110話 欲望塗れの出版都市
温泉での貞操危機から半月。
三月に入り徐々に暖かくなってきた今日この頃ですが、脳内リスナーの皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
俺はと言うと、尊厳と理性残機に多大な被害を及ぼしつつルクレティアお嬢様&ルシアとの攻防もひと段落し、サトゥルニア温泉での二人への慰安は表向きは無事終了したところでございます。
まあ『無事』というか『無事?』って感じだけど。
特に知識チートを引き出すわけでも無いのに脳内リスナーに語り掛けなければいけない惨状になっている状態だったりする。
あの温泉での攻防以来、ルクレティアお嬢様とルシアは俺に対してのスキンシップについて自重を捨て去ったようで、当たり前の就寝時に俺のベッドにもぐりこんでくるわ、一緒に風呂に入ろうとするわ、人がいないところでやたらキスをせがんで来るわ等々の挑発メスガキムーブを繰り返し始めている。
それに対して俺は、十五歳を迎えた後にまとめて倍返しをする決意を固めることによって何とか理性を保っていた。
二人ともそれぞれ十五歳迎えた日には覚悟しとけよマジで。
こっちが絶対に手を出さないとわかってるから好き放題してくれちゃって本当にさ。
それまでの分きっちりまとめて仕返ししてキャーン言わせてやるからなマジでほんとに。
あ、ちなみに十五歳を迎えた時のハードコアは非公開動画なのでメン限だろうが何だろうが脳内ポーンほにゃららには公開しません。
あきらめてください。その動画は全部俺の。
……とにかく。
そんな、将来に向けての夜の報復劇計画の策定が必要になってきたりしたサトゥルニアでのバカンスだったが、なんだかんだで純粋に何もしないバカンスとしては初めてだったので、羽も伸ばせてもいたりする。
旅行という意味ではグラッパ目当てで訪れたヴェスヴィウス山の麓にあるワイン農場への小旅行や、ローマへ進出する時の移動、そしてリエーティでの避暑などでこの時代の人間としてはかなり高頻度で旅行してこそいるが、どれもRTAへの打ち手や知識を搾り取られる前提の半分仕事みたいなもの。
純粋な余暇としての旅行という意味ではこのサトゥルニア温泉への旅行が初めてと言える。
結果、なんだかんだで結構楽しめはした。
そんな初めての休暇ですっきりした(体の一部はイライラしたままだが)頭で、目の前に城門が見えつつある次なる目的地であるもう一つのポンペイ、南ポンペイへの視察に意識を移す。
ちなみにこの南ポンペイ、サトゥルニア温泉から向かうにはローマにつながる街道を経由する必要があるのだが、今回はローマの城壁前でルクレティアお嬢様とルシアと一旦別れ、市内には入らずにそのまま南ポンペイに向かっている。
これには特に深い理由はなく、デキムスさんから毎日のように手紙が届いてることでローマに面倒事が発生してそうな気配がするからだ。
多分サトゥルニア温泉の滞在中にデキムスさんに送った『基礎化学の教科書的な奴』か『ローマ熱の治療セット(クロロキン・ピリメタミン・顕微鏡)を記載したメモ』のどちらかまたは両方がデキムス学校で猛威を振るってるんだと思う。
なお手紙は読まずに捨てているのでどっちなのかは分からない。
まあ本当にやばかったら本人が来てるだろうし後回しにしても大丈夫だろう。多分。
後回しにするととやばくなる要素であるプッさんやドミさんはまだ北ポンペイにいるしね。
そんなわけで俺は、つい先ほども追加で届けられたデキムスさんの悲鳴の気配がする手紙をポイ捨てしつつ、馬車を降りて南ポンペイの城門をくぐった。
◇
ローマ郊外に位置する保養地ディブルにほど近い位置に建設中の南ポンペイは北ポンペイに比べるとさほど面積は広くなく、どことなく元々のポンペイを思わせるコンパクトな都市設計をしているようだった。
城門で俺を出迎えてくれたアウ爺と一緒に市内に入ると、門のすぐそばには製紙工房群が広がっていた。
製紙工房群一帯は若干北ポンペイに似た構造をしており、ローマ水道から分岐させた水車用の水路でおびただしい数の水車が稼働しており、隣接する倉庫にはローマから搬入された大量のボロ布がうず高く積みあがっている。
「製紙工房はすでにピソ様から紹介された穏健派元老院議員の息がかかっている新興騎士階級とのソキエタスが組まれ始めているぞ」
「ローマに近いこともあって資本の方は動きが早いの? アウ爺」
広場に足を進める俺の隣を歩きながら工房の状況について説明するアウ爺に俺は質問を投げる。
「まあ、ローマに近いというか、大体の由緒ある家はこの先の広場に家の者を派遣するか本人が赴いているからな」
「……あー」
アウ爺の返答に俺は納得する。
デキムスさんの手紙と時を同じくして届いていたアウ爺の手紙の方は読んでいたが、この南ポンペイもある意味で北ポンペイ並みのカオスな状況になっているらしい。
そしてそのカオスな状況の中心地が、今俺が視察に赴いている巨大建造物である『帝立印刷局』の前に広がる街の中心地であるところのユーピテル神殿前の広場。
「先に言っておくがルシ坊、広場にいる連中はそのほとんどが印刷局に本の印刷を依頼する人間たちで、この街の人間はまともだからな?」
「それ広場にいる人間は大体まともじゃないって言ってない?」
「……」
アウ爺なんか言って?
『――!!』『――!?』
そんなアウ爺にジト目を向けつつユーピテル神殿の脇の道をすり抜け広場に入る。
事前にアウ爺に聞いていた話では、名家や演劇の興行主が詩集や物語の書き手を求める一方、その需要を嗅ぎつけた弁論家崩れや修辞学者が執筆仕事を求めて集まり、広場でマッチングや編集会議が行われているという話だが……。
『マルティアリス殿! ぜひ我がコッタ家の政敵を風刺する内容を詩集に加えていただきたく!』『えーどうしよっかなぁ。フラウィウス円形闘技場の落成記念詩集はもうほぼ完成してるしなぁ』『そこを何とか……報酬ならここに!』
『小オウィディウスのバカはどこだ! 我がクロディアヌス家の英雄譚の刊行直後にドロドロ略奪愛モノの物語を出しやがったあのカスはどこだ!! 同じ作者だから合わせ読みされて我が家の家名が汚れるだろうが! ぶっ殺してやる!』
『確かに我がエウマキア家は女性が力を持つ家系だが……! 歴代家長をドМ男っぽく書くのは流石にやりすぎ!』『でも刺さるでしょ』『私に刺さるのは私が異常性癖なだけで……!! これ持って帰ったら妻に物理的に私が刺されるんだよ!?』
『我が家が勃興したのは確かにガリア戦争ですが、なんで物語の過半がガリア人の強さをねっとり描写することに割かれてるんです!?』『もっとガリア人について知りたいから旅費出してくれない?』『~~~~っ!! OK!』
広場のあちこちで飛び交う怒号、そして駄々漏れの癖。
「今まで縁がなかったから知らなかったが、物書きというのはどーも癖が強い者たちばかりみたいでな。まあ、ご覧の有様というわけだ」
「うわぁ……」
活版印刷という情報を氾濫させる手段が唐突にPOPした事によって承認欲求モンスターに支配されたローマの上流階級と、それを利用して自らの癖をローマにねじ込もうと目論む物書きたちの欲望によって広場はねっとりとした肌に張り付きそうな熱気に包まれていた。
広場だけを見ると作家側が好き放題しているように見えるが、囲むように建ち並ぶ食堂を見ると蒸留酒の炭酸割りを浴びるように飲みながら頭を抱える作家。そしてその前に血走った目で仁王立ちし、進捗を見張る使いの者たちの姿。
作家は作家で一杯一杯のようだった。
欲望に突き動かされた亡者たちの姿がそこにはあった。
ある意味で北ポンペイよりも欲望が渦巻く広場を前に俺は、
「アウ爺。とりあえず予定通り印刷局の中案内してももらえる?」
「……あぁ、そうだな、こっちだルシ坊」
見なかったことにして本来の目的である出版局の建物に足早に向かうことにした。
あれはもう俺には救えないものだ。というか特に救う必要もなさそうじゃないかな?
なんかヤバ気な状態にまでなったら南ポンペイの有力者が何とかするだろう。
そのための有力者だものね。
■どっかのあったかい牛乳の編集部みたいな広場
こんな広場は史実には存在しません。してたまるか。
……作家は元ネタがあったり史実人物だったりするけど




