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名を交わす精霊の森  作者: 葉月
第二章 選択する日常

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第五話 三人の日常

 少年が森に来てから数日が経った。森の住人が一人増えた以外は、いつもと同じ日常が続いている。

 リアはいつものように乾燥させた薬草を選り分けていた。


「それは何をやっているの?」


 いつもはベッドに座って、呼ばれるまで動かない彼が珍しく隣りにやって来て覗き込む。教会では命令されたこと以外を行うことを禁じられていたようで、何をするにも遠慮がちだった。

 どうやらこの数日で、指示を待たなくても叱責を受けることはないと、ようやく実感出来たようだ。


 拘束されていた期間は長くないはずなのに、それでも行動の端々にそれが染み付いている。

 一体教会で何が行われていたのか。

 毎日悪夢にうなされていることも知っている。いつも精霊たちが心配そうに様子を窺っていた。


「これは咳止めの薬の材料になるの。冬はこれがよく売れるんだよ」

「そうなんだ……」

「もし良ければ、手伝ってくれる?」

「え……やってもいいの……?」

「うん、もちろん。ここでは誰も君の自由を奪わないよ」


 ここ数日で、何度も伝えてきた言葉。ここでは誰も命令はしない。今みたいに頼み事はするかもしれないが、それを聞くかどうかも自分で判断して良い。少しずつ、そうした事に慣れていって欲しいとリアは思う。


 少年は教わりながら、薬草を選り分ける。そんな様子をミラは少し離れた場所で見ていた。

 警戒をゆるめたわけではない。彼は精霊が使われることを知っている。使われ続けた結果、どうなるのかも。

 それを毎晩、悪夢に見ている。

 教会での出来事のせいか、どうやら彼は精霊と共鳴しやすいようだ。


「……これ、僕には全部同じように見えるよ」


 困ったような顔をしながらそう言う少年の手元を、リアが覗き込む。


「えー?よく見て、ここの形が違うでしょ?」

「うーん……?」


 気の抜けるやり取りにミラは、ふっと肩の力を抜いた。薬草の見分け方を教えるリアを見て、懐かしい気持ちになる。


「そういえばリアも昔は同じように泣き言を言っていましたね」

「ちょ、ちょっとミラ! 余計なこと言わないで!」


 思えばリアも母親に同じように薬草の見分け方を教えてもらっていた。そして全部同じに見えると文句を言っていたのだ。

 その事を思い出しクスクス笑うと、途端にリアはふくれっ面になった。さっきまでのしたり顔はどこへやら、自分が教える側になれたことで少し得意になっていたらしい。


「二人は仲が良いんだね」


 少年はそんな二人のやり取りを不思議そうに眺める。精霊と人がこんな風に会話出来ることを知らなかった。

 町にいる精霊とは会話らしい会話をしたことがない。そもそも人の目がある中ではそんな気安い会話など出来るはずもなかった。


「私が産まれた時から一緒にいるからね。ミラは家族だよ」

「家族……」


 リアは両親がいなくなってから寂しくないと言ったら嘘になる。けれど孤独ではなかった。それは家族同然のミラが側にいたからでもあり、ここにはいつも精霊たちがいたからだ。


 しかし、少年はどうか。

 父は知らず、母には売られた。自分にはもう帰る場所もない。そのことが、少年の心に影を落とす。


「大丈夫だよ」

「え?」


 少年は驚いて顔を上げる。自分の思考を読まれたかと思ったからだ。


「ちゃんと教えてあげるから、ゆっくり覚えていこう?」


 どうやら違ったらしい。いつの間にか話は薬草の見分け方に戻っていた。


「時間なら沢山あるから。君が望むなら、この森は君を拒まないよ」


 それはここにいても良いと言うことだろうか。

 しかし、その疑問は声には出せなかった。今はまだ、尋ねる勇気が少年にはない。

 それでも、その言葉は少年に深く刻まれるのだった。


 夕方、リアは薬を煎じていた。その側では少年がリアを手伝っている。今日は一日中そうやってリアの手伝いをして、話を聞いていた。

 森での生活や、薬草のこと、精霊の話。

 特に精霊の話をする時のリアはとても嬉しそうだった。お互い誰かと精霊の話をする機会はなかった。少年にとっては知らない話ばかりで、とても新鮮な気持ちで聞いていた。


「次はそこの葉を取ってくれる?」

「これ?」


 鍋をかき混ぜながらリアは少年に声をかける。リアは横目で確認すると頷いた。

 少年が葉を取ろうとした時、隣りに置いてあったまだ葉の付いた枝に手が当たる。


「あっ」


 少年が落ちそうになった枝に手を伸ばす。


「あ、待って! それ――」


 少年の手が枝に届く前に、一陣の風が吹いた。枝はふわりと宙を舞って元の場所に戻る。少し離れたところでミラはホッと息をつくと、何食わぬ顔でリアの肩に留まった。


「良かった、触れなくて。その枝には刺があるの」

「今の……精霊……さんが、助けてくれたんですか?」


 少年は枝とミラを見比べる。少年はずっとミラによく思われていないと思っていた。それでも怪我をしないように助けてくれた。


「ミラと呼んで」


 その言葉は素っ気なかったが、少なくとも拒絶の言葉ではなかった。警戒を解くつもりはない。しかし、少年を追い出すつもりもなかった。


「……ありがとう、ミラ」


 そんな二人のぎこちないやり取りに、リアは苦笑した。その後も薬を煎じるリアと手伝う少年、それを少し離れた所で見守るミラという図は変わらなかったが、少しだけ三人の距離が近付いた気がした。


「今日はこれを飲んでから寝て」


 リアは煎じ終わった薬を少年に渡す。少年は首を傾げながら受け取った。


「これは?」

「眠りが深くなる薬。気休めかもしれないけど、夢見が悪いみたいだから……」


 少年は毎晩悪夢を見る。

 それは教会での記憶。自分の声で目を覚ますくらいだから、それは当然リアの耳にも聞こえていたのだろう。

 少年は申し訳なくなる。


「ごめん、起こしちゃってた?」

「これはそういう意味で渡したんじゃないよ」


 リアはそう言って薬を持つ少年の手を包み込む。


「風よ、かの者の悪夢を祓い、あたたかな夢に導く手助けを」


 ふっと空気が軽くなる。それは精霊に向けた言葉ではなかった。祈りにも似た言葉、願い。

 リアは手を離すと恥ずかしそうに笑った。


「小さい頃、怖い夢を見ると母がよくやってくれたんだ。これこそ気休めだけど」

「ううん、ありがとう」


 確かに気休めかもしれない。それでも少年は寝ることに恐怖を感じなくなっていた。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみなさい」


 少年は薬を飲むとベッドに横になる。今日はいつもと違うことをしたからか、薬のおかげか、睡魔はすぐに襲ってきて、深い眠りに入るのだった。


 夜半、淡い光がベッドの横に降り立つ。

 少年を起こさぬよう、光を最小限に抑えたミラはそっと様子を窺った。眉間には皺が寄っているが、うなされている様子はない。

 しばらく寝苦しそうにしていた少年だったが、やがて規則正しい寝息を立て始めた。


「薬が効いたのか、まじないが効いたのか……」


 リアは精霊の名前を呼ばなかった。しかし、それでも風は応える。

 あの子の母親もよく言葉にしていたまじない。

 リアは気付いていないが、この少年は精霊の力に触れすぎている。ともすれば、精霊の力を引き出しすぎてしまう可能性がある。


「あなたが悪いわけではないんですけどね」


 ミラは少年の額にそっと手を触れた。触れた場所から光が広がり、すぐに消える。


「……これで大丈夫でしょう」


 手を離すと、少年は寝返りを打った。その顔には少しだけ安堵の表情が浮かんでいた。

 悪夢が消えたわけではない。

それでも、悪夢に飲み込まれずに戻ってこられるようになった。


 ミラはもう一度少年を見下ろし、静かに部屋を出た。

三人の日常が始まります。

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