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名を交わす精霊の森  作者: 葉月
第一章 境界の森

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第三話 境界を越えたもの

 翌朝、リアはいつもより早く目を覚ました。外を見ると、東の空がわずかに色づき始めたばかりだった。昨日のことが気になって目が覚めたのだろうか。


 ふとミラを見ると、窓の外をにらみつけている。そこで気づく違和感。

 精霊がざわついている。目が覚めた理由は、これだ。理由もなく騒ぐことなど、今まで一度もなかった。


「ミラ、何かあったの?」

「何かが森に入り込みました」

「何かって……」


 昨日聞いた教会の話が頭をよぎる。まさか教会の人間が森にまで足を踏み入れることはあるまい。そう思っていたが、万が一もある。


「おそらく人間。でも、この精霊たちの反応は……」

「見に行ってみよう」


 リアの言葉にミラは逡巡する。まだ何者かも分からないのにリアを危険に近づけるわけにはいかない。

 しかし、リアは手早く準備を始めた。


「大丈夫、危なそうだったらすぐにその場を離れよう。何か分からなければ対処のしようもないもの」

「分かりました。危険なことは絶対にしないでくださいね」

「分かってる」


 リアは頷いて闇の精霊――ノクスの力が宿ったお守りを手に取る。これには気配を薄くするまじないが込められている。何かあったときのためにと用意していたものだ。

 二人は顔を見合わすと小屋を出た。


 森の中は薄い霧に包まれていた。空気はひんやりとしており、吐く息は白い。土や草木の香り、いつもと同じ森の風景。

 しかし、精霊たちの様子だけが違う。リアは恐怖心を払うように口を開いた。


「そろそろ雪も降りそうだね」


 緊張感に欠けた言葉。でもそれはただの強がりだとミラも分かっていた。


「そうですね、雪が降れば薬草も採れませんから、多めに摘んでおいて乾燥させましょう」


 だからこそ会話に付き合う。きっとこれは気のせいで、今日もいつもと同じ日常が始まることを祈りながら。そんな都合の良いことは起きないと分かってはいても、祈らずにはいられなかった。

 精霊たちが騒いでいるほうを目指しながら歩を進める。だんだんと日が昇ってきて、朝露を反射させながら葉がキラキラと輝いていた。


 そして見付けた。


 木立の向こう。岩に体を預けながら、誰かが座り込んでいる。


「ミラ、あそこ」

「えぇ」


 近付いて木の陰から様子を窺う。動く気配はない。よく見ると着ているローブは元が白だったと分からないほど泥で汚れており、あちこち擦り切れている。

 そして不思議なことに、いつもは人には近付かない精霊たちが心配するように周りを漂っていた。リアはそんな光景を初めて見る。


 そこにいたのは、リアと年もそう変わらないように見える少年だった。


「ねぇ……あの子……」

「大丈夫、生きています。でも、かなり衰弱していますね……」


 それを聞いてリアは少年に駆け寄った。得体のしれない恐怖はもう感じなかった。

 なぜなら、精霊たちが警戒していなかったから。

 けがの様子を手早く確認する。所々すり傷はあるが、大きな外傷はなさそうだった。


「うちまで運ぼう」

「リア、それは……」

「大丈夫。ミラだって分かってるでしょ?」


 敵意がある者ならば、精霊がこんなに心配するように近付くはずがない。それは分かっているが、この少年には妙な違和感がある。人の気配とはどこか違う何か。

 それが何かは分からないが、ミラはリアには関わらせたくなかった。


 しかし、リアの決意は固いようで、その目には一切の迷いがない。こうなっては反対したところで、あの手この手で説得しようとしてくるだろう。

 ミラは溜息をつくと渋々了承した。リアは満足そうに頷くと口を開く。


「風の精霊シルファよ

 彼の者を運ぶ風を、私に

 応えるなら、その力を――」


 リアが名を呼ぶと、側で漂っていた風の精霊シルファが嬉しそうにくるりと回って風を送った。リアは自分と同じ背丈の少年を背負って、来た道を戻る。風が少年を支えているおかげで、重さは感じなかった。

 精霊たちは応援するように二人の周りを飛び回るのだった。



*****



 朦朧とする意識の中、ふと気が付いた。あんなに響いていた精霊の叫びが、嘘のように聞こえない。

冷たい石の空気とは違う、暖かな木のぬくもり。久しぶりに感じた自然の香りに深呼吸をする。そこで、ずっと感じていた胸の痛みもなくなっていることに気が付いた。


 もしかしたら自分は死んでしまったのだろうか。


 少年はのろのろと目を開けた。

 最初に目に入ってきたのは木の天井だった。あの無機質で冷たい石の部屋ではない。暖炉には火が入っており、部屋は程よく暖かい。

 そして無数に漂う淡い光。


 ――精霊だ。


 その精霊たちは逃げなかった。ただ自由に、思うままに飛び回っている。その光景が少年には不思議でならなかった。


「良かった、目が覚めた?」


 不意に聞こえた声に驚いて目を向けると、そこには自分と同じ歳の頃の少女。そして、その肩には淡い光が留まっていた。


「それ……」


「見えるの?」


 少女は自分の肩を見つめる少年に気が付くと、驚いたように尋ねた。少年は恐る恐る頷く。

 精霊が見えると、教会はそれを口にすることは罪だと言っていたけれど。何故かここではそれが許されるように感じた。

 精霊たちは嬉しそうにくるくると回る。


「ちょっと待ってて」


 そう言って少女は背を向けると、コップを用意する。そこにミルクを注ぐと、その周りを赤い光をまとった精霊が囲んだ。

 少女は何やらその精霊と話しているが、それが不思議でならなかった。教会では精霊はあんな風に人の周りに集まらない。人を見れば逃げるし、人に使われるモノだった。


 少年が少女の様子をじっと見ていると、こちらも観察されていることに気が付いた。彼女の肩に留まっていた精霊だ。

 その視線に居心地の悪さを感じていると、少女がコップを持って戻ってきた。


「熱いから気を付けて」

「……ありがとう」


 息を吹きかけつつ、一口飲む。心の奥からじんわりと温かさが染み渡った。

 少年はようやく自分は生きているんだと感じた。


「おいしい」

「良かった。火の精霊――イグナが手伝ってくれたの」


 イグナと呼ばれた赤い光の精霊は、自己紹介をするように光を強める。あれはミルクを温めていたのかと納得した。



「その……何で精霊は逃げないの……?」


 そう聞くと少女の肩に留まっている精霊が一瞬鋭く光る。びくりと体を揺らす少年に気付かなかったのか、少女は不思議そうに首を傾げた。


「逃げる? なんで?」


 それは本当に疑問に思っている声だった。


 そうか、ここではそれが普通なのか。


 途端に少年は教会の異質さに気付いて気分が悪くなった。口を閉ざした少年を見て、少女は手に持っていたコップを受け取る。


「今日はもう休んで。ここは……安全だから」


 少女は迷いながらもそう言った。ここには祈りも、無機質な神官の声も、耳を塞ぎたくなるような叫びも聞こえない。ただ、自由に漂う精霊がいた。

 それは少年にとっても安らげる場所だった。


 少年はゆっくり体を倒すと、そのまま意識を手放した。


 その様子を見ながら、肩に留まっていた精霊――ミラは少女にそっと身を寄せるのだった。

 この出会いが、これまでの静かな日々を揺らすことになる予感を感じながら。

闇の精霊はノクス、風の精霊はシルファ、火の精霊はイグナです。

他の精霊たちも追々。

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