127話 詐欺師と聖女
(……クソが。俺ってやつは、何でいつも……こう、あともう一歩のところで躓くんだ……ッ)
腹に剣を押し込まれてねじられているかのような激痛。
意識を保つのも精いっぱいなクソったれな今……ローマ帝国の東方地域で最も勢いのある教団――クトゥルフ教団の教祖である俺、テレンティウス・マクシムスは、濁った意識の中で毒づいた。
クソったれ。
本当に現実ってやつはクソったれだ。
なんせこの状況は本当に悪夢みたいなクソのせいらしいからな。
高熱で視界はぐらぐらと揺れ、下からはクソと血が混じった大洪水。
ベッドのシーツは俺自身の血まみれの汚物で汚れきり、ひどい悪臭を放っているはずだが、熱に浮かされた鼻はもう何も感じなくなっていた。
どうしてこうなったのかに考えを巡らすと、何故かより昔の、十年以上の前の記憶がよみがえってくる。
――俺の人生は、まさに波乱万丈だった。
ただの弁が立つ奴隷だった俺はかつて、皇帝ネロの奴隷だった。
そして俺は人を魅了する才能もあったらしく、奴にかわいがられ、だけどネロがあっさり死んで、逃げ出して。
暗殺のドタバタで宮殿から盗み出した財宝を遊び惚けて使い潰した後は、適当な貴族をベラ回して騙して……。
そして……どうせならこのままネロでも名乗って馬鹿どもを煽り倒してやろうか、そんなことを考えていた矢先に……運が向いてきた。
俺の幸運は、一つの書物。
巻物ではなく、最近出回りだしたという冊子形式の一冊の本だった。
名前は――『ラヴクラフト書簡集』。
アシア総督の側近の貴族が、宴でこれ見よがしに自慢してきた山のような書籍の一冊だったそれは、なんでもローマで話題の奴隷、自らに百万セステルティウスもの価値を付けたという大馬鹿野郎が書いた本だという。
内容は人智を超えた宇宙からの恐怖と、混沌たる神々の群れ。
ほとんどの神は人を救わず、死の果てにも安寧はなく、救いは存在しない。
馬鹿な連中は『不気味な作り話だ』と気味悪がったが、俺は違った。
これはこの世を正確に表した、人々の不安の原因にスッと入っていくものだ。
そう、直感した。
『これだ。この圧倒的な恐怖と世界観を利用すれば、最高の宗教が作れる』
俺は貴族へおべんちゃらをしながら首尾よくその本を譲り受けると、すぐさまその本を知り合いのピタゴラス教団に属している頭のおかしい学者に見せ、輪廻転生思想と合体させた神話として再編纂した。
宇宙の中心で虚無のまどろみに沈む邪神。
死は安寧ではなく、救いでもなく、輪廻という物語の一説でしかない。
縋れる数少ない存在は唯一の善神のみ。
今まで俺たちが偉大だと思っていたこの世の神々は既に力無く、善神の被保護者でしかない。
そして、その善神や邪神どもと交渉できるのは、混沌に耐えうる鍛錬をした俺がでっち上げた『探索者』だけ。
我ながらとても良い教義になったと自負している。
さらに、『探索者』になれない迷える信者同士は、現世から強固な相互扶助を続けることにより、その延長線上での『死後』の発狂に耐えるという形で、相互扶助を組み込んだ。もちろんそれらを差配するのは発狂に耐える鍛錬をした『探索者』の役割だ。
これが、笑いが止まらないほど見事に当たった。
どうやら最後の相互扶助がものすごくはまったらしい。
今財を持つものでも死後の発狂に耐えられるかはわからない。
今、鉱山奴隷のような苦痛にさいなまれている者も、死後は財を持つものを発狂から救う素養を持っているかもしれない。
『今』と『未来』の立場が断絶する『死』という区切りがある以上、人はその先への救いと、その根拠を求めるのだ。
このクソったれな現実に不安を抱く奴隷や平民だけでなく、ピタゴラス主義と親和性の高い教義に惹かれた知識階級、そして救いに強固な根拠を求める上流階級までもが、俺の結成した『クトゥルフ教団』に救いを求めてきた。
貴族どもも釣れたことから、寄付は唸るように集まり、それをばらまけば現世の救いという実際のメリットを享受した下層民が狂信的に『探索者』を信奉した。
教団を立ち上げてから数か月もしないうちに、俺の名はローマ本国の元老院議員にまで届き、『宴の余興に』という名目で教義についての話を聞きたいという打診さえ舞い込んできた。
まさに、俺の人生はこの書に出会ってから、春を迎えようとしていた。
……だが。
やっぱり現実はクソったれだ。
運という人生で有限なものであるものの取り立ては、俺が思っていたよりもずっと早くやってきた。
元老院議員の庇護者を得て、ローマの中心で更なる権力と富を手に入れる。
あわよくば帝国が認める宗教のひとつにまで成り上がってやる。
そんなルンルン気分で足を踏み入れた夏の帝都ローマは、まるで俺が布教した神話の悪夢のような疫病の巣窟と化していた。
なんでも高熱にうなされる疫病とケツから血を吐く疫病のダブルアタックらしい。
元老院議員に自信満々にこの世の混沌と相互扶助による救いを説いた数日後……俺はケツから血を吐いた。
俺が罹ったのは後者の方だった。
宴を開いた元老院議員も同様らしく、奴の邸宅で療養することになったが……そいつのお抱え医師によると、この病はかかれば最後、十人に数人は命はないらしい。
そして俺は、運を使い果たしてその数人になりかけているというわけだ。
(……巻き上げた金も、築き上げた教団も、死んじまったら全部パーじゃねえか……!!)
血まみれ、クソまみれ、ウソまみれ。
俺の野望の終着点がこれか。
薄れゆく意識の中で、俺は自らの滑稽な人生を嘲笑った。
「あぁ……マクシムス殿……運が向いてきましたぞ……」
そんな俺の隣で俺と同じように死の淵をさまよっている元老院議員は、なんかアホなことを言っている。
この状況で運もクソもあるか。
心の中で悪態をつくが、俺が聞いているかもわからないので一人で世迷いごとをのたまい続ける議員。
「黄金――宮――学――サギッタ殿―――受け入れ」
言葉の端に聞こえた『黄金宮殿』という単語。
どうやら、俺とこいつはそこに移送されるらしい。
黄金宮殿、か。
あぁ……そこは荘厳な場所だな。
ネロが死んでから封鎖されていたと聞いている。
つまり遺体の遺棄場所ってことか。
ま、最後にあのネロが作った宮殿で死ぬのも……悪くないか。
少なくとも、俺には、贅沢すぎる最期だ。
身体がふわりと浮く感覚。
あぁ、怖い、怖い。
俺の隣にいる元老院議員は俺の与太話で死ぬのも怖くないのだろうが俺は違う。
あんなものは幻想だ、嘘だと知っている。
こんなことならばもっとバカだったらよかった。
そうだったら自分自身の嘘で自分自身を騙して、死ぬ時も怖くなかったのに。
そう、例えば死の淵で、天使……俺の考えた善神の使いが、俺を救ってくれるとか。
(そう、目の前に浮かぶような白い、美しく……慈愛に満ちた……)
(……ん?)
絶望のあまり現実逃避に必死になっていると、まどろみが薄れ、暗闇に沈みかけていた視界の端に、ふわりと白い影が揺れた。
それは、一人の少女だった。
「患者の汚物処理は絶対に生石灰をかける事! 患者は常に清潔に! 患者に触れたらすぐ洗浄!」
「そこの幼児は脱水が悪化してるわね……嘔吐で摂取できないのね。生理食塩水の皮下輸液。嘔吐が収まったら即投与中止できるように私が直接定期的に見るから投与量は絶対動かさないで。次」
自分の親どころか、祖父くらいの医師たちに有無を言わせぬ指示を出して次々と患者を診ている少女。
「その人は直腸脱? 識別布は赤から黄色に変えて移動。還納処置実施、その後は様子見。次」
「……この人、赤じゃくて緑でしょ。一般エリアに移送。次」
「い、いやルシア嬢! 確かにルシウス殿は緑にしましたが、この方は前法務官のご子息で――」
「ルシウス君の初期判断後に勝手に変えたの? そもそもトリアージは病状だけで判断しろって何度言えば分かるのかな??」
「ですが!」
「とりあえずコルブロく……殿下の黄色布扱い大人しく受け入れてるドミティアヌス殿下の前でもう一度言ってくれる?」
「……ぐっ」
「はい次!」
そして指示を出しつつだんだんと俺が寝転がっているベッドでと近づいてくる彼女。
思わず、震えながら手が伸びた。
「大丈夫、死なせないよ――頻脈――下血――……。生理食塩水、点滴静脈内注射開始。至急輸血用の交差検査も準備して」
伸ばした俺の腕に何かを刺しながら優しく微笑んでくる少女。
その笑顔は俺と同じ……分かる人にしかわからないわずかな不自然さがあった。
おそらく疲労で限界なのだろう。目端が少し震えており、瞼には隈。
しかし、俺は、そんな有様にこそ神聖さを感じた。
(……ああ。まるで、俺が教義の中ででっち上げた『天使』が、本当に手を差し伸べてくれているかのようじゃねえか……)
もしくは俺の商売敵のユダヤの一派どもが言う、聖女か?
せっかくだ、もし生き残れたら、うちでも聖女を教義に盛り込もう。
再びぼやける視界の中で、俺は少女の姿を追いながら自嘲した。
金ヅルから金を巻き上げる手段として、神すら捏造したこの俺が。
死の淵にあってまでこんな打算しか考えられない俺が。
自分自身で考えた都合の良い存在とあの少女を重ね合わせて、勝手に救いを求めて、すがりつこうとしている。
自身がでっち上げた神話が本当に存在するという、錯覚が襲ってくる。
滑稽だ。あまりにも滑稽すぎる。
しかし目の前には、確実に神聖な存在に感じられた。
もしや……本当に俺の作った偽物の神話が……事実なんじゃないかと錯覚してしまう。
そう思ってしまいそうになるくらい、彼女は……神々しかった。
ローマの奴らは、彼女をどう見るのだろうな。
■歴史の修正力さんvsルシア
多分この話で一番運が悪いのは直近でマラリアかかった後に今話で赤痢にもかかって疫病フルコンプしたコルブロ君。
歴史の修正力さんが殺しにかかってるのかな?
■西暦一世紀における新興宗教ブーム
西暦一世紀と言えば原始キリスト教がヌルっとローマの下層民に流行り出した時期ですが、この時期に流行り出した新興宗教は何もキリスト教だけではなかった。
たとえばペルシアから伝来し下級兵士に広く信仰されたミトラ教やエジプトから伝来したイシス信仰などがある。
特にイシス信仰はローマで公に受け入れられており、ポンペイ遺跡では劇場の隣というかなりいい立地に神殿が立っていたりする。
そんな新興宗教ブームだった一世紀なのでウトゥルフ神話を元にした信仰宗教が生えても不思議ではない。




