第十四話 優しい場所
教会に連れてこられたときのことを、ユノはあまり覚えていない。ただ、久しぶりに触れた母の手がとても冷たかったことはよく覚えている。
教会に着いたとき、朝なのに部屋は薄暗く、 色のついた光だけが床に落ちていた。その床に跪かされると、母は一人で帰って行った。
置いていかれることは、何となく分かっていた。自分もあの宝石と同じ。“あの人の真実の愛”ではなかったのだろう。
目の前に黒い服の神官が立った。何かを聞かれ反射的に答えたが、その時聞こえた今にも引き裂かれそうな、苦しげな音は今も頭に残っている。
祭壇の上に置かれていた、金属の杯。その中心で揺れていた、淡い輝き。初めて見た物だったが、その中にいるのは精霊だと分かった。
どこか歪な光、そして叫び声にもならない音。目を逸らしたくても逸らせなかった。
気付いた時には、白い服を着た神官に連れられ、長い廊下を歩いていた。天井は高く、足音だけが響いている。そこはとても静かで、清潔で、落ち着いていて、だけどどこか不気味だった。
ユノは周りを見回して気付く。街ではよく見かけていた淡い光がここにはない。
「こちらですよ」
無意識に光を探している内に、目的地に着いたらしい。目の前には外から鍵が掛けられる扉があった。神官に促され部屋に入ると、そこにはすでに何人かの子どもがいた。背丈も性別もまちまちだが、皆同じように不安げな顔をしている。
「しばらく、ここで過ごしてもらいます」
白衣の神官はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「心配はいりません。順番に救済が行われますから」
救済という言葉が何を意味するのかよく分からなかったが、 その声音はとても優しかった。本当に救済が行われていると信じて疑わないように。
食事も寝床も温かく、白い服には継ぎもない。何より、同じく白い服を着た神官は優しく世話を焼いてくれた。たまに来る灰色の服を着た神官は少し怖かったが、一人子どもを連れるとすぐに去っていく。母との暮らしよりよっぽど安心できる場所だった。
夜になり、消灯の鐘が鳴る。明かりは消され、部屋は闇に包まれた。相変わらず、淡い光は見えない。
ユノは目を閉じたが、眠れないでいた。しばらくして、部屋の奥から、かすかな声が聞こえてくる。
「……おうち、帰りたいよぉ」
幼い声だった。布を被っているのか声はくぐもっていたが、嗚咽が漏れていた。しばらくその声を聞いていると、足音が近付いてきた。衣擦れの音がする。
「大丈夫ですよ」
祈りを捧げるような、穏やかで優しい神官の声。嗚咽が止まった。
「黒衣様が必ず救済してくださいます。神はあなたたちを見捨てません」
小さく、けれど確信に満ちている声。救済とは何なのか、彼らは一切説明しない。ただ、何度も子どもたちに言って聞かせる。
次第に部屋には規則正しい寝息が響き出した。ユノは目を閉じたまま、掛けている布を握りしめる。いつものざらざとした布と違い、手触りの良いベッド。温かいご飯も、清潔なベッドも、掃除の行き届いた部屋も、ここにはある。
けれど、精霊がいない。そのことが、ユノの心をざわつかせていた。
翌朝、目が覚めるとベッドが一つ空いていた。白衣の神官は穏やかに微笑む。
「救済が、行われましたよ」
誰もその意味を尋ねなかった。 ユノも何も言わない。おうちに帰りたいと言って泣いていた。あの子は、家に帰れたのだろうか。
朝食を食べていると、神官たちの話が耳に入ってくる。
「黒衣様に進言して良かったですね」
「そうね、早く家に帰りたがっていたから、順番を早めていただけて良かったわ」
「白衣の私たちには、そのくらいのことしか出来ないけど」
神官たちはにこやかにそんな話をしている。家に帰りたいと泣いたから、救済を早くしてもらえた。何故だかそれがとても不気味に感じた。
戻らないベッドを見つめながら、ここは優しいけれど残酷な場所なのだと思った。




