第十二話 手放さなかった理由
※この章には、未成年に対する精神的抑圧や過酷な描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
食卓の上には、湯気の出ているコップが二つ置かれている。緊張で喉が渇く。ユノはお茶を一口飲んで、口を潤した。
リアは急かさない。自分が口を開くのを待っていてくれる。リアの肩口にはミラが身を寄せている。ミラの淡い輝きが、今日はいつもより優しく感じられた。
「何から話せばいいだろう……。上手く言葉にできるか分からないけど、最初から話すね」
ユノの記憶は、物心ついた頃に遡る。
*****
父は、初めからいなかった。生きているのか、死んでいるのかも知らない。母は父の話をあまりしたがらなかったから。
母との二人暮らしは、とても窮屈だった。家が狭かったわけじゃない。自分が愛されていないと、分かっていたからだ。
母はいつも言っていた。「いつか迎えが来る」と。母はその話をするときだけ、少しだけ声が優しくなった。それが、ユノには怖かった。
母は父が迎えに来ると信じていた。
だから、その迎えのために――
自分は、捨てられなかった。
ユノは泣いているといつも言われる言葉があった。
「本当に手のかかる子ね」
「あの方の子なのに、みっともない」
「こんなんじゃいつまで経っても迎えに来てくれないわ」
優しく抱きしめて話を聞いてもらえた記憶などなかった。
母があまりにも迎えの話をするので、「いつになったら父さんは迎えに来てくれるの?」と聞いたことがある。途端に不機嫌になった母は、見たこともない形相をしていた。寒い冬の日だというのに、薄着のまま外に放り出され、しばらく家の中には入れてもらえなかった。それ以降口にするのはやめた。
そんなユノを慰めてくれるのは、淡く光る精霊たちだった。言葉を発してくれるわけじゃない。ただそばに寄り添ってくれるだけ。
それでも、暗い物置小屋に閉じ込めれらたときなどはとても心強かった。
しかし、母はそれさえも否定した。
「何もいないところでしゃべって、気持ちの悪い子ね」
「そんな子は教会に連れて行かれてしまうのよ」
ユノは精霊に話しかけるのをやめた。極力視界には入れないようにした。それでもたまに、光を目で追ってしまう。近所に住む人たちからも不審な目で見られた。その度に、世間体を気にする母に怒られた。
母との暮らしは楽ではなかった。ある時期までは、お腹いっぱいご飯を食べたこともないし、冬は薄い布を何枚も重ねて何とか暖を取っていた。母は家事に自信があるらしく、町の人の手伝いをしていたようだったが、それでも実入りは多くはなかった。
幼い頃のユノには、それが何か分からなかったが、家にはずっと宝石があった。売れば生活には困らないであろう数だ。母はいつもそれを大事そうに眺めていた。
「これはね、迎えが来たときに必要になるものよ」
いつもの言葉。ユノには決して向けないような優しい声音。
「あの人のくれた愛。だから大事に仕舞っておくの」
そう言って大事そうに木箱に仕舞い、布を被せてからベッドの下へと隠す。キラキラと光るそれは、幼いユノにとってとても魅力的な物だったが、決して触らせてはもらえなかった。ただ気まぐれに傍に座らせ、宝石の説明だけは聞かされた。
「あなたも宝石の善し悪しが分からなければ馬鹿にされてしまうわ」
誰に、とは言わなかった。きっと迎えが来たあとの話をしているのだろう。本当に来るかも分からないのに。
「いつか迎えが来る」
それはユノにとっても希望の言葉になっていった。迎えが来れば、この生活もきっと良くなる。お腹いっぱいご飯が食べられる。寒さに震えることもない。母の怒りに触れないように、息を殺して過ごさなくても良くなる。
しかし、大きくなるにつれ、現実が見えてくる。父は迎えになど来てくれないのだ。生きているのかも、誰なのかも知らない父。そんな父が自分をこの生活から救い出してくれるはずもなかった。今思えば、きっとその宝石は手切れ金のようなものだったのだろう。
生活が少し良くなったのは、ある年の秋の終わりだった。母は帳簿を見て溜息をついていた。その年は日照り続きで畑の育ちも悪く、生活具で何とか凌いでいたようだが、それでも限度があるようだった。現に、色々な物の物価が上がっていた。
しばらくして、母は立ち上がってベッドの下から木箱を取り出した。その中に入っているものは母の大切な物だったはずなのに、その手付きはいつもと違って少々乱暴だった。
「……これは、違う。これは、あの人の愛じゃない」
そう呟く母の手には一つの宝石が握られていた。ふらりと外出した母は、宝石の代わりに薪と食料を持って帰って来た。その夜、機嫌の良い母はいつもより多めにパンをお皿に乗せてくれた。
「ほら、あなたも沢山食べなさい。そんなに痩せていたらあの人に心配されてしまうわ」
そう言って微笑みかけてくれた母は、今まで聞いたことがないほど優しい声音だった。その笑顔は、嬉しいはずなのに、どこか不気味にかんじた。それでもユノはその日、お腹が満たされると幸せな気持ちになることを知った。
そして、その日を境に、宝石は一つ、また一つと減っていった。
しばらく暗い話が続きます。自分で書いててつらい。




