第四十四話 風の問いかけ
遺跡の中には扉と同じような石造りの階段があり、上を見上げると淡い光が差し込んでいる。風は上から吹いてきていた。
「この先が、精霊の領域……」
「緊張するね」
三人は慎重に階段を上っていく。上に行くほど、森の音が消えていった。
そんなに長い階段ではないはずなのに、一段上る事に息が上がるのを感じる。
やがて、最後の段を上ったリアは、思わず目を見開いた。
「……え?」
そこに広がっていたのは草原だった。先程まで上ってきた薄暗い石造りの壁でも、森でもない。青い空の下、風が草を揺らし、土の匂いが鼻をくすぐる。
慌てて振り返ると、そこには今上ってきた階段も、その下にあるはずの扉もなくなっていた。
「道が……」
「言ったでしょう、精霊の領域だと」
どうやら、普通の場所とは違うらしい。しかし、不思議と怖い感じはしない。どこか懐かしいような、優しい風が頬を撫ぜる。
リアが周囲を見渡すと、少し離れたところに一人の少女が座っていた。風が金色の髪を優しく揺らしている。
少女はリアたちと目が合うと、微笑んでゆっくりと立ち上がった。
「久しぶりね、ミラ」
「……お久しぶりです、シルファ・オリジン」
シルファ・オリジンと呼ばれた少女はこちらに歩いてくる。背丈はリアと同じくらいだ。
「女の子……?」
ユノの驚いたような呟きに、少女はくすりと笑う。
「そうね、今はそういう姿をしているわ」
「今は?」
「私たちに性別は関係ないの。だって――」
そう言いながら、少女の姿がゆっくりと変わっていく。それに伴い、声も太く、低く、男性のそれへと変化した。
「精霊には姿形なんて意味がないものだから」
そこに立っていたのは、先程の姿とまるで違う大人の男性だった。
「……え」
ユノが思わず固まる。どうやら好きな姿に変えることが出来るらしい。リアも目を丸くする。
「じゃあもしかして、ミラも……?」
リアはそう言ってミラを見る。今までの生活のあれやこれやを思い出して、急に恥ずかしくなるのを感じた。
「違います。それに、あなたくらいですよ。気分で姿を変えるのは」
「えー? そうかしら?」
そこにいたのは、今度は大人の女性だった。長い髪を揺らしながら、シルファ・オリジンは楽しそうに笑う。
「私はこの姿も好きだけれど」
本当にころころと姿を変えるらしい。そういった気まぐれな部分を風の精霊たちは受け継いでいるのかもしれない。
「あなたは扉を開けることが出来たのね。アエルの子」
シルファ・オリジンはそう言って真っ直ぐにユノを見る。しかし、ユノは首を傾げた。
「あの、アエルってなんですか?」
教会でも一度『アエルの血を引く者』と言われたことがある。だが、その言葉の意味をユノは知らなかった。
聞かれたシルファ・オリジンもきょとんとしている。
「……ああ、そう。そういえば教会に歪められたのよね。せっかくあの方からいただいたのに」
シルファ・オリジンの目がすっと細められる。それまで楽しげだった空気が、一気に冷たくなった。
「あの、シルファ・オリジン……?」
ユノが恐る恐る声をかけると、再び空気が柔らかくなる。
「なんでもないわ。知らないなら良いの」
質問には答えてもらえなかったが、更に尋ねられる空気ではなかった。それよりも、もっと大事なことがある。
シルファ・オリジンも分かっているのか、リアをじっと見つめ、こちらの言葉を待っている。心を見透かすようなその視線に、リアは少しだけ緊張した。
しかし、ここまで来たのだ。言うことは決まっている。
「私と、真名契約をしてください」
リアも真っ直ぐに見つめ返す。その瞳に、迷いはなかった。
一瞬の沈黙。
「うーん……いーや♡」
にっこりと、けれどはっきりと拒絶された。
「……え?」
リアは目を瞬かせる。断られる可能性を考えていなかったわけではない。でも、扉が開いたことで、どこか期待していたのかもしれない。
「どうして……?」
「いやだから」
「でも、私は……」
なおも言い募ろうとするリアに、シルファ・オリジンの笑顔が消える。
「あなたが王の魔女で、どんな覚悟でここまで来たかは知っているわ。けれど――」
シルファ・オリジンの視線が、リアの隣へと移る。
「そこの二人はもう覚悟がきまっているみたいだけれど、あなたはどうなのかしら、ミラ?」
見透かすような視線が、今度はミラに向けられる。ミラは俯いたまま、何も答えられないでいた。
シルファ・オリジンは、そんなミラを見て小さく息を吐いた。
「まだ、怖いのね」
「……私は」
「分かっているわ」
シルファ・オリジンの声は優しかった。それ以上、言葉が続かないミラを見て困ったように笑う。
「覚悟が決まったら、またいらっしゃい」
その瞬間、世界が歪む。草原が、空が、シルファ・オリジンの姿が、全てが風に吹かれたように消えていく。
「待って!」
リアが慌てて手を伸ばすが、その手は空を切るだけで何も掴めない。
次の瞬間――
「え……?」
三人は石造りの扉の前に立っていた。遺跡から追い出された。リアは呆然と立ち尽くす。
「そんな……!」
真名契約をしてもらえなかった。この遺跡には、もう入れないかもしれない。そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなる。
「待ってください!」
リアは慌てて扉へと手をつく。石の冷たい感触が手に伝わって来ただけで、扉は開かない。
「お願いします! もう一度、話をさせてください!」
扉の奥から吹いてきていた風は、いつの間にかやんでいた。
「シルファ・オリジン!」
リアは必死に扉を叩く。しかし、何度呼んでも、何も起こらない。
「リア」
ミラがそっとリアの手に触れた。石に擦れて血の滲んだ手を静かに握る。
「あなたのせいではありません」
「でも……!」
「これは、私の問題です」
「……ミラ」
リアは扉から手を離して、ミラを見る。いつも自分を導いてくれていたミラの目が、迷いに揺れている。
ミラも、自分では覚悟を決めていたつもりだった。リアが望むのなら、その力になろうと。
それなのに、シルファ・オリジンには見透かされてしまっていた。
ミラは歴代の王の魔女を何人も見てきた。
――だからこそ、怖い。
リアがこの先で何を背負うことになるのか、ミラは知っている。
その記憶があるから、ミラは最後の一歩を踏み出せないでいた。
風の遺跡から追い出されてしまいました。




