119話 勝ち馬混沌暴れ馬[2/2]
通路を抜けた先には、先ほど脳裏に浮かんで居た若手のストア派元老院議員の姿があった。
その隣にはストア派ではないが穏健派に属する元老院議員。
「おぉ、これはピソ殿!」
「もうお着きだったのですね、ヘレンニウス殿」
こちらに気づくなりにこやかに話しかけてきた内の一人、若手のストア派元老院議員の代表格でもあるヘレンニウス・セネキオは、話を聞いているとずいぶんと投資信託に入れ込んでいるようだった。
購入しているのはコスムス商会運用のガリア諸属州化粧品業株式と、デキムス商会運用のローマ全土株式というものらしい。
配当では農地運営には及ばぬものの、どういう仕組みか知らないが評価額が急上昇しており、すでに資産の三割を農地から投資信託に替えたという。
もう一人はまだそれほど入れ込んでいるわけではなさそうだが、それでもかなりの資産を農地から投資信託に移しているようだった。
「我らが後援し、騎士階級や商人が儲け、その富がまた我らに戻ってくる」
「これこそが私欲を捨てた先にある共栄という物だとは思いませんかな?」
「ははは……おっしゃるとおりですな……」
同調しつつ彼らの顔を見るが、そこには私欲を捨てるどころか、唸る富に飲まれた亡者の顔にしか見えなかった。
そんな私たちの会話を聞きつけ、他の議員も集まって来る。
数年前の腫物を触るような様子とは一転して私を囲む、各派の元老院議員の目も似たり寄ったりだ。
だが……彼らは本当にわかっているのだろうか?
農地の差配とそれによる地場への影響力とは違い、直接出資ならともかく投資信託では商会への影響力は行使できない。
直接出資でもあくまで出資者の一人でしかない、商会を動かすのは商人や騎士階級。
ストア派はそれこそが元老院階級のあるべき姿と言うが……それは長期的に見れば、我らがただの金庫になり果てることにはならないだろうか?
しかし、それによって利を得るドミティアヌス派にひそかに属してしまっている私にはそれは口が裂けても言えなかった。
「おお、これはピソではないか。通路の方までそなたらの景気の良い話が響いていたぞ。そなたも式典に参列するか」
そんなことを考えていると後ろから私の心労の過半を占めている声が聞こえてくる。
「こ、これはドミティアヌス殿下」
胸に手を当てて返礼をすると、殿下の顔には珍しくまるでいたずらを携えた悪童のような、それでいて残酷な策略を含むような笑顔をしていた。
「うむ。この初日の式典は私が差配した故、期待しているが良い。ローマの栄光を感じられるものになると、自負しておるぞ」
……いったい何をなされるつもりだ……。
私は思わず、ずっと気になっていた疑問が口から漏れ出てしまった。
「そういえば殿下。なぜ、このような日も落ちた時間に式典をおこなうのでしょうか? 通常、闘技場の落成記念の出し物と言えば、昼間に行うのが通例かと存じますが……」
私の問いこそドミティアヌス殿下が求めていたことだったのだろう、殿下は面白そうに目を細めた。
「くくっ……ピソよ。そなたもすぐに理解するだろう。なぜ私が、この『闇』を指定したのかをな。せいぜい、特等席で楽しむが良い」
殿下は明確な返答をはぐらかし、そのまま皇族の席がある方向へと歩き去ってしまった。
その背中を見送りながら、私の胸中の不安はさらに大きく膨れ上がっていった。
一体、何を企んでいるというのだ。
しかし不安だからと言って何ができるわけでも無く、私は指定された元老院階級の席に腰を下ろし、眼下の舞台を見下ろした。
そこに広がっていたのは、さらに奇妙な光景。
完成を祝う式典だというのに、中央のアリーナには細長いパイプの束と謎の機械、それを囲むかのようにおびただしい数の太い筒が縦に配置されている。
これでは剣闘士や飢えた猛獣が駆け巡るスペースがないではないか。
「あれは一体何だ? 何かの処刑の道具か?」
「いや、障害物を使った剣闘士の試合かもしれんな」
周囲の元老院議員たちも、皆一様に首を傾げ、ざわめきあっている。
一体、何が起こるというのか。
そう思っていると、中央の筒と外縁部の筒の間から、ようやくアリーナに生贄用と思われる脚を縛られた牛、豚、羊が昇降装置を使って現れた。
「お、ようやくお出ましだ……生贄、か―――」
パァン! パァン! パァン!
『――!!』『――!?』『――!!』
私の隣の元老院議員がそう呟いた途端、短い銃声……そう、銃声と共に三匹の生贄が悲鳴と共に鮮血に染まる。
「!?」
唐突な、何によって生贄の命が奪われたのか理解できない観衆からどよめきの声が上がる。
そしてそれに追い打ちをかけるように、唐突に闘技場内を照らしていたガラス製のランプが合図と共に一気に消し落とされた。
「あ、灯が!?」
突然の完全な暗闇。
観衆の驚きと恐怖のざわめきが、波のように広がっていく。
そのざわめきが最高潮に達した、その時。
パッパララ♪
トゥットゥルル♪
トゥイルルル♪トゥットゥルル♪
「!?」
静寂と暗闇を切り裂くように、鋭く甲高い管楽器のような音色が大音量で闘技場中に鳴り響いた。
気が付くと観客席の上部から吸い寄せられるように中央の筒の束のあたりに明かりが集められ、一人の老人がその筒のもとにある何かを操作している。
それに連動するように闘技場中に、腹に響く音色が広がっていく。
この場にいる数万人の観客のざわめきをかき消し、視線はその老人に注がれている。
音色は最高潮に達し、最後の音が紡ぎ終えられた後に、再びの静寂が訪れる。
観衆は何かを口にすべきか迷い、再びの静寂。
「さあ、親愛なるローマ市民よ! 聞いた後には見るが良い!!」
そこに、ドミティアヌス殿下の声が響いた。
「これが私の得たミネルウァの英知!! ユーピテルの雷が如き、英知の一端ぞ!!」
殿下の言葉を合図に中央への明かりが消え、老人がいた周囲の筒から火柱が上がる。
シュルルルルルルルッ!!!!
ドォォォォン!
そして、腹の底を揺るがすような大音響と共に、真っ暗な夜空一杯に赤や青に輝く巨大な『炎の花』が、幾重にも狂い咲いた。
「な!?」
「空に火の花が咲いた!?」
周りの元老院議員から驚きの声が上がる。
そして、
パラララ……
「――!――!?」
ババババババンッ!!
「――!?」
ドォン! ドォン!
ピュルルルルル!!
その声さえ、おびただしい数の日の花が闘技場の空に咲くのと同時に響くけたたましい轟音にかき消される。
周りの元老院議員たちの表情は驚きと高揚に染まっていた。
数万の観衆が全員、呆然と闘技場の空を眺めている。
赤、青、緑。
見たこともない色彩の炎が星々を打ち消し、夜空を真昼のように明るく照らし出しては、美しい火の粉となって散っていく。
元老院議員の座るエリアとほど近い位置にある皇族の席では、ドミティアヌス殿下が目を見開きながら長い銃を掲げて高笑いをしており、そんな殿下に構うことなくウェスパシアヌス帝とティトゥス殿下は空を呆然と見つめていた。
そんな、呆然とするか、この華麗な英知に興奮するかに分かれる群衆の中で、私は一人、全身から吹き出す嫌な汗を抑えることが出来ずにいた。
打ちあがるこの炎の花は――殿下が我が家で銃を使った時と同じ匂いがした。
それはつまり……このような『遊び』に、銃に使うための素材をふんだんに使ってしまえる状態に至ったことを意味する。
圧倒的な、元老院階級全てを殺しつくしてもおつりがくる……いやそれどころではない、世界を蹂躙しつくせる絶対的な暴力を殿下が得たことを意味する。
そして、銃……。
殿下はあの位置から生贄を、仕留めた……!?
いつでもどこでも、邪魔者を排除できるということではないか。
私は、殿下の味方にいち早くなった。勝ち馬に乗った。
しかしその馬はとんでもない暴れ馬だ。
人の気質はそんなにすぐに変わるものではない。
絶大な力を得た今、ドミティアヌス殿下が皇帝になったとき、かつての専横をまた行わないか?
よしんば殿下が変わっていたとして、この力は……本当にローマの手に負えるものか?
この絶大な力は本当に破滅を生まないか?
イカロスの翼のように、力によって破滅の道を歩まないか?
もしこの力が……先の内戦の様にローマの内側に向いたら?
「このような華麗な英知で始まる落成式典は前代未聞ですな。これはローマの未来は明るい!!」
私の内心を知らぬ隣の議員は高揚に支配された顔で興奮気味に私に耳打ちをしてくる。
「あ、え、えぇ……そう、ですね……」
……恐ろしい。あまりにも、恐ろしすぎる。
本当に誰一人この恐ろしさを理解していないのか!?
あるだろ!? あの生贄はなぜ唐突に血を吹き出したのかとか、あるだろ!?
目の前の夜空に広がる、夢のように美しく幻想的な炎の景色。
そんな美麗な空とは反比例するかのように、私の心はまるで光の届かない夜の湖の底へ、成す術もなく沈んでいくかのような、悍ましい悪寒に支配される。
群衆を避け、ゆっくり人気のない場所に移る。
「ヒーッス……ヒッヒッヒ――ヒーッ……ス」
人気がない通路の一角にたどり着いた途端、道化のような声が出るのを、私はもう抑えることができなかった。
「スッスッス……ヒーッス――はっ!…っは……ゲホッ――ヒュァ」
上手く息ができない。頭が痛い。目が回る。
私は、歓喜に沸き返る群衆の中でただ一人、自分の両腕をきつく抱きしめ、全身を蝕むその冷たい悪寒を必死に抑え込むので精一杯だった。
■流れてた音楽のイメージと楽器
・中央の筒は多分パイプオルガン。転炉の圧縮空気技術を流用すれば作れるしね。
・流れてる曲は多分こんなの。イメージが違う人はそれぞれラスボス用BGMを脳内でかけるといいですよ。
https://youtube.com/shorts/fPKCLqk1Am0?si=PPpoSyMVLHeQbI54
■ストア派元老院議員
理性と平等主義の思想が根幹にあるため、反専制政治の志向が強い派閥。
帝政ローマにおいてはたびたび追放や粛清が行われた。
しかしストア派はローマ哲学の有力な一派でもあり、社会規範の基礎としても重要な思想だったため、歴代皇帝でも排除には至らなかった。
東洋における儒教と儒学者みたいなものと思えばよい。
つまり、排除は無理だが専制君主的には定期的に焼きたくなるアレ。
■ヘレンニウス・セネキオ
一世紀を代表するストア派議員ヘルウィディウス・プリスクスの追悼伝記を書いた人物として知られる。
ドミティアヌス治世下における有力なストア派議員で小プリニウスとの親交も深い。
史実ではドミティアヌス治世下の元老院議員内の政治抗争に敗れ、処刑された。
小プリニウスとつるんでいたことから、作中西暦80年においては若手と言って良い年齢だと思われる。




