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斬術士  作者: 実茂 譲
1.扇
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22/51

悪夢の始まり

 第七地区にあるロドフのドラッグ工場にはすでに惨殺死体がいくつも転がっていた。ブッチは興奮した様子で車のハンドルをばんばん叩いた。

「ついにゾンビ・キットが役に立つ日がきたぜ!」

「ゾンビ・キット?」

「ゾンビ映画みたことないのかよ? 細菌、ウィルス、ブードゥーの魔術。ゾンビが生み出される理由はいくらでもある。カギは生き残る意志だ。それがゾンビ・キットだ」

 ゾンビ・キットはブッチの車のトランクに乗せてあった。大型のリュックサックに大量のカロリー・ゼリー、飲料水ろ過装置と予備のフィルター、ゴム手袋、ガスマスク、懐中電灯(フラッシュライト)、暗視ゴーグル、手回し発電ラジオ、銃身とストックを切り詰めた十二番径のショットガンと鹿弾(バックショット)が三ケース、サバイバルナイフ、血清、包帯、チベット・ハーブとそれを巻くためのズアーヴ社製シガレット・ペーパー、発煙筒、小さなノートとボールペン(ブッチ曰く、ゾンビに襲われた人々は起こったことをいろいろ書き散らす。自分が死んだ後、他の生存者が読むことを期待してだ)。これらに加えて、ブッチには二丁のライジンを差したガンベルトがある。

「キットは二つある。ほら、やるよ。遠慮するな」

「ゾンビは刀で人を斬ったりするのか?」

「扇、マニアックだなあ。『サムライ・ゾンビ・ショーグネート』を見たんだろ? でも、あれは例外だ。普通のゾンビは噛みちぎる」

「あいつらは刀でやられてる」

「だから? それがゾンビ・キットを持っていかなくていいって理由にはならないぜ」

「おれはいらない。動きが鈍る」

「ああ、分かった。ゾンビどもにスナックみたいにバリバリ食われるそのときになったら、ああブッチのいうこときいてりゃよかったって後悔すりゃあいいんだ」

 もともとブッチは、自動車の運転ができない扇が足代わりにするつもりで連れてきたのであって、工場のなかにまで付き合わせるつもりはなかった。そして、ブッチはゾンビ・キットの重さで身動きが取れなくなった。

 ブッチを車のそばに置いていき、工場のなかに入ると積層エナメルで仕上げた製造器(インダストリアル・モジュール)が十機ほど並んでいた。この巨大な勲章みたいな機械のカバーが鋭利な刃物で両断され、青い錠剤(ドライヴ)が通路にまき散らされていた。ギャングの死体はあちこちにあった。袈裟斬りにされた死体や首がない死体、煙を上げる端末機(ターミナル)の液晶に頭を突っ込んだ死体、手足が曲がって鉤十字(ハーケンクロイツ)勲章のようになった死体。鮮血は天井やクレーンにまで飛び散り、死体のそばには九ミリの空薬莢とサブマシンガンが転がっていた。

 鶏牌香烟(ロースター)をつけると、煙は弧を描いて、天井近くの換気口に吸いこまれ、すぐに製造区域での喫煙をやめるよう命じるホログラムが現れた。扇は無視した。ドラッグ密造工場がコロニー衛生基準を遵守しているとは笑わせるし、この工場で副流煙による健康被害を気にしなければいけない人間がまだいるとは思えなかった。もちろん犯人は別かもしれないが、殺されたギャングたちの切断面を見る限り、犯人はカンパニーの人間だ。そして、扇以外のカンパニーは全滅しているのだから、セカンド・カンパニーの商品化はもう始まってしまっているのだ。

 ビニール被膜ケーブルが壁と天井にいいかげんに固定された廊下を通り過ぎているとき、監視カメラがあることに気がついた。ドライヴの錠剤ひとつかみでもこっそり持ち出せれば、結構なカネになることを考えれば当然だ。中央警備室のドアを蹴破ってなかに入ると、二十個のモニターはまだ生きていて、十七番のモニターにヴァレンティン・ロドフが映っていた。東欧系の顔つき、やせ形でフレームレスの眼鏡にブランドもののスーツにポケットチーフと上品かつ洗練されたスタイルを追求しているが、どれだけ隠してもポン引き卒業者めいたところがある。アンクル・ムーの言う通り、なにをしてもポン引きはポン引きなのかもしれない。追いつめられている様子で口をぱくぱく動かしているが、音声までは取れていないので、なにを言っているのか分からなかった。また、襲撃者の姿もカメラの外にあり、刀の切っ先が画像の右下にときどき、ちらちらと映る。工場内マップを見て、十七番カメラの設置個所を調べた。

 レクリエーション・ルームにはロドフがドラッグ・マネーで買いあさったアンティークなピンボール・マシンが百台ほど並んでいた。〈ジュラシック・スペース〉〈マッド・コップ1999〉〈ザ・インペリアル〉……。各ゲーム台はワインレッドのビロード・ロープを結んだ真鍮製のバーで囲い、ファラオの棺桶みたいに立ち入り禁止にしてあった。緩やかにカーブするステンレスの表示板にはこのゲーム機がつくられた年代、製造会社、総出荷台数、コンセプトにまつわる簡単な説明が記載されていた。ピンボール・マニアのポン引き(ピンプ)。ロドフがまだ生きていたら、お前の人生はダーティ・ジョークだったと言ってやるのもいいかもしれなかった。

 だが、それはできなかった。ロドフはいま〈マイティ・マーティン〉の上に串刺しにされていたからだ。扇は時間を圧縮した。ロドフを殺したカンパニーは刀を引き抜きながら、身をひねった。操作された二つの時間がぶつかった瞬間、扇は意識を失った。覚めたときには相手の刀の切っ先が扇の眉間目がけて突き立てられようとしているところだった。扇はそのトドメを最少の動きでかわすと、相手の腕をつかんで、上体を跳ねあげ、頭突きを食らわせた。相手が額を押さえながらよろめいた。石頭な扇もそれなりに痛い目にあったが、転がって相手の間合いから逃れ、〈アトミック・ターザン〉の電光表示板(バッググラス)に刺さっていた自分の刀を取るくらいの時間は稼げた。振り向いたころにはカンパニーは消えていた。

 それでも扇には十分だった。あのカンパニーは十五歳くらいの少女だった。

 つまり、セカンド・カンパニーはもう動き出している。

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