123話 ルシア逐電
「一時間ほど前ほどのことだ、先にコルブロの意識が回復したと言われた私は面会のためにディオスコリデスに連れられて部屋に入ったのだが……丁度その時目を覚まして部屋を出ようとしてた様子のルシア嬢と鉢合わせた。そしてルシア嬢がこちらを見た途端……聞いたことのない言葉を発しながら怯えだしてな」
「おそらく高熱の患者に見られる『せん妄』かと思ったので私がその場は部屋に戻らせて、ドミティアヌス殿下には予定通りコルブロ殿下の見舞いをしてもらった。ドミティアヌス殿下がいなくなったあたりで丁度落ち着いたようだったので、私はコルブロ殿下の診察に戻ったのだが……」
「それで……落ち着かれた後に『少し風に当たりたい』とおっしゃられて、テラスに……そのあと『冷たい飲み物貰える?』と言われたのでカモミールティを取りに行って戻ったらお姿が……申し訳ございません!!」
証言の途中で自責の念に駆られた様子のルシア付きの侍女さんがデキムスさんに跪く。
「どういうことだいルシウス!? こ、これは何か熱病に関係のある何かなのかい? そ、それとももしかして……誘拐!?」
「デキムス殿、まずは落ち着かれよ……」
「娘が病気で倒れた翌日に失踪して娘がいなくなってい落ち着ける親がいますか!!」
それはそう。
ルシア失踪により錯乱状態のデキムスさん。
しかし一方の俺は、ルシアのマラリア発病時に比べると、妙なほどに心が落ち着いていた。
むしろ、一つの妙な確信すらあった。
今、俺はその確信をより確かな物にするために、ルシアがいた病室に意識が回復した後のルシアを見た人たちを集めて状況を把握を行っているところだった。
侍女さんの証言から、ルシアがいなくなったのはつい先ほど、そして意識が回復したのは一時間ほど前ということは分かった。
確かに高熱を出した患者がせん妄や錯乱をすることは……多分ありあえたと思うがそれにしたってちょっと様子がおかしい。
ディオスコリデス様とドミさんの前で一旦錯乱したのち、ルシアは一旦落ち着いている。
その後で再度錯乱? ちょっと考えづらくないか?
「ドミティアヌス殿下、ディオスコリデス様。ルシアが錯乱したとき、何て言っていたか、わかりますか」
「うーむ……私は聞きよく聞き取れなかったな。ディオスコリデスはどうだ?」
「私は一部は聞き取れたました……たしか『愛する者に鞭を打て、すぐに』と言っていたような……」
アマンテス・フラゲッルム・キトー……ハメツフラグキタ……?
『破滅フラグ来た』じゃね? これ……。
日本語の類似音を脳裏に浮かべながら、もう一つの気になる点に視線を移す。
ルシアに処方するためにベッドわきのおいていたはずの一服用ごとに分けたクロロキン粉末。
粉末を入れた袋はすべてなくなっていた。
……恐らくはルシアが持ち出した可能性が高い。
これは多分この粉末が必要ということが分かっていたと考えることができると思う。
熱が下がって動けるようになったから逃亡したと考えた場合、持っていくのは少しおかしい。
なんとなくだが、必要と分かっている……つまり医療知識がありそうな言動に思える。
そして数か月前、北ポンペイで漏らした『タマヤ』という言葉……。
……やはりルシア……。
「あとはしっぽのローマが何とかも言っていたが……『NANDE KODAI ROMA』か?」
うん。やっぱルシア、日本人としての前世的な記憶があるな。
前から持っていたのか高熱で覚醒したのかはわからないが、少なくとも今は確実に前世の記憶を思い出している。
俺の時も高熱がトリガーな疑いがあるから、それが思い出す条件なのかもしれない。
それはそれとして逃げる理由が全く予想がつかないが……ローマ史的に何かがある? ローマ史を知ってるのか?
「……ルシウス」
「ん? デキムスさん、どうしました?」
そんなことを考えていると、何故かデキムスさん、それにディオスコリデス様がこちらをジト目で見ているのに気付く。
「ルシウス……愛する人って、君だよね……」
「死の淵に立った人間は奥底に仕舞っていた本音が出ることが多々ある……少年ルシウスよ……ルシア嬢、妻から妾になること……実は不満だったんじゃないのか?」
どうやら二人はルシアの錯乱時のセリフが、婚約者から妾に落とされた事を実は不満に思っていることから出た言葉だと解釈したらしい。
「だが、そも忠義と愛に迷うルシウスの後押しをして自ら身を引いたのはルシア嬢ではないのか? 高熱によるせん妄状態とはいえ、それでルシウスを責めるのは筋が違うだろう」
「そうは言いますがドミティアヌス殿下。人の心というのはそう簡単なものではないでしょう」
「……ディオスコリデスよ、もしかして今、私が人の心の機微が分からぬと言ったか?」
「とにかく、今はルシアを見つけるのが最優先です」
話しが面倒な方向に行きそうな気配になったので、俺は軌道修正をするために話を戻す。
「まあ、たしかにそうだな」
「ううむ…」
「それは、そうだけど」
比較的内容に興味がないので同意するドミさん、微妙に納得していない二人。
しかし、ルシアが能動的に逃げている場合、実際問題ここで無駄な時間を使っている間にも捜索難易度は上がってしまう。
「ご主人様! 先ほど屋敷の門番がルシア様が屋敷に戻られたと連絡が!」
そしてそれを裏付けるかのように、サギッタ家の召使奴隷の一人が肩で息をしながら追加情報を持ってきた。
「なんだって!?」
「し、しかし何やら慌てた様子で荷物を持ってどこかに出られたと……!」
「」
「デキムス殿!? 気を確かに!!」
能動的にルシアが逃げていることが確定し膝から崩れ落ちるデキムスさん。
それを支えるディオスコリデス様。
「デキムスさん、まずできることをしましょう。ローマから他の街に行く街道さえ押さえてしまえばあとは市内を探せばいい。ルシアは僕と婚約者だった時に話題になった『100万セステルティウスの奴隷の花嫁』の評判でローマでも有名人だから市内にさえいればすぐに見つけ出せます」
「そ、そうだね……。君、商会の手すきの人全員使って各街道の入り口に見張りを立てて!」
デキムスさんは失神寸前のところをギリギリ持ちこたえ、連絡を持ってきた召使奴隷に指示を飛ばす。
「じゃあ僕はまずプラエネスティーナ街道方面に」
デキムス邸があるエスクイリーヌスの丘に一番近いのはそこだ。
「うん、ルシウス……おねがい……」
「消防隊の一部も動員しよう。奴らへは消防車の寄贈でサギッタ家へ大きな借りがあるだろう?」
「そうですね。殿下、お願いできますか」
「任せておけ、ほかならぬルシウスの頼みだ」
そうして、取り急ぎ手分けしてルシアの逃走ルートを抑えることになった。




