第8話:帝都のゴミ屋敷パニック~王宮のシャンデリアから滴るもの~
その日の夜、大帝国オルディスの帝都は、建国以来かつてない悪夢と阿鼻叫喚の渦に叩き落とされていた。
純白の白亜で築かれた皇城・ヴェルサイユ宮殿の大広間。
そこでは今宵、帝国皇帝アルブレヒト四世が主催する、秋の戦勝記念晩餐会が華々しく開かれていた。
煌びやかなシルクのドレスに身を包んだ貴婦人たち、胸元に所狭しと勲章を誇示する高位貴族たち、そして百名を超える宮廷楽団が奏でる優雅なワルツ。
中央の円卓の上座には、全身を金ピカの装飾鎧で包んだ筆頭勇者レオン・ヴァルハイトが、傲慢不遜な笑みを浮かべてワイングラスを傾けていた。
「はっはっは! 見給えバルト伯爵! 我がパーティの武勲を讃えるこの宴の輝きを! あの役立たずのゴミ拾いを追い出してやったおかげで、帝都の空気も実に清々しいというものだ!」
「まったくでございますぞ、レオン殿! あの薄汚い男に払っていた無駄な給与を削った分、今宵の料理長特製キャビアも一層美味に感じられます! 無能なドブネズミを排除することこそ、我が帝国の真の繁栄への第一歩!」
バルト伯爵が豚のような腹を揺らし、卑屈にグラスを合わせた――その、まさに刹那だった。
ポタリ……。
「……ん? 何かしら、冷たいものが落ちてきたわ?」
バルトの隣に座っていた侯爵夫人が、白粉を分厚く塗った自らの肩口に手を触れた。
指先にベットリと絡みついたのは、ドロリとした紫黒色の粘液。
そして次の瞬間――鼻腔を猛烈に突き刺したのは、腐乱死体と百年間放置された下水が煮詰まったような、言語を絶する猛烈なドブの腐臭だった。
「きゃっ!? な、何これぇぇぇっ!? く、臭い! 息ができないほど臭いわ!!」
「お、おい! 天井を見ろ! シャンデリアが……!」
誰かの悲鳴のような叫び声に、大広間中の貴族たちが一斉に視線を跳ね上げた。
そして――全員の顔から、血の気が一瞬で引いた。
高さ十メートルを超える天井に吊り下げられた、数万個のクリスタルを散りばめた巨大シャンデリア。その豪奢な金具の隙間や換気ダクトの継ぎ目から、紫黒色のヘドロが、まるで無数の蠢くミミズのようにブクブクと腐敗泡を吹き出しながら垂れ下がっていたのだ。
メキメキメキッ……ドシャァァァァァンッッ!!!!
「ぎゃあああああああああっ!?」
「私の特注ドレスがぁぁぁっ!」
「目、目がぁ! 酸で目が焼けるぅぅぅっ!」
耐えきれなくなったシャンデリアが轟音とともに落下し、最高級のローストビーフや金箔のスイーツが並ぶ大円卓の真ん中で大爆発を起こした。
高濃度の魔力汚泥が、四方八方へと凄まじい勢いで飛散する。
シルクのカーテンは酸でジューッと音を立てて溶け崩れ、貴婦人たちの顔やドレスに容赦なくこびりつく。
さらに追い打ちをかけるように――。
ゴボッ! ゴボボボボボッッ!!
大広間の四隅に設置されていた大理石の女神像の噴水から、耳を劈く地鳴りとともに、数百トンもの猛毒ヘドロが天井まで届く間欠泉となって噴き上がった。
排水幹線が完全閉塞したことで、行き場を失った帝都全土の汚泥が、標高の低い王宮へと一気に逆流してきたのだ。
「ど、どういうことだバルトぉぉぉぉっ!?」
頭から紫色のヘドロを被り、泥人形と化した皇帝アルブレヒトが狂乱の叫びを上げる。
「ヘル・ゲートの管理はどうなっているのだ! なぜ王宮の広間がゴミ溜めのヘドロまみれになっている!?」
「ひ、ひぃぃぃっ! わ、分かりません陛下! 炉の制御盤に鍵を差し込んだ途端、大爆発が起きまして……!」
「貴様ぁぁぁっ! 今すぐ全軍を動員して掃除しろ! 息が詰まって死ぬぅぅぅっ!」
パニックの渦中、勇者レオンの顔も真っ青に引きつっていた。
先ほどまで彼が滞在していた迎賓館の最高級大理石トイレからも汚泥が噴出し、自慢の金ピカ鎧の予備がすべてヘドロ漬けになったという伝令が飛び込んできたのだ。
「クソッ……! クソッ! 誰だ、こんな嫌がらせをしたのは! あいつだ……あのゴミ拾いのロイドめ! 去り際にどんな細工をして逃げやがったんだァァッ!!」
レオンは怒り狂って絶叫したが、自分たちの快適な生活が、ロイドのたった一人の職人技によって支えられていたという残酷な真実に、まだ死んでも気づこうとしなかった。




