第17話 天井(野田)〔野田の野帳〕
六月二十九日、野田は現場の床面測量を行っていた。SK-07の南西の区画、新たに検出されたSI-0666の床面付近だった。SI-0666は柱穴を伴う遺構で、住居跡の可能性が示唆されていた。床面付近に主柱穴の痕跡があり、柱穴の周囲に砂利と粘土の層が薄く敷かれていた。
野田は床面に対して垂直に立っていた。三脚と測量器を、床面の上に設置していた。午後二時、ふと視線を上げた。現場の上方、開けた空が見えた。雲がほとんどなかった。日差しが、現場の床面に対して、わずかに斜めに射していた。
その瞬間、野田の中で何かが入れ替わった。空を見ているはずなのに、それが「天井」に感じられた。建物の中の天井ではない。天井としての空。野田の頭の上に、覆いかぶさるように存在する、白い天井。
現場の床面下からの視点で、空を見ていた。しかし野田は現場の床面の上に立っていた。立っているのに、床面下から見ている感覚があった。数秒、その感覚が続いた。
目をしばたかせた。空が、空に戻った。天井ではなくなった。しかし数秒の感覚は確かにあった。
野田は野帳を出して、書いた。「現場床面で測量中、上空が一時的に『天井』のように見えた。約三〜五秒間。錯視と判断する」。
書いて、ペンを置いた。「錯視と判断する」と書いた。錯視である、と確定したわけではない。しかし、ほかに表現のしようがなかった。三秒の感覚を、業務記録として書き留めるためには、「錯視」という分類が、最も近い言葉だった。
しかし、書きながら、野田の中に不安が残った。「錯視」というのは、視覚の側の誤認だ。本来そこにないものを、見たと感じる現象だ。しかし、野田の経験は、それとは少し違った。
空が天井に「見えた」のではない。空が、天井「だった」、という感覚。現実が反転していて、自分は地下から空を見上げていて、その空が天井である——という、世界そのものの構造の反転。その感覚を、「錯視」という言葉で記録できるのか。
判断できなかった。判断できないまま、野帳に書いた。ペンが紙を引っかく音だけが現場の沈黙の中に残った。




