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第8話 前夜〔木口の手帳〕

 会議は十一時三十分に終わった。九十分の予定で、ほぼ予定通りの終了だった。会議室を出るとき、出席者の何人かは廣澤の方を見た。廣澤は自分の席に座っていた。残るのか、出るのか、誰にも判別できなかった。会議が終わっても、廣澤は席を立たない。出席者が一人ずつ、会議室を出ていく。最後に中川が、書類を片付けて、出ていった。


 部屋を出る前に、中川は、廣澤の方を見て、軽く会釈した。廣澤も会釈した——気がした。頭の角度が、わずかに動いた、ような感触があった。中川はその「気がした」を、業務記録上、確認しなかった。


 会議室のドアを閉めるとドアの向こうで廣澤が、まだ席にいるのか、立ち去っているのか——中川には、わからなかった。わからない、ということを判断にしなかった。木口は、自分の席に戻り、配布資料を整理する。既往記録抄を、机の上に置いた。


 午後、木口は既往記録抄を読み始めた。最初のページに、こう書かれていた。「骸ケ谷 既往記録抄  廣澤文彦 編


  以下は骸ケ谷の地に関する既往記録の抜粋である。当地の調査に先立って、関係者は本記録を一読されたい」。


 最初の段落の主語が「私」ではなく「関係者は」だった。通常、こうした「抄」の冒頭は、編者の自己紹介や、編纂方針の説明から入る。「私は——」あるいは「本書は——」と。しかし、この既往記録抄は、最初から「関係者は本記録を一読されたい」と書かれていた。


 「関係者」——というのは、本記録を読む者を指している。木口は自分が「関係者」であることを、確認した。確認して、ページをめくった。次のページに、(一)の項目が始まっていた。明治期の文献からの引用だった。骸ケ谷の地について、明治の地誌に記述があった。「骸ケ谷ノ地、古来人住マズ。地脈ニ異アリト言フ」。短い引用だった。


 次に(二)の項目。大正期の調査記録。骸ケ谷の地で、簡易な踏査が行われた記録。担当者は廣澤文彦・大正十一年九月。


 (三)の項目。昭和二十年代の調査記録。担当者の氏名は伏字になっていた。


 (四)の項目。昭和四十九年の週刊誌記事の抜粋。


 (五)の項目。平成期の予備調査記録。


 全五項目の構成だった。木口はゆっくりと既往記録抄を読んだ。読みながら、(二)の項目で、止まった。大正十一年九月の踏査。担当者:廣澤文彦。


 廣澤文彦——という名前を、木口は今日、会議で初めて聞いた。会議の冒頭で、中川が「廣澤校閲」と紹介した。下の名前は紹介されなかったが、配布資料の出席者リストに「廣澤文彦」と書かれていた。今日の廣澤と大正十一年の廣澤——同姓同名の別人と考えるのが自然だった。


 しかし、(二)の項目を読み進めると踏査担当者の記述の癖が、今日の会議での廣澤の発言の癖と似ていた。「客観的な記述に努める」「主観的印象は別途記録する」——大正期の文章の中に、現代の校閲指示と同じ語法が残っていた。偶然か、家系的な伝承か——判断する根拠が、ないことを木口は確認した。既往記録抄を、机の引き出しに戻した。


 現場の発掘は二週間後の六月七日から始まる。その夜、木口は宿舎に戻った。妻と娘と短い電話をした。娘が「お父さん、ピアノの発表会、来てね」と言った。


 「行くよ」と木口は答えた。答えた声を、自分で確認した。確かに、「行く」と答えた。手帳の予定欄を、もう一度開いた。「ナナミ 水曜 ピアノ 忘れない」の文字列が、そこにあった。


 書いた手は自分の手だった。

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