94話 貴方は高潔ですか?[2/2]
予期せぬドミさんのネアポリス再訪問にポリビウスが驚きの声を上げたことで、中庭に居る面々の視線が一気にドミさん周辺に集まる。
そしてドミさんの傍らにルクレティアお嬢様がいることを認識した途端、花が咲いていた雑談が一気に枯れ、どこか気まずそうに目線をそらし始める旧ポンペイの有力者たち。
当然だ。この場にいる旧ポンペイ有力者の中で、お嬢様に対して強烈な『負い目』を持っていない者は一人もいない。
何せ、自分たちが助かるために市民を見捨て、マルクス様ただ一人に街の責務を押し付けて逃げ出したのが、ここにいる面々なのだから。
特に目の前に居るポリビウスなどは、本来であれば二人官としてマルクス様と共に留まるべきだった人物。
それがポンペイを見捨てて助かり、もう一人の二人官であるマルクス様はポンペイと運命を共にした。
そして、目の前には自らの責務を押し付けた男の遺児であるルクレティアお嬢様。
お嬢様を前にしたポリビウスの顔は、先ほどの比ではないほどに脂汗が浮き上がり、カタカタと震え始めていた。
そんな様子を、ドミさんは先ほどの面白そうな視線から一転『お前たちの所業は知っているからな?』とでも言いたげな侮蔑を含んだ視線で庭にいる面々を見渡している。
沈黙が場を支配し、気まずい雰囲気が漂い始めるピソ家の中庭。
重苦しい沈黙を破り、口を開いたのは――ルクレティアお嬢様だった。
「私は、フェリクスより……あの恐ろしい運命の日の仔細、そのすべてを聞きました」
まるで悲しみを湛えながらも決意を抱えるかのような、凛としたよくとおる声が中庭に響き渡った。
お嬢様の言葉に、ポリビウスをはじめとする有力者たちの顔から血の気が引く。
『この卑怯者たちめ! 父を返せ!』などの罵声が続くと思ったのだろう。
しかし、
「父マルクスの決死の意志を受け、あえて一時卑怯者の烙印を押される事を覚悟でポンペイを離れる決断をされた皆様には、心よりの感謝と敬意を表します」
お嬢様の口からゆっくりと紡がれる言葉は、糾弾ではなく、称賛。
「……は?」
「……へ?」
ポリビウスたちが、間の抜けた声を漏らす。
そんな反応を見ながら、お嬢様は言葉を続けた。
内容はフェリクスのおっちゃんから聞いたという、マルクス様とポンペイ有力者たちとの間の崇高な真実の悲劇、『悲哀と決意に満ちた別れ(嘘)』への称賛。
「ヴェスヴィウス山の噴火で街の破滅を悟った父は、ポンペイを支えてきた有力者である皆様に、民衆の未来を託したと聞いております。『自らは二人官として最後まで街に残り、一人でも多くの市民を避難させる。しかし市民をこれからも導くものは必要だ。貴殿らは、持てるだけの財を持ち、生き残った市民の未来を守ってほしい……そして、願わくば私の大望を引き継いでほしい』……そう、父は皆様に託したのですね」
「あぁ、確かに、私は、私が直接その言葉を受け取った。このガイウス・ユリウス・ポリビウスが、マルクス殿の盟友たる私が、この耳で!」
明らかな嘘にもかかわらず、一も二もなく飛びついてくるポリビウス。
「わ、私もマルクス殿の言葉を伝えられたポリビウス殿に説得されて持てる財貨だけをもって町を離れたのです!」
「そ、そうです! 私たちはあえてポンペイの民衆を先導し避難をしたのです!」
「一時の不名誉と民衆の未来、どちらが大事かなど論じるまでもありません!! ええ!」
「私もだ!」「えぇ、私も!!」
それに続くように、周りの人々がこの明らかな嘘に同意しだす。
裏に何かがあるとは理解しているのだろうが、今この場においてはそれ以外の選択肢はないとの判断で飛びついたようだった。
そして、お嬢様はその瞬間を見逃さない。
「そう、父の大望――ドミティアヌス殿下を次の皇帝陛下にいただくことを」
「「「「え?」」」」
この場にいる大体がお嬢様の嘘を事実とし、異を唱える雰囲気がないことを認めた瞬間に、本命である鎖を放ってきた。
「苦難に満ちているであろうその道、父マルクスの意志を、皆様は果敢にも継ぐ決意をしていただいた」
「え、あの?」
「ちょ、こ、皇帝位って」
一部の動揺の声をスルーして言葉を続けるルクレティアお嬢様。
「……そして、ドミティアヌス殿下は、皆様がポンペイ市民の未来を切り拓くために必要な、すべての材料をお持ちになりました」
お嬢様の言葉を受け、ドミさんが一歩前に出た。
「市民のために一時の汚名を恐れぬ、貴殿らの真に高潔な心に敬意を。そして、私への約束を果たすことと市民の未来の二つを同時につかむために命を賭して未来を繋いだ、高潔な騎士マルクスに最大の敬意を」
ドミさんは、高慢さからくる強引でありつつも力強い、芝居がかった声で宣言した。
「マルクスの意志と貴殿らの高潔な心に報いるため、私は新しいポンペイの街を作るための土地も、必要な金もすべて確保している。……さあ、これから力を合わせ、私たちの手で新しいポンペイを作ろうではないか! 私が皇帝になった暁には、その新しい町は私の栄光の第一歩として、永遠に記録に残ることだろう!」
そして、ドミさんの宣言を受けてピソ様が奴隷に合図をし、『ポンペイ復興のための手札』が書かれた紙が一人一枚づつ渡されていく。
パピルスに代わる『ルクレティウス紙』、その紙に莫大な情報を乗せる『活版印刷』。
そして――これからのドミティアヌス殿下の力(物理)の源泉となるであろう『銃火器』と『爆弾』。
利を嗅ぎつけるのに敏感な商人派閥の者たちは目を輝かせはじめ、従軍経験のある層や軍に近い派閥は青ざめはじめる。
だが、どちらの反応を見せようとも、彼らに『断る』という選択肢はない。
そして、この計画に参加したが最後、途中で復興計画から抜けることも、ドミさん擁立の暗躍から逃れることもできなくなる。
何故ならば、お嬢様の嘘から逸脱することは『マルクス様に託されて、あえて汚名を受けた』高潔な有力者という建付けから離脱するということであり、それはすなわち『マルクス様に責務を押し付けて、自分たちだけ逃げた卑怯者』『言葉だけでは遺志を継ぐと言いながらもその履行を拒んだ卑劣』になることを意味するからだ。
ローマ社会はガチガチの身分社会だが、それ故に信義を非常に重んじる。
後者になる事はつまりは信義に唾を吐きかけるような行為であり、それはローマ社会において一族まるっと含めた社会的な『死』を意味する。
事実、マルクス様がただ一人ポンペイに最後まで残った事実と、旧ポンペイの有力者のほどんとが噴火直後にポンペイから離れたことは周知の事実となっており、ポンペイ市民どころか、主な避難先であるネアポリス市民も、彼らに対して冷ややかな視線を浴びせている。
彼らにとってお嬢様の嘘とドミさんの追認は、まさに不名誉から逃れるための唯一の手段なのだ。
罠であることは分かっているだろう。
この嘘を飲み込んだが最後、一族郎党死ぬまでお嬢様に頭が上がらなくなることも、そこから逃れるすべがないこともわかっているだろう。
しかし、それでもお嬢様が示したここにいる者たちの真実(嘘)、『卑怯者』から『高潔な者』に反転するチャンスを否定できる者は、この中庭には一人もいなかった。
「貴方は……貴方がたは高潔ですか?」
静まり返る中庭に、お嬢様が一石を投じる。
それは実質的な最後通牒。
「あ、あぁ……そうだ、私、私たちこそ高潔なマルクス殿の遺志を継ぐ者……!」
「……お、おおっ! その通りだ! マルクス殿の崇高な遺志、我らが命に代えても果たさねば!」
「ドミティアヌス殿下のために! 新しいポンペイのために!」
その言葉に呼応するように、どこからともなく『真実』を肯定する声が上がり始めた。
最初は震えていた声も、次第に熱を帯び、最後には中庭全体を包むような熱狂的な賛同へと変わっていく。
一部の人の視線は、ルクレティアお嬢様の外衣の刺繍、青いヒヤシンスに注がれている。
お嬢様曰く、今日の装いは変身物語のヒュアキントスという人物の逸話をイメージしたモノらしい。
ヒュアキントスの悲劇的な死、そしてそれを悼んだアポロンにより生まれたヒヤシンスの花。
この話から、ローマ人的にはヒヤシンスは変わらぬ愛を意味するらしいが、この場においてはもう一つの意味を持つ。
悲劇的な死を迎えたマルクス様、そしてその遺児たるルクレティアお嬢様が、悲しみの刻印がされた花の刺繍をされた服を着て現れる。
ここに提示した真実ではない、本当の真実は決して忘れないという意思表示。
それは卑怯者である彼らが、お嬢様の手によって卑怯者から高潔なローマ人に返り咲いた中での強烈な楔だった。
ともかく、これにて旧ポンペイ上流階級は、『ドミティアヌス殿下擁立』と『ポンペイ復興』が完全に一体化した、強固な一つの運命共同体となった。
今後、ここから逸脱する者が現れた場合、ここにいる他の者たちによって『あいつはマルクス様の意志を継がず、私たちとは違い、自分たちだけが助かろうとした本物の卑怯者だ』として、社会から物理的に抹殺されることになるだろう。
そして、この恩と後ろめたさと虚栄で縛り上げられた彼らに連なる被保護者には、彼らを通じてドミさんから金銭の支援と今後の生活という『恩と実利』を渡す。
秘密を守るには何も全員を直接縛る必要はない、頭だけを押さえてしまえばよい。
そしてそこからは、既存の社会の仕組みで縛ってしまえばよいのだ。
ここに、ポンペイ再建とドミさん擁立のための一歩は、動き出すことになる。
■ガイウス・ユリウス・ポリビウス
ポンペイ遺跡『ユリウス・ポリビウスの家』の所有者と推測されている人物。
マルクス・ルクレティウス・フロントと共に彼を二人官に推薦する選挙ポスターがポンペイ遺跡から発掘されている。
なお、彼の家からは彼本人と思われる遺体を含めた13体の遺体が発掘されている。
その中には『十代の妊娠後期の妊婦』もおり、史実では身重の妻か娘、または息子の妻がいたため屋内に避難していたものと思われる。
当時の社会常識的に家長が家族を見捨てて逃げるのはかなり考えずらいので、本作では一家そろって避難をしている。
つまり、彼もまたルシウスの影響で運命が変わった一人と言える。




