77話 なんで?なんで?なんで?
なんでなんでなんで? なんで!?
皇帝生きてるじゃん!! バリバリ生きてるじゃん!!!
なんなら一昨日ティトゥス様と大喧嘩できるくらいには元気じゃん!?
なんでベスビオ山噴火してんの!?
「櫂を漕ぐ手を緩めるな!!お前たち一人一人の怠惰がカンパニアの市民千人を殺すと思って漕げ!!」
快速ガレー船の上でげきを飛ばすプッさん。
そんなプッさんをを眺めながら、俺は初報から半日経った今、降灰により徐々に星明り奪われつつある深夜の甲板で、呆然と四方に広がる漆黒の海を眺めるしかできないでいた。
あまりの衝撃に、今の俺は当然のようにプッさんに連行されてこうして夜間の軍船に乗っている事実へのツッコミすらおぼつかない。
誤報であってほしいとの願いが、刻一刻と進む時間で次々に整っていく状況証拠が明らかに否定しだす。
丘陵であるリエーティからローマに向かう道で、南の空がすでに灰の壁となっているのが見えた。
プッさんに合流した軍人の口から、昨日ローマから見えたきのこ雲の情報が入ってくる。
そして、日が落ちても航行を続ける快速ガレー船の上で、夜空から徐々に星が消え、代わりに白い粉が甲板にうっすらと降り始める。
それらはすべて、間違いなく噴火が起こったことを示していた。
噴火は起こったのだ。
昨日が西暦79年8月24日だったのだ。
そしてその事実は同時に、もう今の時点ですでに何もかもが手遅れだという事実を俺に認識させる。
ヴェスヴィウス山の噴火は、俺の記憶が正しければ25日の早朝にクライマックスを迎える。
松の木や『きのこ雲』に例えられる禍々しい噴煙柱が崩壊し、高温の火山性ガスと大量の火山砕屑物との混合物……重たい雲が噴火口からあふれ出し、麓のすべてを飲み込み、焼き尽くしていく。
逆算すると、リエーティに初報が届いた段階で、もうポンペイは灰の中に埋まってしまっているのだ。
「閣下!今日の海はどんどん視界が悪くなっており、これ以上の航行は艦長として許容できません!都合の良いことに、あそこにシヌエッサの灯台が見えます!そこから陸路に切り替える方が結果的に早い可能性が高いです!」
「っぐ!!仕方がないゲホ……!ではシヌエッサにゲホゴホッ!!ゲホゲホゴホ!!!!」
「……プリニウス様!?」
いつの間にか思索の海に潜ってしまっていた俺の思考が、プッさんの激しい咳と、それに動揺する提督の声で現実に引き戻される。
顔を上げると、そこには激しく肩を上下しながら苦しそうに息を吐くプッさんの姿。
プッさんは喘息持ちだ。
ポンペイに近づくにつれ、増えてくる降灰を吸い込んで喘息の発作が出てしまったのだろう。
「ゲホゲホゴホゴホ……!ゲフ……!ゴホゴホッ!!!」
「閣下、まずはお部屋に!」
「か、構わん!今の私にはこれがある!!!」
そう言うと、プッさんはトガの袖から何やら小瓶と鉄のストローのようなものを取り出し、一滴を手の甲に載せる。
「―――ッスーーーー……」
そしてその液体をストローで鼻から吸引し頭を上にし、固まる。
「………………………………ふぅ」
……………………いや、ふうじゃないが????
今何吸引した?
「プリニウス様?????」
何かを吸引して十数秒程度でぜんそくが収まったプッさんに、思わず俺はツッコミを入れてしまう。
動作が完全にヤク中のそれなんよ。
噴火のパニックが一瞬で吹っ飛んだんですけど? 何やってるの?
すごい嫌な予感がするんですけど!?
「……あ」
ジト目で見る俺に、プッさんは俺に今の一連の動作が見られていたのに気付いたようで、まるで糖尿病患者が病室に羊羹を隠し持っていたのが医者にばれた時のように視線を俺から外して泳がせる。
「えぇと、だな。これは、その……い、いや違うのだ友ルシウスよ、うっ」
何かを言い訳しようとして立ち上がろうとし、心臓を押さえながらそのまま座り込んでしまうプッさん。
……うん、これ間違いないわ。
「エフェドリンですね?それ」
「わ、私はこれがないともうだめなのだ……発作が起こったときにこれを鼻から吸引するとすぐに発作が収まるのだ……!」
「止めろっつってんのに勝手に何やってんだアンタ!」
止めたじゃん!
俺止めたじゃん!!
確かにマオウをもってきたプッさんに、安易にエフェドリンの単離を目の前で見せて、ぜんそく薬だって言った俺も悪いよ?
でもエフェドリンはプッさんみたいな肥満な高齢者には安易に投与しちゃいけないの! 場合によっては禁忌なの!!
おれゆったじゃん!?
何勝手にエフェドリンしれっと持って帰って使ってるのアンタ?
しかも俺鼻腔吸入とか教えてないよ?
絶対試行錯誤の末にたどり着いたよねそれ???
数日間で常用状態になっちゃってるじゃん!?
「それ使うの禁止!」
「と、友ルシウスよ……ご、後生だ……!それを吸引すると、あれほど苦しかった発作がスゥーっとおさまるのだ……もう私はそれなしで生きていけぬのだ……!!かわりに全身がキューっとなるが」
副作用出てんじゃねえか!!!!
「アンタが使うと下手したら心臓が止まるんだよ!?言ったじゃん!?俺言ったじゃん!?」
勝手に自己服用していたプッさんに対し、俺は普段の敬語も忘れ全力で突っ込む。
「何とかならぬか友ルシウスよ……!そなたの英知で陛下が長年悩まれていた胃腸の状態も少しづつではあるが良くなってはいるのだ……私のぜんそくも、どうにかそれを使えるように出来ぬか……?」
「……………………胃腸?」
「うむ、お前がミネルヴァ様より授かった大麦の麦の蜜。あれと経口補水液により陛下が腹を下すことも減ってきていてな……そのような形で私の喘息もなんとか―――」
プッさんの言葉が耳から遠ざかる。
……………………………………あれ?
もしかして、陛下の史実での死因って……元々胃腸が弱っていたところでの激甚性胃腸炎とかそこらへん?
とすると、今現時点でご存命なのって。
俺がプッさんに教えた、経口補水液や大麦麦芽水あめの整腸作用で全体的に陛下の体力を底上げしていたから???
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
「ル、ルシウス!?」
がっくりと膝から崩れ落ちる俺に、プッさんが動揺しながら名前を呼んでくる。
しかしそんなプッさんにかまう余裕は今の俺にはなかった。




