夢を見る――1936年11月のマドリード
ソファーに寝転び、テレビを消す。自分が眠っているのか起きているのか分からない境目がある。その境目をまたぎ越すと扇は参加したことのない戦争へと誘われた。一九三六年十一月のマドリード、王立狩猟園のなかのある小さな家は門を土嚢でふさぎ、毛布で体をくるんだ民兵たちは塀に小さな穴を開けて、銃を突き出し、ちらちらと姿を見せるファシストたち目がけて発砲した。扇と寿は誰かに足を蹴られて目を覚ました。冷たい石の壁によりかかって寝ていたので、ひどく背中が痛んだ。蹴った足の持ち主であるゴンサロ・コントレアス大尉が言った。
「起きろ。大切な話が二つある」
寿はふああと大きくあくびした。
「大切って、どのくらい大切?」
「ドゥルティが死んだ」
「助からなかったのか?」扇がたずねた。
大尉は首をふった。
「もう一つの大切な話ってのは?」寿がきいた。
「戦車だ」
ひゅーう、と寿は口笛を吹いた。
ファシストの戦車がこのあたりをうろついていた。フランス製のルノーだ。大戦で使われた古く小さな戦車でしかも三十七ミリ砲のかわりに八ミリ機関銃を装備している二流品だった。大砲さえあれば、すぐに片づけられるが、大砲がなかった。迫撃砲もなく、この戦車にはすでに機関銃陣地が二つやられていた。
「砲兵は大学都市のほうに取られている。だから、おれたちだけで戦車をなんとかしないといけない」コントレラス大尉は中背でずんぐりとしていて、髭と眉毛がブラシみたいな男だった。
「なんとかっつったって手榴弾もねえのに」ペドロ・アダラが言った。「まさか素手で止めろってんじゃねえよな?」
「昨日、ダイナマイトが六本届いた。こいつで吹っ飛ばす。志願するやつはいるか?」
その場にいる全員が手を上げた。
「ダイナマイトは六本しかない。そのうち一本はおれが取る。志願者は五人だけでいい」
そこで話し合いがされ、戦車破壊の任務はペドロ・アダラと〈眼鏡〉、フェデリコ・マルティネス、それに扇と寿が引き受けることになった。志願者にはダイナマイトが一本と紙マッチが一つ与えられた。補給の不手際でマッチが不足していたので、七本入りの紙マッチをもらうと、自分たちはもてるもの全てを出す総力戦に打って出るのだという気合が入った。ダイナマイトにはその手の感慨が湧かなかった。
民兵たちは門を塞いでいた土嚢を十分近くかけて取っ払った。鋳鉄の蔓模様がほどこされた門は開いた。扇たちが外に出ても、民兵たちはまた土嚢を積み上げるどころか、門を閉じることすらしなかった。逃げ帰ってくる志願者たちを速やかに家のなかに入れるためだの心遣いと分かると、なんとしても戦車を吹き飛ばさなければいけないと決意を新たにした。
十分後、泉のある小さな公園のそばを通り、田舎風の古い家が並ぶ道へと折れた。家はどれも銃弾の跡が何百発と残っていて、道の真ん中にファシストの死体が転がっていた。右目のあった場所に大きな穴が開いていて、縁は焼け焦げていた。銃とマント、それに靴と靴下が引っぺがされているのを見て、敵もこちらと同様に物資の欠乏に悩まされているのが分かった。
「ファシストめ」〈眼鏡〉が唾を吐いた。
「こいつはファシストじゃねえよ」ペドロ・アダラが言った。「ファシストの部隊は青いシャツを着るんだ。こいつは、まあ、そうだな――おれたちと同じ、ただの兵隊だ。きっと戦争の前は労働者だった。手を見りゃ分かる」
「ファシストじゃねえやつがなんでファシストの軍隊で戦うんだよ?」
「戦争が始まったとき、たまたまファシストの占領された場所にいたんだろ」
「マヌケな話だねえ」フェデリコ・マルティネスが言った。このなかでは一番年上で四十二か三。だが、皮革工場で長年働いた苦労がその外見にもろに現れていたので、六十歳といっても通るだろう。「教会はこいつらに天国を約束してやったんだろ?」
「教会のやつらの言うこと信じてんのか?」
「信じるわけがねえだろう。わしらはあいつらがなにをしてきたか、地主の手先になってなにをしたか、わしらは絶対に忘れねえ」
「おれの生まれたサン・フアン・デ・アスカドはよ、とんでもねえド田舎でな」〈眼鏡〉が言った。「そこじゃみんな字が読めなかった。教会はあったが、おれたちの家のほうがまだマシな代物だった。エラディオって神父だが、こいつがナポレオンの時代からジジイだったみたいに歳を食ってて、おれたち同様、字が読めなかった。自分で畑を耕してたが、いかんせん歳だろう? だから、おれたちはエラディオ神父の畑仕事を手伝ってやったし、よく栗や雉を持っていってやった。教会なんてろくでもねえ制度だし、あの人でなしどもを皆殺しにするのは賛成だが、エラディオ神父をぶっ殺すのには賛成できねえ。あの人はおれたちと同じ貧乏な百姓だった」
「まさか、キミ、その神父、殺しちゃってないだろうね?」寿がたずねた。
「お前、なにきいてたんだよ? エラディオ神父をぶっ殺すのには賛成できねえっていっただろ? まだ、あのサン・フアン・デ・アスカドで畑を耕してるはずだ」
短い土手のような場所に葉の落ちた並木があった。その先にはファシストの塹壕があり、戦車があった。戦車は共和国軍の陣地を襲撃するとき、必ずこの土手を通った。他の道は砲兵の射程に入る可能性があったし、恐ろしく頑固な泥が地球の裏側まで詰まっているような沼を横切るハメになるからだ。土手の左右には鉄条網があるが、戦車が出入りする道だけはなにもなかった。
戦車を待つために土手の斜面に転がると、半年遅れのマンサニージャの花が背中で潰れて、リンゴの香りがした。空を見上げると、イタリアのフィアット複葉機と共和国軍のカーティス機が十数機ほど、ぐるぐるまわりながら取っ組み合っていた。
「空の兵士の取っ組み合いは陸の兵士の取っ組み合いとは違うんだねえ」寿がのんびりした声で言う。「ドッグファイトとはよく言ったもので、お互いの尻尾を追いかけあってるみたいだ。機体同士が触れ合えば、どちらも墜落しての引き分けになる」
「大戦の最初のころは本当に飛行機で殴り合いをしたらしい」扇が説明する。「まだ飛行機は凧にエンジンを積んだような代物で搭載する機関銃も開発されなかった。だから、敵同士が出くわすと、観測手がリヴォルヴァーで撃ち合う」
「二人乗ってるの?」
「そのころの飛行機の役目は敵の陣地を空から見て地図を書くことだったんだよ。兵器は積んでなかった。爆弾も手榴弾も」
「ふーん。それで?」
「弾がなくなると本当の格闘が始まる。自分の飛行機の翼で相手の翼のあいだのワイヤーを断ち切るんだ。まあ、たいていは目測を誤って、正面衝突して墜落したらしい。それからは敵の飛行機と出くわしたら、挨拶するだけで済ませるようになった」
「それってとても平和的だよね。鉄砲の下手上手いじゃなくて挨拶の丁寧さや機知で勝敗を決めるんだから」
「その習慣もどこかのおせっかいがまわるプロペラの後ろから機関銃を発射できる技術を開発して以来、消えてなくなった」
「おや、残念」
カーティス機が一機、ライターみたいにパッと輝いてから燃える光の尾を引いて、錐もみに墜ちていった。炎は螺旋を描く黒煙すらも赤く染め上げ、彼の戦争が終わったことがその場にいる全員に知らせるように空中で爆発した。
「……」
「どしたの?」
「お前にききたいことがあったんだが――なんだったか忘れた」
「キミがとっておいた山羊のチーズを食べたのはおれじゃないよ」
「そうじゃない。もっと大切なことだ」
「次の煙草の配給より大切?」
「たぶん、それより大切だ」
「そうなるともう質問はこれしかないね。『この戦争に勝てるか?』」
「……もっと大切なものなんだ」
「え? じゃあ、どうやったら女の子にモテるか? でも、キミはそういうことききたがるタイプじゃないし」
「あと少しで思い出せそうなんだけどな。あと少しで――」
「来たぞ、戦車だ!」ペドロ・アダラが上ずった声で知らせた。
志願兵たちはぐるりと転がって腹ばいになり、いつでも土手の上に飛びだせるよう、膝を曲げた。
ルノー戦車のような小さな戦車でも土手が小刻みに震える。戦車の持つ強みは動くことだ。人間はこれまで鋼鉄を固定するために鍛えてきた。鋼鉄はどっしりと動かないことが当たり前だったのだ。それを戦車が破ったため、人間は脆弱な肉の身で動く鋼鉄と対峙することになった。それは現代のドン・キホーテ――笑かしてくれる恐怖なのだ。
「ぶっつぶしてやるぞ。殺っつけてやるぞ」フェデリコ・マルティネスが斜面に腹ばいになって、ぶつぶつ繰り返している。「ぶっつぶしてやるぞ。殺っつけてやるぞ」
大尉がこんなものはサーカスみたいなもんだ、と言ったが、それがどういう意味なのか扇には分からなかった。
全員が右手で紙マッチをヤスリに挟んで、左手にダイナマイトを握った。戦車のエンジンの音がきこえた。金属がなにかを削るような音がどんどん大きくなってきた。戦車が恐ろしいものに思えれば思えるほど、扇の怒りは大きくなった。あんな鋼鉄のなかに隠れて戦うものがいることがひどく腹立たしくなった。自分が戦車兵になれば、考え方は変わるのだろうが、今の扇は歩兵として、この怒りを仲間と分け合った。
六人のダイナマイト屋は腹ばいになって土手の上へとにじり寄っていた。斜面の縁から緑と茶色の迷彩柄に塗られた回転砲塔と機関銃が見えた瞬間、フェデリコ・マルティネスの喉から獣の叫びが湧きあがった。
「ぶっつぶしてやる! 殺っつけてやる!」
老兵が飛びだしてダイナマイトを投げつけると、タタタタタと機関銃の連射音がして、マルティネスは倒れた。ダイナマイトは爆発しなかった。マルティネスは擦るのを忘れたマッチを握りしめたまま死んだ。〈眼鏡〉とペドロ・アダラがマッチを擦って導火線に火をつけてダイナマイトを放り投げた。二人の投げたダイナマイトは戦車の上を飛びすぎて、土手の向こうで爆発し、松を根っこから掘り出した。倒れた木が戦車にぶつかったが、戦車は機関銃を撃ち続けた。寿と大尉がダイナマイトを投げた。戦車のそばで爆発し、キャタピラがバラバラになった。戦車は動きを止めて、後部のエンジンからは黒煙が噴き出していたが、機関銃はまだ生きていた。大尉が土手の上へ走り、腕をひろげて大声でわめいた。砲塔がそちらを向き、機関銃の連射音がすると同時に大尉は斜面のほうへ転がった。扇は指を弾くようにしてマッチを擦り、導火線につけると、最後のダイナマイトを握りしめて土手を駆け上がった。機関銃は扇に真横を見せる形で前を向いていた。砲塔の下には操縦手用の観測口があった。停車しているキャタピラを上ると、扇は戦車の上に立ち、かがみこんだ。前を見るための観測口は縦六センチ、横三十センチの細い隙間でガラスも金網もなく、ポストのように口を開いていて、その奥には血走った二つの目が爛々と輝いていた。扇は導火線がもう一センチも残っていないダイナマイトを放り込むと、飛ぶのと走るのと伏せるのを同時に行って、土手を転がり衝撃に備えた。爆発の瞬間、蹴飛ばされたみたいに体が浮き上がって、斜面を転がった。腹を蹴られたみたいに息がつまり、扇は痛みに体を丸めた。
「大丈夫。もう心配ないよ」
「息が――」
「ほら、背中叩いてあげる。どこにも怪我はない。もうじき息ができるからね」
「う――」
「ゆっくり吸うんだ。小刻みで浅いのはいけない。おれに合わせて、呼吸をするんだ」
静かな呼吸音。それをきいているうちに肺をつぶそうとしていた重みが消えた。すぐに煤まじりの空気が吸いこまれ、扇は寿に抱きかかえられたまま、咳き込んだ。
「立てる?」
「ああ」
足が震えた。ライフルを杖のようにして立ちあがると、震えはおさまっていった。ルノー戦車は内側からの爆発に耐えられず、バラバラに吹き飛んでいた。かつて戦車があった位置に残っているのはキャタピラと操縦席だけで回転砲塔はだいぶ離れた場所に転がっていた。
ポケットから最後のちびた煙草を取り出して、ずっと握りしめていた紙マッチでつけた。
見ると、〈眼鏡〉も一服していて、扇を見ると、にこりと笑った。
〈眼鏡〉の口が破裂する。
二つの機関銃砲塔をもつビッカーズ戦車が六台。横に並び、機関銃を乱射しながらこちらに走ってきていた。




