130話 コルブロ君のおねだり[1/2]
西暦80年10月。
ローマを震撼させ、恐怖のどん底に落とし込んだ疫病――マラリアと赤痢との闘いは、ルシアが千八百年後の某クリミアのバーサーカー並みの活躍を見せたことにより、ようやく収束しつつあった。
マラリアについては蚊の活動が沈静化しさえすれば感染拡大は自然と収束していくが、マラリアと一緒に発生した赤痢を抑え込めたのは現代基準で考えても割と偉業だと思う。
赤痢の蔓延の慢性化を防げたのはディオスコリデス様が患者発生傾向を統計で分析して汚染地域を特定し、生石灰による徹底的な消毒を、ドミさんという暴力装置によって強制的に行えたことが大きい。
そしていくらドミさんがドミさんとはいえ、普通であればウェスパシアヌス帝やティトゥス殿下に止められそうな強権的な対応が何故できたかというと……赤痢治療とマラリア治療の陣頭指揮を並行して行ったルシアにより通常の疫病に比べて死者数が著しく低かったのが功を奏したのだと思う。
そういう経緯もあり、今や黄金宮殿大学内においてルシアに対して、こと医学面においてルシアの能力に異論を挟む者はいなくなっていた。
それはこれからは医療面についてはルシアに丸投げ出来る状態が整ったということで、ある意味俺にとってこの疫病は得るものが大きかったイベントともいえる。
もっと欲を言えば、この疫病で大量の熱熱患者が発生したので、発熱が転生のトリガーならもっと転生者(押し付け先)が出て欲しかったのだが、前世の記憶を思い出したのはルシアだけだった。
様子のおかしい患者がいれば俺かルシアに話が回るように手配したが一切そういう人はいなかったのでほぼ確実だ。
どうやら発熱はトリガーではあるっぽいが、別にそれで転生者がポンポンPOPするというわけではないらしい。
そんな感じで、トリアージが必要な緊急医療体制は9月の下旬には解除され、重症患者への対応も10月に入るころにはルシアからディオスコリデス様が推薦する医師たちに引き継いでも良いような状態になり、10月に入った今、ようやく俺とルシアは住居=黄金宮殿という状況から解放されることとなり、帰宅のための準備を進めているところだった。
◇
「除虫菊の特定方法のメモ、まとめ終わったよー」
「あー……帰る時にディオスコリデス様に直接渡そう」
「おっけー……これでやっとおうちに帰れるねぇ……ルシウス君」
「最後に家に帰ったのいつだっけ……?」
「…………さあ? 覚えてないなあ」
荷造りはサギッタ家の奴隷に任せつつ、俺とルシアは荷造りが終わるまでの時間で雑談に興じる俺とルシア。
「ルシウス君、家帰ったら何する?」
「とりあえず家に帰ったらお風呂に入って疲れを取る! そして数か月分の睡眠不足を補うべく纏めて寝る!」
「いいねぇー……ねぇルシウス君、これだけ頑張ったんだから、自分たちへのご褒美でちょっと遅めの保養に行くってのはどうかな?」
「保養かぁ……」
「私行ってみたい温泉があるんだぁ。シルミオって温泉地でねーこの前行ったサトゥルニア温泉にはかなわないけど、イタリア最古の温泉なんだよー」
「あー……ダキア遠征は来年だし、遠征が終わるまでやもうやることもないからいいかもなぁ」
「いぇーいルシウス君話がわっかるぅー。じゃあ後でお父ちゃんに頼んで黄金宮殿の関係者でそこに別荘持ってる人がいるか聞いてみるね」
「いっそデキムスさんも誘ったら?」
実際問題この疫病対策では黄金宮殿全体を臨時病棟化するための諸々に駆けずり回ったデキムスさんも流石にそろそろ過労で倒れそうだし、たまにはデキムスさんにご褒美があっても良いと思う。
「そうだね、そろそろお父ちゃんにもご褒美があってもいいよね」
「じゃあ決まりだね」
「あの……ルシウス殿。少し、よろしいでしょうか?」
そんなゆるーい会話をルシアとしながらゆっくりしていると、執務室の入り口からこの大学から聞こえる声としてはかなり珍しい、遠慮がちな声が聞こえた。
「コルブロ殿下?」
入口の方を向くと、そこにいたのはドミさんの愛息、コルブロ君の姿。
前に会ったのは感染爆発初期に搬入されてきたときにトリアージをしたときだったから……1か月半ぶりだろうか。
「あれ? ドミティアヌス殿下とは一緒じゃないの?」
いつもは大体ドミさんに付き添うような形で俺の前に現れることが多いコルブロ君だったが、今日は付き添いの側近の人のようなおっさんを連れているだけで、ドミさんとは一緒ではないようだった。
「はい、父上は来週のフォロ・ロマーノでの演説の準備で忙しいみたいです。……ルディ・ロマーニの準備もあるようですし」
「あー……」
確かに疫病の終息は実態として収まりつつはあるものの、まだローマ市民は平静を取り戻しているとは言い難い。
そして本来9月に実施されるはずのルディ・ロマーニも今年は疫病の影響で延期されている。
ドミさんとしてはおそらくローマの重要な決定を告知するフォロ・ロマーナで疫病終息宣言の演説を行って黄金宮殿の活躍を自らの功績として誇った上で、例年に輪をかけた形で盛大なルディ・ロマーニを開催するつもりなのだろう。
「とするとドミさんから何か伝言?」
「いえ、そうではないのですが、ちょっと、その……」
ドミさん関連以外にコルブロ君が一人で俺のところに来る理由がいまいち思いつかない俺に対し、何故かコルブロ君はルシアの方をチラチラと見ながら歯切れの悪い反応をしてくる。
その様子に、多分デキムスさん関係での厄介ごとだろうとあたりをつけた俺はそっとルシアに耳打ちした。
「多分デキムスさん関係の厄介ごとで、ルシアがいい顔しなさそうな案件っぽいから、先帰っててくれる?」
「わかったー。じゃあ保養の件含めてまたあとでね!」
そう言うと、ルシアはゆるーく手を振りながら侍女奴隷を何人か連れ、執務室を出ていく。
そして、あとには俺とコルブロ君の二人だけが残された。




