92話 こんなこともあろうかと
「しかし、実際に見た方が分かりやすいではないですか父上」
「だからと言ってそれを宮殿の中で平気で使うお前の短慮さを嘆いているのだ、わからんのか……」
この時代で考えればまさにユピテルの神意に相違ない強大な破壊力を持つ兵器をもってしても上回る、父と子の間柄とはいえ宮殿の中でそんな物騒な兵器をぶっ放したドミさんへの呆れをにじませるウェスパシアヌス帝。
「……人払いもしているのです、良いではないですか」
そんなウェスパシアヌス帝の態度にむすっとしだすドミさん。
「まあまあ二人ともそれは一旦置いときましょう。ここの密談もそんなに長い時間を使うわけにはいかないのです」
二人の間に少し剣呑な気配が漂いそうになったタイミングで、二人の問答を見守ていたティトゥス殿下が口を開いた。
「……そうだな。では、ティトゥス、お前はどう思う?」
「ドミティアヌスの提案は、私にとっても帝国にとっても好機かと」
ウェスパシアヌス帝に促されて考えを話し始めたティトゥス殿下の言葉は、意外にもドミさんへの次期皇帝指名に前向きな内容だった。
やはり、次期皇帝の地位を弟に譲ってでもベレニケとの関係を維持したいということだろうか。
「現在、東方はパルティア王国の代替わりにより不穏な気配を見せています。これに対応するには、陸海の要衝であるユダヤ属州の安定化……つまり、私とベレニケとの実質的な内縁関係によるローマ=ユダヤ間の蜜月維持は必須です」
そう思っていると、なにやら外交的な戦略を前面に出した返答を行うティトゥス殿下。
「もしドミティアヌスが、これらの新技術をもって皇帝としての力量を示せるのであれば、私が東方に専念し、帝国の制度そのものをより強固なものへと見直す機会にもなり得ます」
どうやらドミさんが鉢合わせたウェスパシアヌス帝とティトゥス殿下の口論は、単純にベレニケとの恋愛感情だけというわけではないらしい?
「まあ、お前にとっては情でも利でもベレニケとの関係を維持したいからそう言うか。あの日の口論から状況が変わっとるし、お前の言うことにも一理ある」
それ故に前提が変化した現在、むしろウェスパシアヌス帝にとってもティトゥスとベレニケの関係維持は一考の余地がある状況になっているようだった。
「では父上、まずはドミティアヌスにプロコンスル命令権と護民官職権を付与し、その上で来年は私は補充執政官となり、ドミティアヌスを執政官とするのはいかがでしょう」
「待て待て待て、兄上。現段階でプロコンスル命令権・護民官職権・執政官職の三つを一気に私が持つのはまずいぞ。その上、このタイミングで兄上が来年の執政官とならないのは、ベレニケの件を利用して私が兄上を蹴落としたと元老院から勘違いされかねない」
ティトゥス殿下の提案に、ドミさんが慌てて口を挟む。
ここに来る前にお嬢様から聞いて初めて知ったのだが、国の成立経緯から君主制を嫌うローマ帝国における皇帝の地位というのは、実は専制君主としての皇帝位のような明確な職があるのではなく、執政官・護民官職権・プロコンスル命令権・最高神祇官の集合体のふわっとした概念らしい。
故にこの職種の集合体の付与の仕方によってはドミさんが成果を出す前なのにもかかわらずティトゥス殿下を蹴落として次期後継者として指名されたと解釈されない。
それはドミさん的にはちょっとよろしくないということなのだろうか。
「確かにそれは一理あるな。ならば一旦、来年は私とドミティアヌスが執政官となり、父上には来年の補充執政官となっていただく必要が……」
「おい馬鹿ども。私はまだ一言もドミティアヌスの要求を呑むとは言っていないぞ」
妥協点を見つけるために話をウェスパシアヌス帝を置いてけぼりに進めようとする二人に、ウェスパシアヌス帝は待ったをかける。
「……しかし父上、実際に銃があればきちんとした補佐さえつければダキア侵攻は容易と言ってさしつかえないかと」
「兄上の言う通りです。それに銃の威力にはご納得いただけたのでは?」
「威力には、な。たしかにあのユピテルの雷撃と見紛うような銃という武器を、剣や槍のように兵へ配備できれば、ローマ軍は無敵になるだろうよ。ダキアだろうがパルティアだろうゲルマニアだろうが、一飲みにできるだろうさ」
「では」「だがな……」
不満を漏らしかけるドミさんの言葉を遮り、ウェスパシアヌス帝は言葉を被せる。
「剣や槍のように配備できればだ。それはつまり、何万という軍団兵に行き渡るだけの『量産』が必要ということ。たった一本、神の武器があったところで戦争には勝てん。それに見たところ、この銃とやらは剣や槍とは違い弓のように矢となる部分、つまり消耗品が必要だな?それらを含めて軍の運用に必要な数をそろえ、必要な場所で使うことはできるのかという話をしておる」
「これはルシウスが生み出したものです。この私に持ってくる時点で量産までの道すじはつけているでしょう。なあ?ルシウスよ」
ウェスパシアヌス帝の疑問にさも当然かのように俺に話題を振ってくるドミさん。
その話をしようとする前に連行されたんですがそれは。
まあ、あるけど。量産手段。
「金と人員さえあれば、越えなければならないハードルはありますが、量産は可能です」
「ほら、ルシウスもこう言っています」
「金はどうとでもなるが、人員は具体的にどうするつもりだ?紙や活版印刷と違って、ただ人を確保すればよいという話ではないぞ?量産が可能ならばなおのこと、この銃という技術は皇帝が独占せねばならぬ。もしこれらの技術が蛮族どもや、元老院のいずれかの者の手に渡れば、それはそのまま帝国への刃となる」
ドミさんと違い、ウェスパシアヌス帝は俺の回答に満足せず、更に深い部分の話に突っ込んでくる。
「……ルシウス?」
ドミさんはそこまで考えてはいなかったらしく、若干トーンダウンして俺にそのまま聞き返してくる。
「……おっしゃる通りです。莫大な資金の問題もありますが、それ以上に、この銃火器と……まだお見せしていない『爆弾』の製造に必要なのは、技術漏洩の防止手段と裏切る確率の低い信頼のおける集団が必要です」
そこで俺は一回区切り、3人の皇族を見渡す。
ここまでの認識に相違はないようで、続きを促された俺は一呼吸置いて、続ける。
「ちょうどよい存在がいるではないですか」
「「「ちょうどよい?」」」
「2万人弱ほどの路頭に迷った民衆と、数千人の職人」
「ポンペイの生存者か」
俺の言葉の意図を真っ先に悟ったウェスパシアヌス帝のつぶやきに俺は頷く。
「えぇ。そんなポンペイの浮いた人材を、恩で縛れる方法をご用意しております」
こんなこともあろうかと、を言うのは漢のロマンだが、実際武器製造に関する秘密を守れる集団の確保、というのはお嬢様が事前に要求されるだろうと予想していた事項で、俺に対してあらかじめ案を持たせている内容だった。
そしてあらかじめ脳内に叩き込まれたカンペを元に、俺は案の開示を行う。
その案を聞いてウェスパシアヌス帝は納得し、兄弟の案に若干の修正を加えた上で、ダキア遠征の成功という条件で次期皇帝をティトゥス殿下からドミさんに変更することを認めることになった。




