第三章終話 名を呼ばれる朝
精霊の光に導かれながら、どれくらい歩いたかは分からない。昼も夜も曖昧で、ひたすら足を動かしていた。振り返ることはなかった。ひたすら前だけを見て歩いた。
寒かった気もする。空腹だった気もする。
川があれば水を飲んだ。木の実がなっていれば、それを食べた。精霊が教えてくれていたものを、無意識に口にしていたような気がする。
精霊は何も話さなかったけど、ただ温もりだけがそばにあった。叫びでも、悲鳴でもない、教会とは全く違う精霊の姿。
疲れたら眠って、起きたらまた歩いて。精霊は眠っている間もそばにいてくれたようで、目を覚ますとすぐに前へ進んでいった。どこに向かっているかは分からなかったけど、不思議と怖くはなかった。
そして、気が付くとユノは森の中にいた。周りは木が生い茂り、湿った土の匂いに穏やかな風。そこはとても静かだった。周りは優しい光であふれていた。こんなに沢山の精霊を初めて見た。
ユノは座り込んでゆっくりと深呼吸をする。精霊はもう導かない。ここが目的地のようだった。
そこで、ユノの意識はぷつりと切れた。
*****
「あとは知っての通り、君たちに見付けてもらえた」
ユノは深く息を吐く。全部、話した。教会での生活は、今思い出しても胸の奥が痛む。それでも、誰かに聞いてもらえたことが、ユノの心を軽くした。
「……うん」
リアは一拍置いてから、口を開いた。
「話してくれてありがとう」
そう言ってリアは微笑む。同情をするでもない、責めるわけでもない、ただ受け止めてもらえた。それがユノには嬉しかった。
話し終えると疲れが出たのか、急に眠気が襲ってくる。ユノは小さくあくびをした。
「今日は遅いから、もう寝ようか」
そう言ってリアはコップを片付け始める。もっと聞きたいことがあったかもしれない。同じ精霊のミラなら自分に言いたいことがあったかもしれない。それでも何も言わず、ユノを優先してくれる。
改めて、ここは自分が今まで過ごしてきた場所と全然違うと感じた。
「あの、この間のあれ、またやってもらえないかな……」
「あれ?」
ユノが恥ずかしそうに口を開くと、リアが首を傾げた。
「あたたかな夢に――ってやつ……」
「もちろん」
リアは快諾すると、ユノの手を包み込む。
「風よ、かの者の悪夢を祓い、あたたかな夢に導く手助けを」
その声はとても優しくて、とても温かかった。
「ありがとう」
「うん、それじゃあおやすみ」
リアはユノに挨拶をすると、ミラを連れて自分の部屋に戻る。寝る準備を整えている間、リアもミラも口を開かなかった。そして、リアはそのままベッドににもぐる。
しばらくしてから、リアは口を開いた。
「ねえ、ミラ。私、ユノを幸せにしたい」
「ぶふっ」
ミラが吹き出した。突拍子もない発言にむせていると、リアがびっくりした顔をする。恐らく深い意味はないのだろうが、思った通りだ。
「えっ、なに? なにかおかしなこと言った?」
「いえ、続けてください」
ミラは咳ばらいを一つすると、続きを促す。
「あのね、今日の話を聞いて、正直に言うとあんまりぴんと来なかったんだ。私には父さんも母さんもいた。二人がいなくなったあともミラがそばにいてくれた。でも、ユノのそばには誰もいなくて」
リアはそこで言葉を切ると、一度目を閉じる。精霊がいない世界など考えられない。それほど自分にとっては、身近で大切な存在だ。想像しようとしただけで、身震いがする。
「教会のしたことは許せない。でも、私にはどうする力もない。だから、せめて、ユノには幸せになってほしい」
彼の心の癒し方なんて分からない。自分が助けてあげられるとも思えない。
それでも、幸せになってほしい。その手助けがしたい。リアは静かに、自分の思いを伝えた。
「そうですね。彼の心は簡単には癒えないでしょう。彼の受けた傷は、彼にしか分からない」
リアは目を伏せる。そう簡単なことだとは思っていない。何をしてあげればいいかもわからない。
「それでも、分かろうとすることは出来ます。時間はこれから沢山ありますよ」
「……うん。ありがとう、ミラ」
「さあ、リアも疲れたでしょう。あなたにもあたたかな夢を」
額をそっと撫でられ、目を閉じる。眠気はすぐにやって来た。
*****
翌朝、ユノはいつも通り目が覚めた。リアはまだ寝ているようだったので、朝食の準備を始める。今日は久しぶりに教会の夢を見ると思った。
だけど、違った。子どもの頃の自分が、リアに抱き締められる夢だった。とても温かな気持ちになると同時に、少し気恥ずかしくなる。
そんなことを考えていると、勢いよく扉が開いた。
「あ、リア、おはよ……」
「ユノおはよう! 私決めたの。ユノを幸せにしたい」
「え!?」
挨拶もそこそこに、突然の宣言に目を白黒させる。今朝の夢も相まって、余計に顔が火照るのを感じた。
「でも、どうしたら幸せにできるか分からなくて……。だから、とりあえず……ユノのやりたいこと、教えてくれる?」
意味が分からなくて、ミラを見る。ミラは頭に手を当て、呆れた表情をしていた。どうやら、自分の思っていた意味と違うらしい。それなら、と一つ思い浮かぶことがある。
「……名前で、呼ばれたい……かも」
口にすると少し恥ずかしい。リアは一瞬きょとん、としてから微笑んだ。
「もう呼んでるよ、ユノ」
改めて呼ばれると少しくすぐったく感じる。「あ、でも」とリアが続けた。
「ミラはまだ呼んでないんじゃない?」
「……今呼ぶ必要がありますか?」
「ユノは今呼ばれたいんだよ!ほらほら~」
リアがニヤニヤしながらミラを突ついている。どうみてもからかっているようにしか見えない。ユノが微笑ましく眺めていると、ミラがこちらを向いた。
「……あなたの訪れを歓迎します、ユノ」
それは、精霊からの許しのように感じた。自分は多くの精霊を犠牲にした。自分が壊れないために、他の精霊を助けるためだと言い訳をして。
番号ではなく、名前で呼ばれること。それだけで、自分は生きていていいんだと感じることができた。
第三章ユノの過去話終わりです。
次回からは日常に戻ります。




