72話 周産期&妊産婦死亡率スレイヤー
さて最後のチートだが、これはルクレティウス家に押し付けるというよりはルクレティウス家にも押し付けるが正しいものになる。
何でかというとデキムス商会本体でもバリバリ使うし、工業生産に必須な材料の精製装置だから。
なので最後の技術チートは来年3月を待たずに、実験が完了したらすぐさまデキムス商会や関係者にもばらまく物になる。
さてそんな避暑前集中開発回のトリを担う技術チートは―??
テッテレー『四塔式連続蒸留器』!
え? 『蒸留は去年やってなかった?』って思った?
落ち着いて欲しい、確かにグラッパ作りでヘッド――高純度アルコールの確保はやった。
ガリレオ温度計に使う程度のエタノールであればあれで十分だったのも事実だ。
しかし今後のお嬢様のためにはヘッドをそのまま使うわけにはいかないのだ。
今回トリに連続蒸留による高純度エタノールの大量製造を選んだのには二つの理由がある。
一つはグリセリンの精製効率アップに使ったり、エタノール香水を作る用途。
もう一つ医療用である。
そう、産褥熱やそのほかの細菌感染症による敗血症の防止のためだね!
お嬢様が結婚するということは、つまりは上流階級の妻として世継ぎを生む義務を負うということ。
実際は結婚してすぐに子供を作り始めるわけではなく、おおむね15歳を超えてから初産を迎えることが多いが、それまでに医療分野でアルコール消毒の効果を証明しておく必要があるのだ。
ちなみに、意外かもしれないが古代ローマにも医療現場にはある程度の衛生概念という物はあり、実は器具の煮沸消毒は行われていた。
ディオスコリデス様からの聞き取り調査によると、細菌に関する知識があったというよりは『飲料水は一回沸騰させると当たらない。つまり他の物も同じだろう』といった経験則からくる、ある種の儀式に近いものだったようだが、それでも煮沸消毒は行われていたのだ。
ディオスコリデス様から聞いた情報はあくまで軍の外科処理に関する情報だが、おおむね出産においても同じと考えて良いだろう。
なので意外なことに器具は割と綺麗だったと推測できる。
しかし菌を取り除くという考えに基づいてやっていたわけではないので、妊婦や胎児、器具に触れる手などの消毒は甘かった。
精々が普通の水による手洗い程度。
産褥熱はそこを通ってローマの妊婦や新生児の命を奪っていった。
だがエタノールがあれば人の手や妊婦の陰部近辺などの茹でることが難しいものも消毒ができることになる。
そうすれば産褥熱による妊産婦と新生児の死亡率は劇的に下がるだろう。
そして、医療用に用いる場合、蘭引による単式蒸留で得られるヘッドだと不純物が多いので使用には適さない。
そもそも検証するために大量の高純度エタノールを確保するのも、単式蒸留では難しい。
なので連続式蒸留が必要な訳ですね。
ちなみにどうやっで効果を証明するかという部分には、ディオスコリデス様とプッさんに協力してもらう。
まずは軍の外科処置でディオスコリデス様に傷口そのものや傷口に間接的にでも触れるものの消毒効果を証明してもらい、その効果を以てプッさんの伝手を使ってローマ内の産婆さんに使ってもらう想定だ。
そんなわけで連続式蒸留がなぜ必要かの説明が終わったところで(脳内リスナーの)皆さんお待ちかね!
こちらが連続式蒸留器です!
俺の目の前にあるのは4つの青銅製の塔。
塔と塔の間は青銅製のパイプでつながっており、塔1の上部から塔2の中段へ、塔2の上部から塔3の中段へ、といった形でパイプがつながっている構造だ。
塔の中の構造は複数の板で区切られた層が構成されており、各層は穴によって行き来できる構造になっている。
この構造により塔の中に複数の単式蒸留器があるのと同じ効果を得られる。
例えば特定の層の室温が70度だとする。
当然沸点が70度以下の物質は揮発して上段へ行こうとする、一方で沸点が70度以上のものは液体に戻るので、重力に従って段の穴から下層に落ちていく。
下層に近づけば近づくほど、室温は熱源に近づいて上がるので下に行くほど沸点が高いものが、上に行くほど沸点が低いものが集まっていく。
最下層に溜った液体は前の層にもう一度戻し、再濃縮を行う。
そして一つの塔のなかで処理できないものは温度を分けた次の塔で同じように処理をしていき、段階的に成分の抽出を行っていく。
今回の連続式蒸留では水及びその他の固形成分を除去する塔、エタノールを精製する塔、メタノールを精製する塔、その他の低沸点成分を精製する塔に分かれている。
ここで生成されるエタノールは90%以上の濃度となるため、精製水で薄めれば、医療用に用いるには十分な精度になる。
そして蘭引でやっていた時とは異なり、抽出する液体は蒸留塔の熱源とは離した場所で採取するので、蘭引の時よりも安全に採取ができる。
そんなわけで説明をしながら高純度エタノールが生成できました。
臭いをかぐ限り不純物由来の変なにおいはなく、火を近づけるとすぐに綺麗な青色の炎が上がる。
あとはグリセリンの精製などがこれで行えれば、高濃度エタノールであることは証明できる。
はい、そんなわけでエタノールが生成できたので産褥熱は現状できる範囲の対策は完了!
これでルクレティアお嬢様に降りかかる問題はすべて解決!面白いと思ったらチャンネル登録高評価―――
じゃないんだなあ。もうちょっとだけ連続蒸留器の活用は続く。
産褥熱の対応だけでは、まだ近い将来迎えるであろうお嬢様の出産を万全にする対策は、足りない。
何が足りない?
逆子の対策がまだだよなぁ???
確か5%くらいの確率で胎児は逆子のままのはず。
ガチャの確率で考えればバリ高と言って差し支えない確率となる。
そしてお嬢様が妊娠したとき、万一逆子だった際には場合によっては帝王切開が必要になる。
え?古代ローマで帝王切開?と思うかもしれないが、実は古代ローマでは帝王切開は行われていた。
しかし、それは主に母体の死亡後の話。
これによってごくまれに新生児が助かることはあったが、大体においては埋葬などの儀礼のために母体から胎児の遺体を取り出していたというのが正しい。
外科技術的には妊婦が生存しているときにも行うことはできるが、麻酔無しでそんなことをしてしまうと、多くの場合で痛みによってショック死してしまう。
そんなリスクを放置していくわけには絶対に行かない。
つまりその時に妊婦に対して投与できる局所麻酔を数年以内に開発しないといけない。
具体的にはリドカインという局所麻酔だ。
そしてこれも連続蒸留があれば理論上は合成に、ほんとうにギリギリだが手が届く。
なんで麻酔薬が蒸留に関係があるかというと、リドカインの合成にはその前段階に6段階くらいの中間物質があり、その大半が石油由来成分だから。
逆に言えば石油精製までこぎつけることができれば、高温高圧合成やプラチナ触媒の準備などのいくつかの問題さえクリアすれば実験室ベースでの少量のリドカイン合成までは手が届く。
そしてリドカインを合成するための中間物質を合成するための軽質原油は確かルーマニアのあたりで湧いていたはず。
つまりルーマニア産原油さえ入手してしまえば、お嬢様が安心安全に出産するための条件が整えられるというわけだ。
流石にそこまでたどり着くにはあと数年はかかるだろうが、今11歳のお嬢様が実際にローマ社会における出産適齢期になるのも、だいたいそれくらい。
つまり今から全力で最短ルートを開発すれば間に合わなくはないのだ。
ポンペイにいた時は優先順位の関係であきらめていたが、手が届くのであれば挑戦すべきだ。
というわけでまずは確実に打てる手として初手で産褥熱を可能な限り駆逐し、その後数年計画で石油蒸留からベンゼンなどの石油化学物質を生成し、ルクレティアお嬢様が初産を迎えるまでにリドカインを完成させる。
これでようやく安心しでお嬢様の嫁入り準備ができるというわけだ。
はい、そんな感じて次の長期計画がPOPしたところで、トリである連続式蒸留器の開発と稼働実験は完了。
そんな数年先の計画を思い浮かべながら、とりあえずはこの連続蒸留器についてはデキムスさんとフェリクスのおっちゃんに丸投げし、高純度エタノールはまずはディオスコリデス様にぶん投げるべく、俺はそれぞれにあてた説明文書を、パピルスに書き始めることにした。
古代ローマにおけるバルカン半島情勢:
所謂ルーマニアにあたる地域はダキアと呼ばれており、このころはローマ帝国の国境の外にある。
なんなら絶賛ローマ軍がダキア軍にタコ殴りにされている時期で、数年後のドミティアヌス帝の代では親衛隊長は討ち取られるわ軍旗は取られるわの大惨敗をした挙句、賠償金までカツアゲされている。
ダキア(ルーマニア)がローマの軍門に下るのは、トラヤヌス帝の時代を待つ必要がある。
原油:
ごく少量の軽質油だけでよければ実はシチリアでも取れるが、ルシウスが用意するであろう小規模プラントレベルの連続蒸留器を必要とするほどは取れない。(泉に湧き出る油を掬いあげるといった採取方法のため)
だからルーマニア(ダキア)油田が必要な訳ですね。(なお国外)
石油蒸留:
青銅製の連続蒸留器を石油精製にそのまま使うと腐食ですぐ壊れる。
コスト度外視で蒸留器を使い捨てで使用するか、硫黄の除去技術を同時に開発する必要がある。
やることが多い……!
リドカイン合成:
所謂「なんでそう変な方向にばかり思い切りがいいのよ!」案件。
多分ジエチルエーテルとかも作ろうとするぞこいつ。
お嬢様が関わるとルシウス君すぐガチになるんだからもー。




