112話 発行部数ランキングと邪神の足音[2/2]
「で、これが現状の印刷局での発行部数の詳細だ」
執務室に入って早々、アウ爺は印刷局が稼働し始めてからの発行書籍の一覧が記載された冊子を俺が座る椅子の前にあるテーブルに置いてくる。
冊子は二冊あり、千部未満の小数部数の一覧が記載された分厚い冊子と、千部以上の書籍一覧が記載された冊子。
その二冊の冊子は、膨大な種類の書籍がすでにこの帝立印刷局によって出版されていることを示していた。
南ポンペイの産業は北ポンペイの重工業とは異なり、ローマの職人に各種機械を作らせればすぐにでも事業が開始できる製紙及び活版印刷だった関係で去年の十二月頭、農神祭の前には稼働を開始しており、実績としては三か月程度分となる。
まずは小数部数の分厚い冊子の方をぱらぱらとめくってみる。
記載されている情報としては書籍のタイトル、発行者、著者、そしてほんの簡単なあらすじ。
大体は何々家の列伝だとか特定の人物の自伝だとか一族の英雄譚だとか回顧録だとかが並んでいる。
「少部数の物はやっぱり名家の自叙伝や英雄譚が多いね」
「名門のお歴々が被保護者に撒いたり貸本屋に押し付けたりする分だとこんなもんだ。名門の自慢話を金を出してまで買いたい奴は少ないからな」
「まあ、そうだね」
主に活況を呈している出版局前広場の需要もこの名家の自慢話英雄譚の執筆需要だ。
需要としては、アウ爺の言う通り被保護者やローマで新たな産業になりつつある貸本屋へ無償で押し付ける形とのこと。
ちなみにこの貸本屋、食堂や公共浴場に併設される形が多いらしく、特に暇を持て余したローマの有閑マダムやご令嬢のたまり場になりつつあるらしい。
それはもはや貸本屋ではなく漫画喫茶的なものでは? 漫画は無いから読書喫茶?
そんな貸本屋としても蔵書数の水増しに使える上に、メインの客層であるローマの有閑マダムなどが名家との交流や社交のために読むため、意外なことに貸本屋目線だとこの自慢話英雄譚、そこそこ需要もあるらしい。意外なWIN-WINの関係である。
それらの小数部印刷の書籍名が分厚い冊子一杯に並んでいた。
つまりこれらの数が自家、または自分自身をアピールしたいという自己顕示欲のリストとも言ってよい。
それだけで広場にあれだけの熱気と欲望にまみれた絵面が出現するのだ。
人間の名誉欲というのはすごいものだ。
一方で値段が下がったとはいえ、書籍は現代の価値に直すと一冊数万円もする。
好き好んで名家の自慢話に大金を払う層はほとんどいなかった。
それ故発行部数の中央値は数百部といったところのようだった。
「で、こっちがほんとのベストセラー一覧ってことだね」
「こっちは頻繁に重版をかけてるから大体の発行部数と思ってくれ、特に上位十シリーズは日単位で受注が積みあがってるからな」
アウ爺の補足を聞きながら後ろのページ、つまり売上ランキング下位から目を通していく。
そこには先ほどとは打って変わった様々なジャンルの書籍が並んでいた。
ローマの近年のうわさ話を纏めた風刺集。
食堂や料理人向けと思われるレシピ本
そして古代ギリシアの古典文学を編纂した書等々。
「特に上流階級にとっての基礎教養となるギリシア文学の書籍は安定して需要があるからか安定して捌けてるな。庶民向けは風刺集などの娯楽書が多いイメージだ」
アウ爺の所感を聞きつつ、そこそこ発行されている部分のページをめくり、発行部数上位の冒頭ページに視線を移す。
「で、圧倒的なのがやっぱり博物誌って訳ね」
ランキングの最上位は予想していた通りプッさんの『博物誌』だった。
「プリニウス様がとてつもない書をティトゥス殿下に献じたというのは上流階級ではうわさレベルであれば誰でも知っていることだったからな。そしてその初版を買った元老院議員が宴で内容を絶賛してからはもう爆発だよルシ坊」
「その書籍を持っていることがステータス化している、と」
「そういうことだ。それに博物誌は純粋な読み物としても知的好奇心を刺激するからな。重版即完売で予約待ちの注文書が積みあがっとる」
「で、他の書籍は――」
「庶民向けではマルティアリスの『風刺詩集』、上流階級向けだとウァロの『農学論』、あとは奴隷保有者向けでファルクスの『奴隷のしつけ方』なんかが上位に来てるな」
「デキムス学校関係者の書籍も上位にあるじゃん。デキムスの『会計学』、ディオスコリデス様の『薬物誌』とか五位と四位だし」
「どちらも実用書としての需要が高いからな。貸本屋でも借りれるまで数週間待ちらしく、デキムスの所経由でコンスタントに予約が来てるな」
まあ、会計は今後企業化する業種の裏方で成り上がろうとする人なら必須の知識だし、薬物誌は医療関係者には必読書だろう。
大体上位に位置するものは強力な導線があるコンテンツ系が大半を占めているようだった。
「――ん?」
そんなことを思いながらランキング上位を眺めているとページの下部にある異質な書籍名に目が留まる。
第六位 テレンティウス著『新約・クトゥルフ神話』
第七位 ルシウス著『翻案・ラヴクラフト書簡集』
「……アウ爺、これ何?」
後者は確かリバーシ以外の娯楽が欲しくなった去年あたりに『TRPG流行らせられないかなー』って思い立って設定資料集を作った覚えはあるけど、出版アウ爺に依頼してたっけ?
「ラヴクラフト書簡集は初期の試し刷りの時に作ったろ?」
「そうだっけ? それにしても謎に売れてない? なんで?」
「わからん。……わからんが、なぜかアシア地域から妙に注文が入っていてな」
他の書籍と違い、歯切れの悪い返答のアウ爺。
まあラヴクラフト書簡集は作った覚えそのものはあるからまだいい。
六位のクトゥルフ神話とかどこから出てきた? それに著者。
「テレンティウスさんが書いてるっぽいけど何やってんのテレンティウスさん……」
「あぁテレンティウスといってもネオとは違うぞ?……ちょっとまて、えーと……あったあった。テレンティウス・マクシムスという者が広めてるようだな」
執務室の机から注文書を取り出し、俺に渡すアウ爺。
そこには新たに二万部の注文が記された注文書と、その後ろには『前金で代金受領済み』のメモ書き。
「あとはピタゴラス派の哲学者たちを中心にローマやアテネでの注文も結構あるな」
「はえー」
ローマ人にはまだTRPGは早いかなーと思ってたけどそうでもないっぽい?
まあ流行ってる地域は地域はアシア、つまり未来のトルコ地域が中心っぽいけど。
じゃあ時間があったら設定資料集追加して、ダキア遠征がひと段落したらTRPG大会でも開いてみようかな。
■テレンティウス・マクシムス
史実では偽ネロの中で最も成功(?)した人物。
だいたい80年前後のティトゥス帝即位前後にアシア属州地域で支持を集め、最終的にパルティア王国の庇護を受けたものの何やかんやあってバレて処刑された。
一言で言うと一流の詐欺師。
本作ではTRPGの興行主にでもなってるのかな(すっとぼけ
■ピタゴラス主義
「万物の原理は数である」という考えのもと、数学・哲学・音楽を融合させた学術的教団。
輪廻転生的な思想も持っており、紀元前四世紀に一度廃れたが紀元一世紀に新ピタゴラス主義として再興され新プラトン主義へとつながってゆく。
史実では指導的役割の人物がいなかったためこの時期に勃興した他宗派の波にのまれ宗教的側面としては廃れていった。
実践化学とオカルトが入り交じっておりクトゥルフ神話と思想的に相性が良い。




