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第19話 床面下熱源〔木口の現場日誌〕

 七月二日、SI-0666の床面下から熱源探査の結果が返ってきた。現場の床面に異常な熱分布があるかどうかを、外部の地中レーダー班に依頼していた。表土の温度分布、地中構造、熱反射のパターンを総合的に検査するものだった。結果は四十ページの報告書として返ってきた。


 報告書の主要所見はこうだった。「SI-0666の主柱穴の真下、深度約一・五メートルの位置に、周囲より高温の点状の熱源が確認される」。熱源の温度は周囲より約三・二度高い。点状の熱源、というのは、地中構造としては奇妙だった。地中の温度は深度に応じて滑らかに変化する。点状の高温部分は、地中熱水活動か、人工的な熱源(地下ケーブル等)がある場合に限られる。


 骸ケ谷では、地中熱水活動の地質的根拠はなかった。地下ケーブルの埋設記録もなかった。しかし、点状の高温部分があった。深さ約一・五メートル、直径推定二十センチ、温度は周囲より三・二度高い。


 熱源の正体は特定できなかった。外部の地中レーダー班は「掘削して確認することを推奨する」と但し書きを付けていた。しかし、SI-0666は主柱穴を含む文化財遺構として、保存が優先される対象だった。掘削して確認するということは、遺構を破壊することを意味する。


 現場と調査室で協議の結果、熱源の掘削確認は行わないことになった。熱源の存在は「外部閲覧不可」として、報告書の付録に記録されることになった。現場日誌に、木口は書いた。「SI-0666主柱穴の真下に点状熱源を検出。掘削確認は行わず。報告書付録に封緘記録」。


 書きながら、奇妙な感覚を持った。点状熱源は何かの「源」だ。「源」というのは、「そこから何かが出てくる場所」だ。しかし、その「何か」が、何なのか——掘削しないので確認できない。


 確認されないまま、その「何か」の出処は、報告書の付録に封じられる。封じることは、隠すことでもあった。隠蔽——という言葉を、木口は書類に書かなかった。書く前に、業務上の評価を行った。「隠蔽」という語は、業務記録に対して、否定的な含意を持つ。主査として、自分の業務を「隠蔽」と分類することは、業務記録上、不適切な記述である。手順書の所定の項目に従って、「封緘」と書く。封緘は、業務上、適切な処理である。


 評価の結果に従って、「封緘」と書いた。「隠蔽」とは、書かなかった。書く必要が、実務上、認められなかった。七月二日の夕方、現場の閉鎖前、木口は一人でSI-0666の主柱穴の縁に、しゃがんだ。


 他の調査員は撤収の片付けに入っていた。木口は、点状熱源の検出地点の真上の地表に、もう一度耳を当てたいと思った。地中レーダー班の報告書が「掘削確認を推奨」と書いていたが、現場として掘削しない判断をした。せめて、地表の振動を自分の耳で確認したかった。


 耳を、地表に近づけた。地表の土の冷たさが頬に触れた。最初は何も聞こえなかった。風の音、調査員の話し声、軽トラの遠い音——そういった地上の音だけが聞こえた。


 しかし、二、三十秒、そのままでいると——地中から、わずかな、振動が伝わってきた。音、ではなかった。土の中の微細な振動が、耳の骨に直接、伝わってくる感覚だった。鼓膜を通さない種類の音。地中の物質が何らかの周期で振動していて、その振動が頬と耳の骨をわずかに揺らしていた。


 その振動を、しばらく感じていた。感じているうちに、頭の中でその振動が別の何かに変換され始めた。


 旋律。


 ピアノの旋律のように、頭の中で響き始めた。旋律の輪郭はぼやけていた。明確な曲ではなかった。しかし、複数の音階が順番に聞こえてくる構造はあった。耳の骨に伝わる振動が、頭の中で音階として再構成されている、と感じた。


 子供の発表会で、よく弾かれる、簡単な練習曲のような旋律。誰かが——いまこの瞬間に——どこかで、ピアノを練習しているような旋律。木口は地表から耳を離した。離した瞬間、頭の中の旋律も、止まった。


 地表に、もう一度耳を近づけた。振動がまた伝わってきた。頭の中で、また旋律が響き始めた。地中で、誰かがピアノを弾いているのか。


 そんなことは、物理的にありえない。SI-0666の深度一・五メートルの位置には、ピアノを置くスペースはない。そもそも、地下にピアノはない。しかし、振動はある。


 振動を旋律として再構成しているのは自分の頭の中だ。地中にピアノはない。頭の中だけに、ピアノがある。地中の振動が自分の頭の中のピアノを呼び出している。


 木口は地表からもう一度耳を離した。離して、立ち上がった。立ち上がった瞬間に、めまいがした。耳の骨に残った振動の余韻が地面の傾きをわずかに誤認させていた。


 めまいを、業務上の問題として評価した。「現場主査として、長時間の前屈姿勢による一時的なめまい。業務継続に支障なし」。現場日誌に、振動のことを書かなかった。


 書く前に、業務記録の観点で評価した。「地中振動の主観的知覚。観測機器による測定の裏付けなし。業務記録への記載は客観性の観点から不適切」。


 書かなかった。しかし、宿舎に戻ってからも、耳の骨の中に振動の余韻が残っていた。

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