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斬術士  作者: 実茂 譲
3.カンパニー
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『9077』

 何も分からない。

 第八区から戻った扇に取りついた疲れた考えだ。七十七号ビルでランディラを飲みながら、紫苑に電話するが出ない。かといって、直接マフィアのたまり場に行けば、向こうも扇を知っているだるから、いらん誤解を招く。ヘスス・グアハルトから何もきき出せず、紫苑がマフィアに持つコネに頼るしかない。八区から帰って次の日。扇は目を覚まし、シャワーを浴びて、一張羅のタートルネックに着替え、少女の幽霊たちにTVチャンネルの主導権を奪われ、そのかわりに用意された十個のクロワッサンと缶コーヒーで朝食を済ませて、窓を開けて、鶏牌香烟(ロースター)に火をつけた。ビルの入り口を見下ろすと、チンピラがひとり、ハラワタのこぼれるのを手で押さえながら、走って逃げていく。フィギーも相変わらずだ。

 ウォークマンでフルーツマンのテープを再生しながら、扇はクローゼットを開ける。角の色が剥げて皺がついた靴箱を取り出し、ソファーのそばに引っぱったテーブルに置く。なかには真鍮の目釘抜き、洗浄用アルコールの入ったプラスチックの小さなボトル、高吸収ウレタン・スポンジが入っている。

 鞘と柄を持ち分け、刃を上にして、ゆっくりと柄を引く。棟の反りにあわせる感覚が染み込んだ動作が摩擦音を差せず、刀を抜き放ち、鞘を置くと、組み紐のつくるひし形のなかにある目釘を目釘抜きで押して、靴箱に放り込む。柄を叩くと、刀身が少し前に出るので、柄を外し、飾り気のない鍔を外し、ハバキを外す。そして、シート作用のある洗浄用アルコールをウレタン・スポンジに染み込ませて、刀身に塗りつけ、終わったら、ハバキ、鍔、柄の順に取り付け、目釘を入れて、手入れが終わる。

 本当のサムライなら、この武器の手入れをもっと神秘的な儀式に格上げし、刀にお辞儀をする。洗浄用アルコールなど使わず、打ち粉という砥石の粉を、白い綿毛の玉のような道具で軽く刀を叩きながら、塗布していき、古い保存用油をきれいに拭い去る。ただ、扇はサムライではなかったし、ジャングルでこの手入れ作業を神秘思想に格上げするのは無理があった。刀の拵えを外さず、ただアルコールで拭くだけだったことが何度もあった。それに扇にとって刀は自分が世間に対して物を言う際のツールであり、普通の人間にとっては選挙の投票用紙みたいなものなのだ(さすがにそれよりはもっと役に立つのだが)。誰が投票用紙を神秘的な儀式の道具にするだろう?

 それに粉にまみれた白い綿毛の塊など、間違いなく、ここの幽霊たちのおもちゃになる。そうなったら、手入れどころではない。とはいえ、扇はこうして幽霊と住居をともにしている。それがそもそも神秘思想に近い。ただ、扇は宗教家ではないから、何が神秘的で何が俗世的だか、いちいち判断しながら生きているわけではない。彼が生活から知ろうとするのはただひとつ、それがどれだけ自分に迷惑であるかだけなのだ。

 刀の茎に刻まれた銘である『9077』を思い起こして、あれが何の意味があるのかを考える。おそらく製造工場のロットナンバーだが、それだとしても、その工場でつくった9077本目の刀なのか、9番ラインで077本目につくられた刀なのか、あるいはそもそも刀に関係のある数字ではなく、それまでに食べたピザの枚数なのか。

 もう一度、紫苑に電話する。呼び出し音は続く。そして、その呼び出しヴァイヴの低い音が廊下のほうから過敏な扇の鼓膜に飛び込んだ。扇は手入れを終えたばかりの刀を手に、ドアを開けた。腹を撃たれて苦し気に息をする紫苑がいる。目はうるみ、焦点が合っていない。こんな状態でどうやって七〇七号室にやってくることができたのか、不思議に思う。もっと他に気にするべきことがあるが、だが、この部屋まで行くには〈トラブルズ〉を通らないといけない。こんなふうに割れたタバスコ瓶みたいになっていれば、ビッグ・ママかフィギーが何らかの反応をするはずだ。倒れそうになった紫苑を抱きかかえ、そのままソファまで運ぶ。普通の病院には連れていけない。警察に届け出が出される。かといって、闇医者もダメだ。撃たれて息も絶え絶えにここに来るということは撃った相手がマフィアだ。扇が知っている程度の闇医者ではマフィアに知らせられるだろう。扇は一階まで降りた。ビッグ・ママがいればと思ったがいなかった。フィギー・カランがひとりで安ウィスキーをソーダで割っていた。

「闇医者?」

「ああ」

「センが知ってるやつじゃダメなのか?」

「マフィアとトラブったのかもしれない」

「あー、そうか。イタ公の息がかかってない医者だな」

「すまない」

「いいってことよ。でも、そのトンマ、どうやってお前の部屋まで上がれたんだ? おれ、朝からずーッと、ここでソーダで割っちゃ飲んで、ソーダで割っちゃ飲んでしてたんだぜ」

 それがまさに紫苑が〈トラブルズ〉を通り抜けられた理由だった。

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