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斬術士  作者: 実茂 譲
1.扇
21/51

自由意志

 頭がガンガンする。服も体も酒臭い。紫の雲が浮かぶ明けの空が四角い窓枠で切り取られている。空の色は柔らかなピンクだったが、それでも見ていると頭が痛くなった。目覚めたのは見慣れた自室のソファの上だった。刀は乱雑に床に投げ出されていた。スローイング・ダガーはホルスターごと見当たらない。手袋も片方なかった。死んだ少女たちが浴室のそばで宙返りをしている。はやくシャワーを浴びろとせっついていた。ぬるめのシャワーを浴び、スチーム暖房をつけたが、器具のなかからガンガンと金属質な音がした。二日酔いの頭に響いたので、暖房はあきらめ、タートルネックのセーターとジーンズを身につけた。クローゼットの靴箱を開け、手袋を一つとスローイング・ダガー、ホルスターの予備がたくさんあることを確認すると、刀をもって体をソファーに投げ出した。

 幽霊たちが冷蔵庫を開けた。そして、卵を二つばかり取り出して、スクランブル・エッグをつくり始めた。どうも牛乳を入れるかどうかで少女たちは意見を戦わせていたが、結局、牛乳がなかったので、卵のみのスクランブル・エッグとなった。カウンターには缶コーヒーと袋詰めにされた小さなクロワッサンも置かれた。二日酔いで食べる気分にはなれなかったが、食べなければ少女たちはポルターガイストを起こして、部屋をめちゃくちゃにするだろう。ソファーから立ち上がったときは気分は最悪だった。いまなにか食べても吐くだけだったので、トイレに駆け込むことを考えて、少女たちに浴室のドアを開けっ放しにさせた。だが、スクランブル・エッグに一歩近づくごとに気分はよくなっていき、カウンターに到着したころには昨晩ろくにものを腹に入れていないこともあってか、自分の目の前にある朝食がモナコ公妃のために用意されたみたいにうまそうに見えた。あっという間に卵を平らげ、袋のなかのクロワッサンを全部飲み込むようにばくばくと食べて、缶コーヒーを一気飲みにすると、なんとか今日一日やっていくだけの力がついた。もちろん、その一日はルクレツィアの雇い主が放った殺し屋たちのせいで唐突に終わりを告げるかもしれなかった。だが、扇には名前があった。ヴァレンティン・ロドフ。これをたどれば、第二のカンパニーにたどり着く。やつらは扇の体のなかのナノマシンに蓄積されたデータを欲しがっていた。シングルモルトのスコッチ一本で体内のナノマシンを全部破壊してくれる医者を知っていたが、いつどんな取引が必要になるか分からないので、ナノマシンはそのままにしておくことにした。

 三十分後、電話をした後、扇は融通の利かない料金箱式のバスに乗って、第五地区のジェネラル・カスター通りを目指していた。朝のチャイナタウンはニラ入り粥のにおいに満ちていた。ハンチング・ハットの労働者たちはレンゲを手に道路沿いの長椅子にずらりと並んで、どんぶりのなかの米やネギ、とろりとしたスープを掻き込み、バスがやってくるまでの空いた時間、屋台のテレビで流れている映画俳優のスキャンダルについて、ああだこうだと論じ合った。崩れかけた煉瓦の門が見えたので、イヤホンからワシントン・ルイスを流し、屋台の客たちのあいだを割って入った。しゅうしゅうと白い蒸気が上がる路地には漢方医やカーペット専門の防虫会社が漢字で看板を出していて、青白二色の古いホログラムがざらつくゲーム・センター前では分厚い封筒が男の手から別の男の手に渡されていた。封筒を渡された男はいかにもギャングの下っ端らしく、つるつるに剃った頭に龍の入れ墨をしていた。動画付き人工皮膚シアター・スキンで龍は蛇みたいな体をうねらせ、炎を口から吐いていた。この手の手術はクリーン・ハイツかリッジウェイ・ストリートのクリニックでやったのだろう。漢方治療回帰運動などもあることだし、このチンピラがどれだけ中国系の同胞愛にあふれているか知らないが、この手の皮膚移植をチャイナタウンのクリニックに任せるほど同胞愛があるとは思えなかった。このあたりのクリニックには合法違法問わず医療事故にまつわるアネクドートが尽きない。ここで皮膚移植をすれば運が良ければ頭がかさぶただらけになるだけで済むが、ひどいと異常発熱して頭が燃え出す。

 ドラゴン・タトゥーのギャングは扇の歩いている方向と同じ道を歩いていた。目的地が同じなのだ。ギャングはついてくる扇が封筒を狙っていると勘違いしたらしく、レザーのジャケットの前をはだけさせてぐるっとまわり、ベルトに差した銃を見せたり、頭の龍にとぐろを巻かせて警告するように大きく口を開けさせた。

 工商会マーチャント・アソシエーションの古い建物に入ると、ギャングは門番に封筒を渡し、門番が後ろからついてきた扇を叩き出すのを期待して部屋でぐずぐずしていた。だが、門番は扇のことはちらりと見て、うなずき、なかに入るよううながした。深く傷ついたギャングを残し、扇は麻雀卓が並んだ無人の部屋を通り、アンクル・ムーの事務所へ入った。机の上にはドラゴン・タトゥーのギャングが運んでいたのと同じ封筒が十六ほど置かれていた。

「わしは現金主義者なんだ、シャン。賭場からアガリを払わせるのに電子チップ決済なんかじゃ、どうやって尊敬ってもんが生まれるんだ? ある男が別の男を尊敬するとき、その尊敬の度合いは札束の重さで知るもんだ。それで……電話じゃ、カンパニーのことをききたがっていたな?」

「ああ」

「信じる気になったわけだ。たぶん、ハノーヴァー・ホテルのペントハウスを血の海にした一件がかかわってると思うが、お前さんが仕事のことを雇い主以外にもらさんことは知っている。だからこそ、わしらも任せられる。そういうもんだ」

「あんたはどうしてカンパニーが復活することを知ったんだ?」

「少なくともフォーチュン・クッキーのお告げではない。人を介して、新たなカンパニー設立に関わらないかと打診された。あれはたぶん、エブロ・シティじゅうのギャングに持ちかけているな。戦争がないから、カンパニーがつくられるとしたら、ギャングはいいお得意さんになるってわけだ。まあ、それ以上に政府が使いたがるだろうがな」

「あんたはそれを受けたのか?」

「断った」

「なぜだ?」

「このあいだ、お前さんが言っただろう? リスキーだと」

「そうか……」

「二人以上で事をなす場合、秘密は絶対に守られないものだ。極秘暗殺部隊に関わって、マスコミに叩かれるのは決して面白いものではない。他に質問はあるか?」

「ヴァレンティン・ロドフ」

「そう、そいつがわしに話を持ちかけた」

「何者だ?」

「斬術士に敬意を表して教えよう。ロドフってのはケチなポン引きだ。四年前まではな。ところが、いまじゃドラッグ・カルテルのボスでサツとつながってドライヴを大っぴらにさばいてる。表向きはビジネスマンってことになっていて、ショッピングモールや建築会社を経営していることにしているがな。だが、人間の本性は変わらん。ポン引きは何年経ってもポン引きだ。やつが歩いた道なら消毒してからじゃないと歩く気はおきん。しかし、そうか。あのポン引き、やはりあちこちまわっているのか」

「情報、礼を言う」

 扇は刀を取って立ち上がった。

「別にかまわんよ。だが、どうするつもりだ?」

「ロドフから必要な情報を吐かせる。必要なら腹を切り開いてやる」

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