78話 ネアポリス
噴火に関する情報収集のための先遣隊である俺とプッさんの一行がベスビオ山の北西部に位置する都市、ネアポリスにたどり着いたのは、翌朝になってからだった。
つまり、噴火から丸2日。今日は西暦79年8月26日の朝ということになる。
俺たちが町に着いた時には、港にはまだオスティオ艦隊の後続艦の姿もなく、結果的にシヌエッサで陸路に切り替えたのは正解だったようだ。
そうしてたどり着いたネアポリスの町は、日が昇っている時間であるはずなのに、降灰が空を覆いつくしたことにより日が遮られ深夜のような様相を呈している。
「貴殿はポンペイの二人官なのだろう!?ボゴゴゴ……状況はどうなっている!ボゴゴゴ……ポンペイの被害規模は!ボゴゴゴ……生存者の集計は始めているのか!?」
「あ、いえその……私は噴火の直後に避難民を誘導すべく先頭に立っておりましたが……しかしその、まだ組織的な行動はできているとは言い切れず、また私も目撃した通りヘルクラネウムもポンペイもあの灰色の雲ですでに埋まっており――」
「御託は良いから現状の事実のみを端的に言え!!」
「ひっ!」
そして臨時の災害対策本部が設置されたユピテル神殿内部では、絶賛プッさんがポンペイ二人官の一人、ガイウス・ユリウス・ポリビウスを捕まえて、半ば尋問のような形で事情聴取を行っていた。
「ポンペイやヘルクラネウムが呑み込まれたのは見ればわかる!!今私が聞いているのは――ゲホっゴホっ――ボゴゴゴゴゴ……」
要領を得ないポリビウスにさらに詰め寄ろうとしたプッさんがせき込み、そのまま先ほどまで口にしていた銅管から再び息を吸う。
その銅管がつながっているアンフォラの中でボコボコと空気が水に通る音がし、せき込んで赤くなりかけたプッさんの顔色が元に戻る。
これは取り急ぎ粉塵を過剰にすってしまうことでプッさんの喘息が悪化することを防ぐために(その辺で呆然としてるポンペイの職人を酷使して)作った即席の簡易粉塵マスクだ。
このシリアスな風景に似つかわしくないアホっぽい風景だが仕方ない。
ちなみに、昨日発覚したプッさんの薬物無断摂取問題は、代替手段としてコントロール薬となるコルチゾンと、将来的にはプレドニンを精製することを条件に、俺からの処方の管理を甥である小プリニウスさんに任せる形で渋々ながら了承が取れた。
地味にめんどい作業が多いからやりたくないんだが、エフェドリン濫用で心停止されるよりはましだ。仕方がない。
確かフェヌグリークというハーブからジオスゲニンを精製し、特定種のカビで発酵させればコルチゾンが生成できるはず。
カビを培養するならついでにペニシリンも作ってしまおう。
精製手順的にはステロイド精製より圧倒的に簡単だし、なによりどうせ金を出すのはプッさんだ。派手にやろう。
人員は、ポンペイが壊滅して生産設備を失ったアウ爺の所のこれから無職になるであろう人たちを使えば行けるはずだ。
なんか昔見た、明治時代にタイムスリップした医者のドラマでもペニシリンを作る時も醤油屋を使ってたし、こういう系の作業は得意だろう多分。
そう言えばアウ爺が|魚醤<ガルム>にはマグロを使った種類もあるって言ってたな……そうだインスリンも作ったろ。
そもそも薬効や結晶観察にクリスタルガラスから作る顕微鏡も作らなきゃだし、器具もいっぱい必要だ。
プッさんの資産の半分くらい溶かすレベルでやってやるから覚悟しろよこんにゃろう。
「えぇい!つまりは現状何もわかってないという―――」
プッさんの財布への攻撃を決意することで何とか気分を前向きにしつつ、俺は完全に尋問に変わりつつあるプッさんによるポリビウスへの事情聴取を横目に、広場の方に足を進める。
目的は当然、マルクス様と若様を探すためだ。
ユピテル神殿の目の前にある広場は人でごった返していた。
しかし、一見大勢に見えるが、これでも避難してきた全体からすればわずかな数に過ぎない。
数万人規模に膨れ上がった避難民のうち、この神殿前の整備された広場への入場を許されているのは、それなりの身分を持つ上流階級や富裕層の商人たち、その関係者である奴隷などだけ。
それゆえにこの場所にいる人たちは一般的な避難民としてイメージするようなボロボロの見た目の人たちは少なく、むしろ身なりの良い人ばかりが集まっていた。
そして彼らは総じて着の身着のままだが、致命的な怪我をしている者は少ない。
集まっている人数から推測するに、上流階級のほとんどは、無事にここまで辿り着いているみたいだった。
しかし、ここにいるのが上流階級とその関係者だからと言って、ベスビオ山噴火という未曽有の非常事態の中、普段のような上品さを維持できているかというと、そんなことは全くない。
『ポンポニウス、生きていたのか!!さあ早く私の邸宅へ来るがいい。ところで娘、お前の妻はどこだ――』
『――エルコラーノ門の惨状をみたか……!?あれは人がしていい死に方じゃないっ……!!』
『――古き神々は灰に埋もれ、助けを呼んでも答えぬ。悔い改め唯一の真なる神と救い主であるヨシュアを信じる者だけが――』
『サビニアヌス家の者を見た者は――』
『ローマの方も地震で壊滅したって話だぞ。世界の終わりがやってきたのかも――』
『――誰か街道で杖をついた老人を見かけませんでしたか?誰か――』
『――これはユリアの靴じゃないこれはユリアの靴じゃないこれはユリアの靴じゃない―――』
そこら中で家族の名前を叫ぶ男女の姿や主人の名を叫び続ける奴隷の声、特定の家名を書いた板を掲げる人々が溢れ、流言や怒声が飛び交っている。
再会の抱擁と共にネアポリスの市内に消えていく人もいれば、ただ茫然と広場の片隅で、遺品と思われる衣類や宝飾品の一部を持ちながら立ちすくしている人もいる。
まさに混沌の極み、という言葉がぴったりの状況。
そして最悪なのは、この状況も市外の有様に比べればマシということ。
被災地から殺到する避難民は当然ながらネアポリス市内で収容できる人数ではなく、大多数の避難民は城壁外で着の身着のままでうずくまっているか、あるいは避難の時に持ち出した板に寝転がって呆然としている。
俺たちが西の街道からネアポリスに入城する際も、東側で収容しきれなかった避難民の一団が城壁外にあふれかえっている状態だった。
その中には超絶有能おばさんこと、アウ爺の右腕であるウンブリキア・フォルトゥナータさんの姿もあった。
俺がこうして何とか噴火日を見誤った事実から立ち直って、次の策のための情報収集に動けてるのは、フォルトゥナータさんからの情報で、俺がポンペイ・オールスターズの現地メンバーに送ったBCP計画が正しく機能したことを知ったというのが大きい。
デキムス商会とウンブリキウス商会の共同運営となっていた麦の蜜工房や化粧品工房の従業員は、噴火を確認するや否やBCP計画に基づき、温度計などの重要部材や改ざんされては困る蝋版を破棄したのち速やかに工房を放棄、そのまま事前計画に基づいて噴石を避けるためのそこら辺の木板のみをもって噴火から30分もしないうちに北の入り口であるエルコラーノ門から脱出。
テレンティウスさんのパン工房やステファヌスさんの洗濯屋も同様に、店の金庫の金貨さえ放り出して脱出し、軽石の雨がひどくなるころにはヘルクラネウムを過ぎ、ネアポリスへの避難第一陣としてたどり着いたとのことだった。
つまりは事前のBCP計画は正しく機能している。
マルクス様や若様に直接伝えてはいないが、それでも二人もこの計画を噴火の時に連絡役となっているフェリクスのおっちゃんから耳にしたに違いない。
それならば早期に脱出しているはずだ。
噴火が今年だったことは想定外だが、リカバリーは十分に可能だ。
むしろ丁度良いともいえる。
これから始まるドミティアヌス殿下擁立の準備には、大量の高度人材が必要だ。
復興途中で職人の比率が多いポンペイの人員がこのタイミングで宙に浮いたということは、考えようによってはベストタイミングで大量の高度人材が生えてきたと考えてもいい。
あとはマルクス様と若様さえ生きていれば製紙工房、出版工房、エタノール工房の工房主に収まってもらえばよい。
ポンペイの消滅で行先を失った資本をそこに投入すれば、数年でポンペイを凌駕する、いわゆる企業城下町の形成だって可能だ。
「あ……!!」
そうして思考の半分をリカバリー策の策定に割きながら広場の中を進んで行くと、列柱の陰に見知った面々の姿が見えた。
広場の隅の柱でうずくまっているのは料理人奴隷のドラコさん、その隣で立ちすくしているのは……。
「フェリクスのおっちゃん!!」




