134話 疫病終息宣言と政治の季節[1/2]
悪夢の夏は終わり、秋が来た。
ローマ市民の誰しもが疫病が逃げ去る足音を確かに感じ、疫病の影響でひと月遅れての開催となるルディ・ロマーニへ期待を寄せるようになってきた中、この私、ルキウス・カルプルニウス・ピソも、少しだけ軽くなった動悸に良い気配を感じつつ、民衆が殺到するローマの中心部、フォロ・ロマーノでドミティアヌス殿下の執政官演説が始まるのを待っていた。
「去年のヴェスヴィウス山の噴火に続いて今年の疫病、ローマはどうなるのかと思いましたが……なかなかどうして、ドミティアヌス殿下の手腕も侮れませんな。殿下が皇位に近づいたことに最初は不安でしたが、今回の件で胸をなでおろしましたよ」
そして私の隣では最近(否応なしに)よく話すようになったストア派の元老院議員、ヘレンニウス・セネキオの姿。
そう、今回ドミティアヌス殿下はかつて内戦時のように強権を振い、黄金宮殿大学が配給した新しい薬品の処方を行わずに瀉血などの対応をする医師を物理的に制裁して回った。
スブッラのインスラであろうが元老院議員が提供した邸宅の臨時診療所であろうが押し入って制裁していく姿に最初こそ反発はあったものの、実際にその新薬の効き目がてきめんだったことからドミティアヌス殿下の選択は正しく、その強権によって救われた元老院議員も数多く居たことから上流階級内での殿下の見方も好意的な方向に向かっている。
「えぇ、まったく。今回は特にドミティアヌス殿下の気質が良い方に流れましたな」
セネキオに同意しつつ、内心ではもう一つの愚痴が思わず浮かんでしまう。
(あとは貴方達も大人しくしてくれると私は心安らかになれるんですがね……まあ無理だよなそうだよな)
そう、私は全然胸をなでおろせていないのだが。主に目の前にいるこのセネキオ達のせいで。
「お、ピソ殿。そろそろ演説が始まるようですよ」
私の内心を全く知らないセネキオは笑みを浮かべながら演壇の方面を指さす。
それに従い演壇を見ると、殿下が演壇へと登っているところだった。
演壇に登った殿下は広場を一度見渡し、そして演説を始めた。
『ローマ市民諸君!! 私の目には皆の不安の表情が見える。
私はその原因を知っている。
夏に入るころ、この最も美しく尊い都へ襲い掛かった、疫病という名の破滅の運命の顎門のことだろう。
諸君らの友、妻、子、親そして財産を奪おうとした忌々しい疫病。
奴らを駆逐しない限り諸君らの表情は晴れないのだろう。
だがもうそんな顔をする必要はなくなった!!
我々はそれを打ち滅ぼした!
あるいは駆逐した、諸君らの大切な人々を守り切ったと言っても良いだろう。
疫病という名のバケモノを我々は追放したのだ。
疫病は逃げ去ったのだ。
出ていったのだ。
執政官ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスは、ここに疫病の終息を正式に宣言する!!』
殿下が言葉を一度区切ると、『うぉぉぉぉぉおおお!!!!』という民衆からの喝采が上がった。
殿下はそれを満足そうに見回すと、手で民衆を制して再び言葉を投げかける。
『ローマ市民諸君! 国家は救済されたのだ!
もはや我々は疫病が突きつける見えない短剣が私たちの身体を突け狙うことはなくなったのだ!
フォロ・ロマーナでも、元老院でも、マルスの野でも、家でさえ我が物顔で入ってきた疫病という無礼者に怯える日は過ぎ去ったのだ!
……これまで、疫病という嵐の前には我々は無力だった。
我々はただ神殿に祈りを捧げ、嵐が過ぎ去るのを震えて待つことしかできなかった。
だが、見よ!
今のローマは違う!
我々はもはや、疫病を前に泣きじゃくって神という名の親に助けを求めるだけの幼子ではなくなった!
我々は、その叡智と不屈の意志によって、ついに疫病を追放したのだ!
ローマ市民諸君!
諸君らは知っているか?
この勝利をもたらした功労者が誰かを知っているか!?』
殿下の問いかけに私の後ろに居る民衆から次々に掛け声が上がる。
「ローマの英知、黄金宮殿大学!」
「高潔な少女ルシア!」
「清廉な学者商人デキムス!」
その三つの単語は、今やローマで知らぬものがいないものの名前と施設の名前。
『そうだ! 彼らだ!!
デキムス・ムニウス・サギッタ!!
その娘ルシア!
私が、このドミティアヌスが見出した彼らだ!
彼が、デキムスが、ネロの狂乱の夢の後に作り上げた黄金宮殿大学というローマの英知が、一人の高潔な少女、ルシアの才を目覚めさせ、諸君らの友、妻、子そして親を救ったのだ!』
熱を帯びる殿下の言葉に民衆は熱狂し、私の動悸は少し激しくなる。
今回、ローマを襲った未曾有の疫病はウェスパシアヌス帝によって設立された黄金宮殿大学、そしてそれらの立ち上げに尽力したドミティアヌス殿下が見出した黄金派ともいうべき学者団によって華麗に解決された。
特に目立ったのがサギッタ親子、デキムスとルシアの活躍だ。
そう、あの親子はあまりにも華麗にこの疫病を収束してしまったのだ。
元老院議員の誰もが、どの派閥もが彼らに熱視線を送るほどに。
疫病の足音が遠くへと過ぎ去ろうとしている今、次の季節――政争の季節が訪れようとしていた。
具体的には、元老院の各派閥がサギッタ親子――主にデキムスに対して相応の扱いをと動き出している。
それは至極まっとうな意見ではあるのだが、その動きの一部は、実質的にルクレティウス家、ひいてはドミティアヌス殿下とデキムスの蜜月関係に水を差すような推挙案すら出ている。
具体的には私の隣で熱を持った視線で殿下の演説に頷いているセネキオが属するストア派。
こいつらは『デキムス殿に黄金の指輪を!』と策謀している。
それだけならまだしも、あろうことかそれに加えて財務官への推薦を目論んでいる一派すらいる。
そして、それらの動きに対して殿下が良い顔をしていないと、殿下の被保護者に収まっているルクレティア嬢から情報が上がっていた。
つまり、元老院の動きに対し、何らかのリアクションをする可能性が高く、それをどこでやるかというと、今において他にない。
『だが、市民よ、歓喜に酔うのはまだ早い。
この先、再び新たな病魔がローマを襲わぬという保証はどこにもない。
かつてローマがまだ弱かった時に城壁を築いた時の様に、諸君らの財や大切な人々を守るためには、疫病に対する城壁を築かねばならない!
私はその任に当たるのはデキムス・ムニウス・サギッタが適任だと思う!』
……動悸が強くなっていく。
やはり、殿下はここで何らかの元老院階級の動きに対しての対抗策を出してくるようだ。
しかし、何を……?
元老院の提案に先んじて、黄金の指輪の授与を宣言し、財務官への推薦でも行うか?
ちらりと、演壇の脇で殿下を見守っているウェスパシアヌス陛下とティトゥス殿下の様子を見る。
財務官への推薦を行うのであれば先んじてウェスパシアヌス陛下から黄金の指輪の授与が差し込むはずだが、陛下が動くそぶりはない。
では何を……?
もしや直接財務官に推薦し、騎士階級を飛ばしての元老院入りか!?
流石にそれは騎士階級からの反発が出るぞ!?
『ローマ市民諸君よ!! 私は24日後、臨時の民会を招集し一つの提案をしたい!』
私の危惧に対して答える者はおらず、代わりに殿下はざわざわ形式ばった方式に乗っ取り、臨時の民会を開くと宣言した。
今では形骸化して定期的で儀礼的な役割しか持たない民会。
その民会に華を持たせることで騎士階級の反発を減らす狙いか?
そうですよね?
それ以外の何かとんでもないものを突っ込もうとはしてませんよね?
そこで財務官直通ルートなんですよね? ねっ?
それでいいですもう。
財務官、財務官への推薦ということでお願いします。
それならなんとか元老院内の反発は抑えて見せます。
それ以外はおやめください。
護民官やましてや法務官への推薦なんか言われた日には死んでしまいます。
財務官ですよね? ねっ?
ルシウスの件で私は頑張ったじゃないですか。
ルシウスに黄金の指輪付与させようとする元老院内の動き抑えるの本当に大変だったんですよ??
だからたまには私の願いも聞いてください。お願い。
お願いです、お願いですから疫病という混乱から回復しつつあるローマにこれ以上の波風を立てるのはおやめください。
ダキア遠征だけで一杯一杯なんです。
お願いです、お願いですから変なことは言わないで――
『私はその民会で、このローマを疫病から守った英雄、高潔な少女ルシアの父にして黄金宮殿大学の学長、デキムス・ムニウス・サギッタに―――』
『―――護民官職権を付与することを提案したい!!』
「…………?」
――殿下は今何と言った?
護民官、いや護民官ではない。護民官職権と、殿下は言った。
「カヒュッ!!」
それが意味するところに思い至った瞬間、心労のせいだろうか、一気に動悸が強くなり、私の喉は小さく鳴った。
「ピ、ピソ殿!?」
隣にいたセネキオ殿の声が聞こえ、彼が斜めになるのが見える。
次の瞬間には空が見えた。
あ、これは私が倒れているのか?
それに気が付くのと同時に、私は目の前が真っ暗になった。
■またピソ殿が死んでおられるぞ
ローマに広がる心労の輪。かわいそかわいそなのです。
■護民官職権
皇帝と言う地位を構成する称号や職権の中で最も重要なものとみられている護民官職権。
この職権の付与の経緯は紆余曲折あるが、部下の不祥事に関する責任を問われ失脚しかけたアウグストゥス帝が元老院との交渉の末に『護民官としての責任は負わないが権限は得る』というウルトラCをきめて成立したのがこの護民官職権となる。
作中でも触れている通り拒否権・身体不可侵権・民会招集権の3セットは非常に強力で、民会決議を利用すれば実質的に軍事指揮権すら獲得可能だったし、それの抵抗が現職官僚から出たとしても拒否権で抑え込めた。
何より強力だったのは実質的に再選任だった護民官とは異なり、護民官職権は更新性だったこと。
これが実質的な終身の職権付与を可能にした。
当然ながらそんな強大な権限は皇帝権威の象徴ともみなされたが、意外なことにこの職権は護民官職とは異なり定数はない。
つまり法制度上は何人にでも付与できる。
事実アウグストゥス帝は次期後継者のアグリッパやティベリウスなどへの権限付与を元老院に働きかけ、実質的な後継者承認の手段とした。
ちなみに護民官職権には付与資格、付帯する特権(自動的に元老院議員資格を得る等)もない。
これは護民官職権は成立時はアウグストゥスのために用意されたものであり、彼に付与する前提だったので態々付与資格を考える必要もなく、護民官が持つ元々の権限以外を彼が必要としていなかった(なぜなら元老院議員資格はすでに持ってるから)ので追加特権などという元老院ともめそうなものを追加する必要もなかったことによる。
※RTA的追加解説
ちなみに本話のこのイベントの前にピソ様の心労ステータスを限界ギリギリにしておくと、この演説が始まる直前にピソ様が倒れ、ブレーキの無くなった元老院ストア派が暴走するイベント『プランB』が発生してしまいます。
そうなると……デキムスさんは副帝ルートに強制突入です。
フォロ・ロマーノの中心を近衛兵に引き摺られて演壇に引っ立てられ、半ギレのドミさんに月桂冠を被せられるデキムスさんのイベントシーンを回収したい人は事前にピソ様に心労イベントを投げつけてピソ様の心労ステータスを高めておくとよいでしょう。




