95話 トガにナイフ隠すの流行ってるの?
『このニギディウス・ワックラ、今持つ財貨はすべて被保護者の青銅職人たちの当座の生活費に投げうちましょう』
『それであれば私、ヴェディウス・リシクスは倉庫の小麦を民衆のパンに!』
『マルクス殿のために被った汚名、それにより持ち出した財貨、今こそ使い時というもの!』
中庭の声は熱を帯び、お嬢様が提示した真実(嘘)は彼らを飲み込もうとしていた。
彼らが私財を投げ出しているのは罪悪感だけではない。
いかに自分が『マルクス殿の遺志を継ぐ高潔な者』かをアピールすることにより、この降りられないバスで少しでも栄達をするための打算も含まれている。
そんな狂騒の渦巻く中庭の光景を、俺にあてがわれた中庭に面した客室で冷ややかに眺めていたフェリクスのおっちゃんは一瞥し、静かに部屋の木の扉を閉めた。
「…………」
バタン、という重い音と共に、中庭の熱気と喧騒が遮られ、遠のく。
部屋には俺とフェリクスのおっちゃん、二人だけ。
気ーまーずーいー。
死ぬほど気まずい。
俺とフェリクスのおっちゃんは、あのネアポリスの広場での糾弾以来一言も言葉を交わしていない。
だって何を話せばいいのか分からないし。
向こうも何を言えばいいかわからないだろうし。
というかフェリクスのおっちゃんは今後は解放奴隷として旧ポンペイの中枢にお嬢様の指示を受けて関わるんだろうけど、俺と関わることは減るから別にこのままでよくない?
このままお嬢様を挟んで良い感じに没交渉で行こうよ。
そう思った俺は、お嬢様の旧ポンペイ有力者を型にはめる策謀が完了した瞬間におっちゃんから離れるために部屋に逃げようとした。
のだが……、
『ルシウス。今のうちにフェリクスと二人きりで腹を割って話してきなさい』
と、ルクレティアお嬢様から、有無を言わさぬ口調で命令され、今、なう。
部屋の中央に置かれた丸テーブル。
その両端にある椅子に俺とフェリクスのおっちゃんは無言のまま腰を下ろし、対峙する。
「「……」」
……沈黙が痛い。
手持ち無沙汰だった俺はテーブルの上に置きっぱなしにしていたペンを弄りながら、おっちゃんが口を開くのをひたすら待った。
そうしてしばらく俺が何も話さないのを見ると、おっちゃんは俺を見据えながらゆっくりと口を開いた。
「……ルシ坊。お前、ルクレティアお嬢様に何をした?」
ん? お嬢様?
おっちゃんの問いは、俺が予想していたものではない、斜め上な質問。
「なにって?」
「とぼけるな」
意図が分からず聞き返す俺を見て、おっちゃんの目が厳しくなる。
「お嬢様は、あんな……大人顔負けの策謀を組めるような方じゃない。11歳。いいか? お嬢様はまだ、11歳なんだぞ? 11歳の令嬢が、百戦錬磨の元老院議員のように、あそこまで見事に人心を操る? おかしいだろ。お前、お嬢様に何かしたな?」
念を押すかのようなおっちゃん言葉の裏には、得体の知れない怪物を見るような深い疑念と恐怖が渦巻いていた。
俺という得体の知れない知識を持つ奴隷が、何らかのミネルヴァ様の人知を超えた英知を悪用して、あの無邪気で短絡だったお嬢様を、冷酷な政治の怪物へと作り変えてしまったのではないか。
本気でそう疑っているようだった。
――いやそれについては冤罪なんだけど??
「天然モノなんだよなぁ……」
一気にうなだれて脱力する俺。
そして椅子を立ってそのままベッドに寝転がる。
「おい、真面目に……」
「いや、たぶんネルウァ様の薫陶の結果だろうから……養殖? どっちにしても俺じゃないよ原因」
俺は、お嬢様がローマで受けていた教育環境を挙げた。
「ネルウァ様……?」
「陛下の側近で、元老院議員の人。……お嬢様が調香マウントで勉強ブン投げてた時に最高の家庭教師用意したって俺言ったじゃん? それ、ネルウァ様」
「俺の所にお前が寄越した報告はドミティアヌス殿下のご子息、コルブロ殿下と一緒に学ぶことになったとしか聞いてないが?」
「そうだっけ? ふふふ」
「お前……」
「ドミティアヌス殿下やティトゥス殿下の教師をしてたこともあったらしいし、ネルウァ様の教育内容がお嬢様に刺さった結果じゃない?」
「……それなら……あり得る、か……」
「でしょ? 大体さ」
トーンダウンするおっちゃんを見ながら、俺は少し呆れたように息を吐いた。
「人の在り方をどうこうできるような、そんな便利な力を俺が持ってるなら、まず真っ先にマルクス様と若様を洗脳してポンペイからローマに呼び寄せてるよ。んでもって、二人に簿記をデキムスさんの代わりに叩き込んで、ドミさ……ドミティアヌス殿下の側近にして、俺は良い感じに100万セステルティウス稼いで楽隠居決め込んでるっての」
なんでもかんでも俺のせいにしないでほしい。
「……すまん」
俺の心からの叫びを含んだ回答に納得したのか、おっちゃんは俺に頭を下げた。
「……てっきり俺はお前がついにお嬢様まで思いのままにしようとしてると思っていた」
そう言っておっちゃんはトガから何かをとりだし、テーブルの上に置く。
……ナイフだった。
窓からの光がナイフに反射して、ギラリ、と鋭い光が部屋に反射する。
「……なんでとがのなかからないふがでてくるんですか?」
「お前がお嬢様のありように何かをしていた時は刺し違える覚悟だった」
亡き若様が半年前に同じようなことをしていたのを思い出す。
何? ルクレティウス家界隈、トガにナイフ隠すの流行ってたりするの?
ルクレティウス家関係者、俺に対して気軽にデスフラグ設置しすぎじゃない??
というか、さっきの中庭でポリビウスたちと談笑している間もずっと懐でこのナイフを握りしめていたの?
良くピキってる時にポリビウス刺さなかったね、エライ!
……いや偉くないわ。怖いわ。
そもそも俺を刺した後どうするつもりだったんだ。
「俺が死んだら、ドミティアヌス殿下を次期皇帝に押し上げるための一番の目玉、銃火器と爆弾の量産計画はパーなんだけど? それはつまり、ドミティアヌス殿下の次期皇帝位への道すじがとん挫することで、殿下と一蓮托生のお嬢様の立場がヤバくなることとイコールなんだけど?? それ分かってやろうとしてた??」
「お前がいなくなっても、お前が残した準備中の素材や完成品をデキムス邸に集まった学者たちが分析すれば……お前よりは時間がかかるだろうが、いずれ完成させることはできるだろう。俺はそう踏んだ」
「見通し甘すぎィ!」
俺は思わず声を荒げた。
そんなふわっとした見込みで俺を亡き者にしようとするんじゃない!
「そんな不確定な見込みでお嬢様の人生を左右する事柄を動かさないでくれる? わかってる? お嬢様の人生かかってるんだよ?」
流石にそんなテキトーな計画で亡き者にされたものではたまったものではない。
「不確定な見込み、か」
抗議の目を向ける俺に対し、フェリクスのおっちゃんは短くつぶやき、続けた。
「……そうやって、不確定な見込みがあったから……取れる手段を取らずに、マルクス様と若様を切り捨てたのか?」




