第六話 精霊に願う
朝、少年はいつもよりすっきりとした気分で目が覚める。昨日も悪夢を見た。夢の中で少年はいつも何も出来ず見ているだけだった。今日もただ、壊されていくのを見るだけだと思っていた。
でも違った。
いつもの夢にあたたかい風が吹く。すると、薄暗い教会の部屋が明るく照らされた。
思わず閉じた目。湿った土の匂い、薬草の香り、冷たい空気の中に混じる暖かな日差し。次に目を開けた時、そこには自由に森で飛び回る精霊がいた。
初めて見た時は驚いた光景。ここに来てからそんなに日は経っていないはずだが、今ではこれが普通のことなんだと感じる。
胸の温かさを感じながら少年はベッドから降りた。リアはまだ起きてこない。少年の足は自然と竈の前まで進んだ。
ここ数日で、朝食の内容は分かっている。保存のきくパンだったり、粥、煮た豆や干し果実、それからスープ。少年はなれた手つきで朝食の準備を始めた。
「あれ、今日は早いね」
起きてきたリアが部屋の扉を開けて声を掛ける。そこで少年はハッとした。指示されていないことをしてしまった、反射的にそう思った。
「ご、ごめんなさい! 勝手に……こんな……」
慌てて謝る少年にリアはキョトンとする。怯えた表情を浮かべる少年を安心させるように、リアは微笑んだ。
「全然。むしろ助かるよ」
食卓にはもうほとんど朝食が用意されていた。小鍋には湯気を立てたスープが入っており、あとはお椀によそうだけだ。
「えっと、口に合えばいいんだけど……」
怒られなかったことに驚きながら、少年は心配そうに言った。
「おいしそう。人が作ったご飯を食べるのは久しぶりだから嬉しい」
リアにとって、朝起きて朝食が用意されているのは母が生きていた頃以来だった。精霊は食事を必要としない。ミラが手伝ってくれたことはあるが、ほとんど自分で作っている。
リアがスープをお椀によそって、二人とも席に着いた。いただきますと手を合わせ、スープを掬って口に運ぶ。
「うん、おいしい。作ってくれてありがとう」
そう言って笑うリアを見つめる少年の目から、涙がこぼれる。
「あ……」
「えっ! ど、どうしたの!? 本当は朝食用意したくなかった?」
「リア、あなたが起きるのが遅いから、彼がお腹を空かせてしまったのでは?」
「ち、ちがっ……! ご、ごめん。今まで母さんが起きてくる前に朝食を用意するのが僕の役目だったから……こんな風においしいって、お礼を言ってもらえるのが嬉しくて……」
そう言って慌てて涙を拭う少年をリアとミラは見つめる。二人とも何と声を掛けていいか分からなかった。
この少年はその心に一体いくつの傷を抱えているのか。
「ごめん、突然泣かれたら困るよね。さ、朝食の続きを食べよう」
「……あのね、ここでは役目とか、ないから……だから君はやりたいことをやっていいんだよ」
「……うん、ありがとう」
二人は再び朝食を食べ始めた。会話はないが、不思議と気まずさはない。少年はリアに言われた言葉を反芻する。
“やりたいことをやっていい”
今まで母の指示に従い、教会の指示に従い、反抗すれば叱責されてきた。自分のやりたいこととは何か、少年は静かに考えるのだった。
リアは朝食の後片付けを終えると、外に行く支度をする。外は少し風が出ているようで、森の木々を揺らしていた。
「じゃあ、ちょっと森で薬草の採集をしてくるね」
「あ、あの! 僕も、行ってもいいかな……?」
その言葉はやはり遠慮がちではあったが、自ら言った要望だった。
「うん、もちろん!」
外に出ると、冷たい風が頬を撫でる。少年が一瞬身を震わせたのをリアは見逃さなかった。
「だいぶ薬も出来たし、そろそろ町に買い物も行かないとね。その……一人分の冬支度しかしてないから……」
「ごめん、僕のせいだね……」
「言ったでしょ? 森は拒まない、君はやりたいことをしていいって。私はその手助けをするだけ」
そう言ってリアは歩き出すと、その後ろを少年は慌ててついて行った。
リアは薬草を探しながら歩く。少年も真似をしながら、土に生える草を見ていた。
「あ、あの葉……あれは昨日の薬草?」
「どれどれ? ……うーん、おしい。形は似てるけどこれは茎の部分が違うの」
少年の指が示す方を見ながら、リアは昨日の薬草との違いを説明し始める。そんな様子をミラは近くの木の枝に留まって眺めていた。リアは夢中になると相手の反応に気が付かないきらいがある。
「リア。その辺でやめておかないと、彼が混乱していますよ」
「あ、ごめん! 楽しくないよね、こんな話」
「ううん、知らないことを知れるのは楽しい。でも、そんなに一気には覚えられないかも……」
「そうだよね。薬草の話になるとつい喋りすぎちゃう」
リアは苦笑して、また歩き出す。後ろでは少年が先程教えてもらった事をぶつぶつと呟いていた。その様子を見ながら、ミラは笑みをこぼす。まるで初めての薬草を教えてもらったリアのようだった。リアも早く母親の役に立ちたいと、一生懸命勉強していた。
そんなことを考えながら、ミラは気を引き締める。昨夜、力の流れを少し調整したとはいえ、まだ安心はできない。この日常を守るのは、自分の役目だ。
「うーん、この子たち、ちょっと元気がないなぁ」
「土が痩せているのかもしれませんね」
「そうだね。……よし」
リアは薬草の様子を確認すると、一つ頷く。
「何をするの?」
「精霊に助けてもらうんだよ」
そう言ってリアは土に手を当てた。
「土の精霊ノームよ
この地に根付く命のめぐみを、私に
応えるなら、その成長の手助けを――」
リアの呼びかけに応えるように、土から精霊が顔を出す。そして淡い光を撒きながら薬草の周りをくるくると回った。土がその光を吸収してきらきらと輝く。
少年は、その神秘的な様子を呆然と見ていた。
「うん、これで大丈夫かな」
リアは手の土を払いながら立ち上がる。
「命令は、しないんだね……」
その言葉にミラの顔がさっと曇る。少年が見てきた精霊の使役方法なのだろう。教会で当たり前に行われてきたこと、彼にとっての日常。
リアは教会で何が行われているか、知らない。それでも少年の言葉とミラの表情で、何となく想像ができた。
「……願うだけだよ。精霊も自分が力を貸したいと思ってくれたら動いてくれる。精霊も人も同じなの」
「そっか。それが“普通”なんだね」
少年は少し困ったように笑う。きっと自分のいた環境は“普通”ではないのだろう。
“やりたいことをやる”という意味を理解するのはまだ難しい。それでも、少しずつそれがどういうことなのか実感していくのだった。
少年、謝りまくりです。




