116話 デキムスさん進退極まる[2/2]
「一人二人程度なら何とか……」
それに対し、デキムスさんはめっちゃどもりながら口を開く。
「数百人規模だな」
「……」
「どうだ?」
「お、おおお恐れながら、あの……陛下」
ウェスパシアヌス帝が提示した『裏口入学希望者』の人数に、ガックシと頭を落としてから、震える声で何とか言葉をひねり出すデキムスさん。
「そも当校は、受け入れを絞っているのではなくすでに満杯なのです!」
「では教えられるものを育て、分校などを作るのはできんか?」
「それは、現に会計学ではすでに教える側に立てる者も十分育っております……」
「ならいけるではないか」
「ですが……!」
「ですが?」
「……彼ら、一向に学校から出て行ってくれぬのです! 彼らが新しく学校作ってくれれば私の負担も減るのにっ!」
それは限界ギリを突破したデキムスさんの魂の叫びだった。
「会計もそうですし、この基礎化学はもっとひどい! むしろ、教えられるほど知識を蓄えた者ほど『もっと先があるはずだ!』『この現象の真理を解き明かさねば!』と、勝手に居座って研究を始めるのです! おまけに、彼らの実験で倉庫は火の海になるわ、いろんな色の煙で倒れるものは出るわ……。今彼らを閉じ込めているテスタッチョ研究錬は混沌の坩堝ですよ! 彼らが外で何かを教えに行ってくれるなら金貨で最高の絨毯を買ってでも陛下に送り付けますよ100%おっさんかじじいですけど!」
「お、おう……お前も、大変なのだな……?」
「えぇ!! まったくそのとおりで!!」
目血走らせて最初のヘタレたぬきムーヴはどこへやら、キチゲ開放してウェスパシアヌス帝をドン引きさせるデキムスさん。
しかしそこは歴戦のめんどくさい階級たる元老院階級を長年相手してきたウェスパシアヌス帝。
ドン引きしつつも諭すようにデキムスさんに反論する。
「……お前の気持ちはわかった」
「ご理解いただけますか、陛下!」
「だがな、それでは元老院や騎士どもは納得しないぞ。『デキムスが知識を独占し、皇帝の要請さえ退けた』と非難の矛先がお前たちに向かえば……デキムス、今お前に飛んできている爆風に加え、ナイフもお前に向かって飛んでくるぞ」
つまり元老院の刺客が憂さ晴らしにデキムスさんを刺しに来る、と。
「ひぃ!?」
ウェスパシアヌス帝の直接的な例えに悲鳴を上げて絶望顔をするデキムスさん。
それはそれとして、今までの話を聞くに、俺は今回の案件では特に被害をこうむりそうではなさそうでよかった。
自らの安全を確信した俺は、とっとと問題を解決しようと首を突っ込むことにした。
ここに何の考えもなしに居直るとどこから面倒事が降ってくるから分からないからね。
さっさと帰りたいのはデキムスさんだけではなく俺もなのだ。
「デキムスさん。ちょっと整理させてください」
「な、なんだい、ルシウス君……」
「実際問題、学校内では会計学や化学の一部について教えられる人が増えてるんですよね?」
「うん。化学はむしろテスタッチョに住んでる人のが詳しいよ」
あの人たち研究錬に住んでるんか……。
「OK。つまり、教える『人』そのものはいるってこと?」
「そう。さっきも言った通り、教えられる人はいるんだよ。でも、彼らは『もっと研究したい』とか言って学校や研究錬から出て行ってくれないの!」
「つまり、広い場所さえ用意してデキムスさんごとそっちに移転すれば解決?」
「ルシウス君? 一応私には商会の仕事もあってね……」
俺に対し、言外に『近場じゃないと無理』と断るための名分を掲げるデキムスさん。
「なんだ。つまりお前の自宅から近い位置に広い建物があれば解決か? なら、都合できるぞ」
そんなデキムスさんの言葉に対し、ウェスパシアヌス帝があっけらかんと口を挟んできた。
「へ?」
間抜けな声を出すデキムスさん。
そんなデキムスさんを見ながら、ウェスパシアヌス帝は外を指さす。
「あそこだ」
その指が示す先には、現在大絶賛建設中の巨大な円形闘技場。
「あの、円形闘技場がどうかしたのでしょうか?」
デキムスさんが首を傾げる。
「いや、そこではない。その先だ。その先に、使い道のない、無駄に頑丈で、でかい建物があるだろ?」
「……?」
デキムスさんが目を細めてその先を見る。
そこには、かつてネロが建設した広大な宮殿群の屋根がちらりとだけ見えた。
「ま、まさか……」
嫌な予感がしたのか、デキムスさんがカタカタと震えだす。
「取り壊すのにも金がかかるからそのままにしているオッピウスの丘に屯する『黄金宮殿』の残りだ。あれ、お前にやる。全部学校にしてしまえ」
ウェスパシアヌス帝は、まるで『あまりものだけどいる?』くらいの軽いノリで言い放った。
「ド、黄金宮殿を、私に!?」
「どうせあそこは、ネロの負の遺産として持て余しておったのだ。一部は円形闘技場の落成に合わせて開放するティトゥスの浴場に使ってしまっているが、まだまだ余っている。あそこなら、部屋も無数にあるし、敷地も広大だ。造りもコンクリート製で頑丈だから倉庫で起こったボヤくらいではびくともせんぞ」
そう聞くとなんか最適な施設な気がする。
「い、いいいいいいやいやいや陛下!! 宮殿なんて下賜されたら、それこそ、元老院階級の皆様の敵意が一身に私に向くのでは!?」
一方のデキムスさんは規模がでかくなる=厄介ごとの規模もでかくなると察知したのか何とかウェスパシアヌス帝が最初に上げた元老院階級の印象を盾に回避を試みる。
「あーそれは確かにそうだな……」
「でしょ!?」
「ではお前のデキムス学校は今この時から『帝立黄金宮殿大学』へと格上げだ。そして……その初代学長は、当然お前だデキムス。これで黄金宮殿をお前にくれてやったわけではなくなるから何の問題もなかろう? 予算もつけてやるから金の心配もいらんぞ」
デキムスさんのあがきは、結果的にウェスパシアヌス帝のさらなる思い付きを誘発してしまった。
「!!!!????」
デキムスさんの顔が完全に凍りつく。
無位無官のローマの一商人から、突如として帝国最高学府(しかも物理的に超巨大)の初代学長への大抜擢である。
ローマの一般的な上流階級であれば泣いて喜ぶ名誉だろうが、今のデキムスさんにとっては厄介ごとがFULLマックスで襲ってくる未来を突きつけられただけでしかない。
「む、無理です! 陛下! 私はただの商人です! 学長など、そんな大役、私なんかに務まるわけがありません!」
「僕が送った基礎化学の教科書、音頭とって学者たちが分析する体制作ったのデキムスさんでしょ?」
「そうだけどあれはやむにやまれぬ状態だったからで!」
「デキムスよ、簡単に言うが、それを出来る学者は多分ローマに二人と居らんぞ……組織を作るだけなら官僚でもできるが、会計や数学、そして科学に精通していて学者どもが一目置いており、そして組織つくりもできる者……お主しか適任者はおらんぞ」
「僕もそう思います」
「……! ……!?」
俺とウェスパシアヌス帝の正論連打に、反論しようとするも材料が浮かばず、壊れた人形のように不審なボディーランゲージを取るしかなくなってしまうデキムスさん。
「あ、ちなみに僕は本来のドミティアヌス様の実績のための仕事で忙しい(嘘)から、教科書つくりくらいにしか協力できないから……頑張って?」
そんな隙を突いて、俺は俺に火の粉がかからないようにいい感じの位置に収まるように事前にデキムスさんにくぎを刺す。
そんな俺を信じられないものを見るような目でしばらく見つめた後、観念したのか膝から崩れ落ちながらデキムスさんは言った。
「学長職……つ、つ……謹んでお受けいたします」
ここにローマ帝国初、かつ人類史上最大の高等教育研究機関である黄金宮殿大学が爆誕した。
最初の学部は会計学、数学、薬学医学、化学。
多分すぐ増えるだろうなあ。
「進退窮まる」ではなく「進退極まる」にしたのは位人臣がほぼ極まったから。
ここから上に行くには騎士階級と元老院階級しかないからね。
せっかくなのでここでデキムスさんの経歴を振り返ってみましょう。
〇西暦77年秋
・ほぼその日暮らしの駆け出し零細薪行商
・住居:ぼろインスラ暮らし
〇西暦77年12月
・地方都市ポンペイで売り出し中の商会主
・住居:ちょっといいインスラの二階暮らし
〇西暦78年5月
・ローマに進出した甘味と化粧品が主力の商会主
・住居:ローマ一等地のでかい邸宅暮らし
〇西暦79年12月
・ローマ有数の甘味と化粧品を中心に取り扱う、多数の傘下工房を従える大商会主
・新進気鋭の中央官僚が集う私塾の塾長
・北ポンペイと南ポンペイの二人官
・住居:ローマ一等地の邸宅、北ポンペイの大別荘、南ポンペイの大別荘
〇西暦80年3月
・甘味、化粧品、合成染料、製紙、製薬、出版社等の巨大複合財閥『デキムス商会』当主
・北ポンペイと南ポンペイの二人官
・住居:ローマの邸宅、北ポンペイの別荘、南ポンペイの別荘
黄金宮殿の一角 ←NEW!
・皇帝直轄の巨大学術機関『黄金宮殿大学』の学長 ←NEW!!
・(対外的に)皇帝ウェスパシアヌスの側近にして次期皇帝として有力になりつつあるドミティアヌスの懐刀。 ←NEW!!!
成り上がりRTA最速走者はデキムスさんでは?




