125話 事情聴取
ティトゥス浴場の脇の道を抜けた先にある、連れ込み宿や売春宿などの機能もある個室料理屋の二階の一室。
一階の店主曰く『うちはきちんと料理も美味いぞ』とのことだったので、朝ごはんも食べていなかったこともあり、とりあえずで頼んだルシアが好きそうな料理を前に、俺はルシアの様子を伺う。
「うぅ……私の冒険は始まる前に終わってしまった……こんなのってないよ……あんまりだよ……」
俺の視線の先にいるルシアは、少し料理について気にしつつも、いつだかのデキムスさんよろしく檻に入ったたぬきみたいな顔で窓に黄昏ていた。
「じゃあ料理はいらない?」
「食べる……昨日から何も食べてないもん……公共浴場でも飲み物しか売ってなかったし」
そう言いながらテーブルの上に置かれた腸詰めを頬張るルシア。
それを見て、俺もテーブルからパニス・アディパトスというべーコンが練られたパンを一口サイズにむしって頬張る。
「あ、美味い」
ギュッと小麦の詰まったパンの食感にベーコンの風味と塩味がいい感じのアクセントになっていて美味しい。
「絶望的な状況なのにご飯が美味しいよぅ……」
ルシアが食べている腸詰めも当たりらしく、パクパクと次の一本に手を伸ばすルシア。
「美味しい……美味しいのに……やだーやっぱ逃げたいー…破滅ルートは嫌ぁ……あーでも美味しい。未来の記憶を思い出しても舌はやっぱりローマ人」
「……今の状況、そんなに初手逃亡を企てるレベルなの?」
ザクロジュースを飲みながらまた虚無顔をし、食事に手を伸ばしてほんわかするという器用なことを繰り返すルシアに、俺は本題を切り出した。
ルシアは古代ローマ史についての情報も持っているようだが、そんなにヤバい状況なのだろうか。
「ドミティアヌス帝の側近なだけで破滅フラグ役満ですありがとうございました」
「ドミさんって史実だとそんなにやばい人なの?」
「……空気の読めないタイプの自認陽キャがぽっと権力握った結果全力でウケ狙いをするけど滑った挙句にキレ散らかして詰んでくタイプの陰キャ」
マジか。
「くわしく」
「自分は不倫しまくるのに風紀に厳しかったりとか。突然『俺は神だ!』とか言い始めたりとか。招待客の墓を模した宴席を態々用意してウケると思ってたらドン引きされて逆ギレかましたりとか。そんなことした挙句、元老院議員を無制限にぶち殺せる役職に終身でついて元老院と対立して暗殺されて、記録抹消刑とかいう『名前を言ってはいけないあの人』扱いの刑に処されるレベルには暗君」
わーお暗君。
「でもそれで初手単独逃走って……連れてってよ薄情だな」
流石にすぐ逐電は無理だがなりふり構わない逃亡前提ならば、ある程度財産を分散させてからルクレティアお嬢様を連れて逃げるという手も取れなくはないのだ。
お嬢様の説得が壁だが、政治的にまずい状態ならばお嬢様も同意してくれる可能性はある。
そんなことをすっ飛ばして、初手自分だけ助かるために逃亡を選んだルシアに、俺は若干の抗議を含んだ視線を向ける。
「だってさぁー、ルシウス君どう考えてもダメなルートで薬品作ってるし。どう考えても無計画じゃん。絶対つるむのイコール破滅フラグだって思ったんだもん。覚醒前の初恋の感情で少しだけ迷ったけど死ぬよりはマシだもん」
そしてそれに対してルシアは少し目を逸らしながら、理由を話してきた。
感情的には少し迷ったというルシア。
つまりそれを差し引いても俺のムーヴは彼女的にまずいことをしていたらしい。
「そんなに?? でもマラリアはあれ以外方法ないじゃん」
キニーネが手に入らない以上、コークス生産の副産物で芳香族物質が生成できるならまずクロロキンが最適だと思ったのだが違うのか?
「ピリメタミン作れるレベルに達してるならスルファドキシン足してSP合剤が第一選択じゃん普通……しかもディオスコリデス様、治療中に赤痢も流行りかけてるって漏らしてたし、なんならセフトリアキソン静注……は無理にしてもスルファグアニジンも必須じゃん。なのになんでよりにもよってクロロキンなの?」
……サルファ剤か。確かに作れるな、忘れてた。
いや、作れはするけれども。
「クロロキン、そんなにダメ?」
「ローマ基準だとダメ。あれ、治療域と中毒域がかなり近いの多分知ってるでしょ? ディオスコリデス様の口からクロロキンの単語聞いた時、心臓止まるかと思ったよ」
「効果の検証をしてるディオスコリデス様には基準量は伝えてるからそこは大丈夫だと思うけど」
「ディオスコリデス様はね」
どう言うことだろう。
ピンときていない俺の様子に、ルシアはため息をついて雑にベーコン入りのパンを口に入れながら説明を続ける。
「ディオスコリデス様とかのこの時代の医者の上澄みなら致死量をきちんと計算して、ちゃんと服用基準守ると思うよそりゃあ。でもそれ以外、市井の医者に渡した途端『あれ?間違ったかな?』とかの軽いノリで事故起こしまくるよアレ」
「あー……」
ルシアの言葉に俺はルシアがクロロキンはないでしょと言っていた理由を理解する。
この時代、医療の考え方は一定の法則こそあれ、標準治療なんで考え方は薄く、色々と試しながら治療をしていくことが多い。
それは服用量についても同じだ。
そしてその時の基準は医者のカンだよりということも少なくない。
他の薬であればそれでも良いのかもしれないが、クロロキンは違う。
2日の服用量を1日で摂取するだけで容易に致死量に到達するのだ。
黄金宮殿大学の病棟やディオスコリデス様に協力している医師にはその辺りを入念に、それこそしつこいくらいに伝えた上で身長を元にした理想体重に対する服用量を厳密に計算させている。
しかしそれでも投薬事故は起こった。
疫病が流行して市井の医者による治療を拡大する場合、ドミさんが考えたような思いつきを実行する医者は、いままでのレベルにはとどまらないだろう。
「やっぱりそこまで考えてなかったでしょ!? だから普通に考えたらSP合剤で時間稼いで、耐性原虫できる前にクソニンジン見つけてアルテミシニン開発からの切り替えとバックアップの苦肉の策でクロロキンルートがどう考えても最適解じゃない!」
ルシアの見立ては至極真っ当だ。
それとともに、なんとなくルシアの前世の職業についても予想がついてきた。
「ルシアもしかして前世医療関係者?」
「一応感染症が専門の医療系配信者。ルシウス君こそ、これだけポンポン薬合成出来るとか、何者? しかも記憶取り戻す前の私が見えてる範囲でも、やった知識チート、工業系まで網羅してんじゃん」
「普通の科学系配信者だけど?」
「科学で雑に区切るのやめようよ……。科学って言っても色々あるじゃん。薄く広くじゃなくてルシウス君やってる範囲かなり深く広くじゃん。私が見える範囲でやった知識チートだけでも範囲広すぎるんだけど……」
「なんかね、ところどころで変に知識を『思い出す』んだよなぁ……」
実際問題必要だから気にしないようにしていたが、確かに専門的な薬剤の合成などは本来俺の知識にないはずだった。
「ちょっと待って何それ。私もできるかな……うわキモッ……絶対に持ってないはずの天文の知識とか、多発外傷の処置知識とか脳内に浮かんできた……全然ジャンル違うじゃん……なんぞこれ」
うぇーといった顔をしながら気持ち悪そうにこめかみを揉み出すルシア。
「そういう分野の人とコラボしたことある?」
「多分前世の直前の配信でコラボしてたと人たちの知識に近い思う」
「ルシアもか、とするとコラボしたり絡んだことがある人の知識がなんかのトリガーで入ってくるっぽい?」
俺だけだと偶然かどうかの区別がつかないのでやる気がなかったが、ルシアも同じことが起きるのであれば検証するのもありかもしれない。
「ほかのトリガーは何だろうね。……我ら配信者だし、好意的な意識を持ってる人の数に比例してコラボ相手の知識が入ってくるとか?」
「そういやポンペイ被災民に俺の名前で支援物資ばらまいた時、一気に知識思い出した気がする」
「可能性高そうだね。追々試してみたら?」
「そうだね『一緒に』ね」
他人事みたいに言うルシアに俺は訂正を行う。
何一人で逃げようとしてるの? 絶対に逃がさん、お前だけは。




