、中川から回答があった。「写真二〇番と二二番について、廣澤校閲のご指示は、『健康管理記録に綴じて封緘する』とのことです」
「封緘、と」
「はい。物理的に開封できないよう、糊で封じます」
「現物の写真ですか」
「写真とネガと両方です」木口は、その回答をしばらく考えた。考えてから、現像済みの紙焼き写真の二〇番と二二番を、封筒に入れた。同じフィルムのネガフィルムから、二〇番と二二番のコマも、別の封筒に入れた。封筒の口を、糊で塗った。糊が乾くのを待った。
乾いた封筒の上に、付箋を貼った。「写真二〇・二二、ネガ二〇・二二。封緘日:令和五年七月十三日。木口主査による封緘」。
現場の健康管理記録のファイルに綴じた。付録Iの位置に綴じた。ファイルを閉じた。ファイルを閉じる前に、もう一度封筒の表面を見た。
封筒の表面に、写真の中身は見えなかった。封筒を透かして見ようとしても、紙が厚くて、中身は見えなかった。封緘した、ということは、もう写真の中身を、見ることができない、ということだった。木口はその「見ることができない」状態を、確認した。
確認して、ファイルを閉じた。その夜、宿舎で手帳に書いた。「写真二〇番と二二番に、原因不明の円形被写体。封緘処理を実施」。
「円形被写体」と書いた。「眼球様の形態」とは、書かなかった。書く前に、その表現を自分の中で選んでいた。
選んだ結果が「円形被写体」だった。書いた字を、しばらく見た。




